どうも、お久しぶりです。 最近中二病か極めるとスッゲーかっこいいとか気付いたクリスマスさんです。
クリスマス過ぎたんでHN変えようか検討中。 と、いい加減投下します。
『夏なんか嫌いだ』
無意識の内にそんなことを呟いた気がする。 夏休み明け……教室の窓から、照りつける熱光線をその身に浴びていれば自然とこんな言葉も口を突いて出てしまうだろう。 俺は、夏が恐らく四季の中で最も嫌いだ。
夏と言って、皆は何を連想するのだろう? まぁ、俺みたいなクールなやつだと人気の無い所に歩いていって、日陰でアイス食ってるくらいのモンだ。 ところが、リア充共はやれ海だ、山だ、川だだのと大はしゃぎする。
「ねえ、夏休み何してた?」
夏休みが終わって、学校に来ての第一声は決まってこれである。 それは、答えなければいけないのだろうか?
正直、夏なんか嫌いだ。 別に、海とか山とか川とか、それらを否定するつもりは無い。 だが、暑い中群れて海に、山に、川に。 あとついでに市民プールを占拠するリア充共は一体何が楽しいのだろう?
集団のなかに居ると、余計人熱で暑い。 元々群れを成して生活する狼だった犬だって、一匹ぐでぐでーっと伸びている有様なのだ。 群れれば余計に暑く、死んでしまうのではないだろうかとまで思わせる。
猫に至っては、夏場に二匹で居る姿を見ることは稀だ。 猫自体、見ることが稀である。 猫に関しては、恐らく俺のように誰もいない日影を求めて旅をしているのではなかろうかとまで思わせるほどだ。
そんな中、集団で大はしゃぎするリア充はどこか違う気がする。 そう、なんか違うのだ。 常に群れるリア充よりも、ぶっちゃけ俺のほうが生き物として正しい気がする。 それをリア充に言おうものなら「なにこいつ、中二病?」というような目で見られるわけだ。
それらが余計に、夏の暑さを際立たせている気がする。 あと、忘れてはならないのがセミである。 夏嫌いにとっての地獄は、セミの鳴き声が最も大きいだろう。
リア充の大は騒ぎを一とするなら、セミは四くらいになるのではないだろうか。 いくら地中に六年七年もぐっていたからと言って、出てきて直ぐに欲情し、大声で求愛する。 ヘッドホンをつけてもまだ聞こえてくるその声量はもはや合唱ではなく騒音である。 求愛以前に彼等の鳴き声の源となるのは、余命が残り少ない故の叫喚阿鼻だろうか。 今際の極みのような鳴きっぷりである。
ちなみに、叫喚阿鼻と阿鼻叫喚は単語の並びが違うだけで同じ意味である。 みんなの使わない聞きなれてないほうを使ったほうが、かっこいいとか思った奴は中二病予備軍である。 ……超どうでもいい。 暑さに当てられ、頭の回転が鈍っている気がする。 さっきから、全くどうでもいい方向に話が進んでいるような気がしてきた。
結局、夏というのはセミの大合唱で際立った暑さを身に受けながら、市民プールを集団占拠するリア充を迷惑だと思い横目で見ながら、日影を求めて猫のように旅をしながらすごすのだ。
そして、夏休みが終わり「なにしてた?」と聞かれ、答えると哀れんだ目で見られる。 当然ながら、今年も俺は大して何もすることなくグダグダと、日影に引き込んだ扇風機の前で、アイスを齧りながら過ごすのだ。 曲がり角でぶつかった美少女との出会いなど無ければ、友人集団とも付き合いが無い。
フィクションに何かあっても自分には何も無いのが、現実なのだから。
八月の数日間を百何年も繰り返すこともなければ、夏休みが永遠に続くわけでもない。 続いたとしても、市民プールを占拠するリア充を横目に、蝉の騒音被害で余計な暑苦しさを感じながら過ごしたのだ。
あえて今、この場で俺に「夏は好きか?」と聞けば俺は一言こういうだろう。
「夏なんか嫌いだ」と。
……ところで、これは余談だが何故だろうか? アニメや漫画だとすかしたようなクールな奴が好まれる。 しかし、現実に居れば素の性格でもこんな顔で見られるものだ。
「なに、中二病?」
やっぱり、夏なんか嫌いだ。
END
……何だこれ
読み返して自分でうわってなった