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- Re: (艦これ) キャラ募集!(残り6名) ( No.10 )
- 日時: 2015/12/13 14:21
- 名前: 風死 ◆Z1iQc90X/A (ID: 3rsK9oI3)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel7/index.cgi?mode
Rose様作
真名「宗像 美桜/むなかた みお」(親から授かった名前。普通の日本名)
人間としての記憶「168cn 60㎏ 母と父、妹の四人家族
実家が剣、居合道の道場で父親が経営している、母親が定食屋で働いており料理も上手く道場の門下生によく料理を振る舞っていたらしい
妹は体が生まれつき弱く小さい頃はよく病気にかかっていたが現在は安定している
普通の大学生として生活していたがある日を境に艦霊を宿す
しかし動じる事なく自ら艦むすに志願した
理由は親友の家族が深海棲艦に殺され悲しみに打ちひしがれるのを傍で見て人々を深海棲艦から守りたいと思ったから
故に復讐よりも自分の正義の為に志願している」(身長や体重、家族構成や過去など)
受け継いだ艦の名前「三笠」(実在する軍艦で日本の軍艦。そして艦これに実装されていないもの。現自衛隊所属艦の募集は終了)
何型何番艦「敷島型 四番艦」(金剛型1番艦みたいなの)
受け継いだ艦の階級「戦艦」(史実に順ずる。軽巡洋艦や戦艦など)
従来型or新世代型「従来型」(新世代型は勤続年数5年以下で、空母や戦艦以外でお願いします)
性格的特長「冷静かつ温厚で気丈夫さと凛々さを兼ね備えた戦乙女 そして大和撫子のように美しい雰囲気を漂よわせている
やるからには全力でやる完璧主義者で強い信念を持った武人ともいえよう
ただおちょこちょいというかドジっ娘というかとにかく抜けている所があるが取り合えず頼もしい艦むす
冷静であるが怒ると怖いとにかく怖いそれこそ一度、駆逐艦むすと潜水艦艦むすをマジで泣かした程(そのせいで長門から目の敵されたのは言うまでもない)
深海棲艦から人々を守る事に全力を尽くし例え散華しようとそれが本望だと思っている」(細かく。信条なども絡めて)
容姿的特長「黒髪と琥珀色の瞳(髪型は姫カットで太股位ある 左側に白い髪止め)頭に白い海軍の制帽 海軍の将校の着る軍用コート(ニコニコにある三笠のMMDから しかし色は黒)を袖に通さす肩で羽織っていて中に白い着物(これは金剛型の艦むすが着る着物とよく似ているこれは製造元がヴィッカース社(イギリス)>英国>金剛>金剛型からか)手には白い手袋 鼠色のスカート(腰に金装飾のベルトと碇を模した鎖)と黒のストッキングそして戦艦むす特有の脛当てと鉄靴を履いてる
艦装は主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門 副砲 40口径15.2センチ単装砲14門 対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門 47ミリ単装砲16基 魚雷発射管 45センチ発射管4門 長門型と大和型と同じく左右装備しているがメインとなるのは軍刀【三笠刀】による剣術で居合を最も得意とする
戦艦という事で体のスタイルは抜群で胸も大和や愛宕並みに大きい」(細かく。そのキャラを象徴するような比喩も含めて)
その他「趣味は剣術の稽古と盆栽 最近では三味線を習っている またスイーツおが好きで和菓子よりも洋菓子を好む(これは人間の頃の名残)演歌が上手くよく加賀と競い合っている(普通の歌も歌える)
艦霊の記憶の影響でお酒が嫌いというか全く受け付けない体質になっており無理に飲んでもすぐに嘔吐し体調を崩す 臭いとかはある程度平気だが長時間嗅ぐとやはり気分が悪くなる
酒飲みの上戸とかのキャラは基本苦手 宴会とかの場は早めに切り上げる また酒柄みのトラブルは敏感でそれで問題行動を起こしたら即収集、きつい説教が待っている」(趣味や特技、過去や血液型、誰が嫌いで誰と仲が良いかなど)
勤続年数「11年」(最長で17年(17年艦は作中死亡がほぼ確定します))
艦としての経歴など「 日清戦争後、ロシア帝国に対抗するために日本海軍は軍拡を進めた。その中で『六六艦隊計画』(戦艦を6隻、装甲巡洋艦を6隻配備する計画)の一環、その最終艦として三笠はイギリスのヴィッカースに発注され建造された。
1899年(明治32年)1月24日バロー=イン=ファーネス造船所で起工。1900年(明治33年)11月8日進水。1902年(明治35年)1月15日から20日まで公試が行われ、3月1日サウサンプトンで日本海軍への引渡し式が行われた。建造費用は船体が88万ポンド、兵器が32万ポンドであった。
3月13日、イギリス、プリマスを出港しスエズ運河経由で5月18日横須賀に到着した。初代艦長は早崎源吾大佐。横須賀で整備後6月23日に出港し、7月17日本籍港である舞鶴に到着した。
1903年(明治36年)12月28日、三笠は連合艦隊旗艦となった。1904年(明治37年)2月6日から日露戦争に加わり、2月9日からの旅順口攻撃や旅順口閉塞作戦に参加し、8月10日には黄海海戦に参加した。12月28日、呉に入港、修理の後、1905年(明治38年)2月14日呉を出港、江田島・佐世保経由で21日朝鮮半島の鎮海湾に進出した。以後同地を拠点に対馬海峡で訓練を行い、5月27日・28日には日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊と交戦した。この海戦で三笠は113名の死傷者を出した。
日露戦争終結直後の1905年(明治38年)9月11日に、佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故のため沈没した。この事故では339名の死者を出した。弾薬庫前で、当時水兵間で流行していた「信号用アルコールに火をつけた後、吹き消して臭いを飛ばして飲む」悪戯の最中に、誤って火のついた洗面器を引っくり返したのが原因とする説や下瀬火薬の変質が原因という説もある。事故当時、東郷は上陸していて無事であった。また艦隊付属軍楽隊に着任していた瀬戸口藤吉も、これまた事故当時は上陸中で難を逃れたが、軍楽兵の多くが事故で殉職した。なおこの爆発沈没事故は秋山真之が宗教研究に没頭する一因ともなったとされる。
1906年版ジェーン海軍年鑑における要目
10月23日の海軍凱旋式は戦艦敷島が三笠に代わって旗艦となった。三笠は予備艦とされ、1906年(明治39年)8月8日浮揚、佐世保工廠で修理され1908年(明治41年)4月24日第1艦隊旗艦として現役に戻った。
1914年(大正3年)8月23日、日本が第一次世界大戦に参戦すると、戦争初期に三笠は日本海などで警備活動に従事した。その後、1918年(大正7年)から1921年(大正10年)の間、大戦中に誕生した社会主義国ソ連を東から牽制するシベリア出兵支援に参加した(参加前に防寒工事が実施され、飛行機の臨時搭載も行った)。
1920年の尼港事件の際には砕氷艦見島とニコラエフスクに救援に向かったが堅氷に阻まれ入港できなかった。このため約700名の日本人と数千名のロシア人は救助されることなく赤軍パルチザンに惨殺された。
1921年(大正10年)9月1日一等海防艦となるが、9月16日ウラジオストク港外のアスコルド海峡で濃霧の中を航行中座礁し大きく損傷し浸水。離礁後ウラジオストクに入渠し応急修理を行い、11月3日舞鶴に帰投した。 ( Wikipediaにて抜粋) 」(なるべく細かく)
死亡or濡場OK?「どちらもOK」(どちらかはOKでどちらかは駄目もOK、死亡NGは厳しいかもです)
どの鎮守府勤務「舞鶴」(横須賀(3名)、舞鶴(3名)呉(3名))
サンプルボイス
「私は敷島型 四番艦 三笠だ 貴殿には期待しているよ」
「紅茶というのも中々美味で良いものだ」
「酒は駄目なんだ.......本当に」
「いいかそのふざけた好意が何百人と死ぬ事になるんだぞ」
「お袋の味というのはいつまでも忘れなれない物だよ」
「私の命を懸けて貴方を守ります」
仮想CV「石川由依」
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