「ちいさい夏、みつけた」
半袖で過ごすようになって、日中は扇風機無しでは生きていけなくなって、郵便受けに毎年市内で行われている花火大会のチラシが投函されて──いつの間にか、夏になっていた。
花火大会には、小さい頃はいつも幼馴染みの弓月(ゆづき)と一緒に見に行った。当時の僕にとって、ほぼ真上で立て続けに大きな音を立てて鳴る花火は恐ろしい怪物のように思えてならなかったのだが、それを弓月に悟られまいと必死で平静を装った記憶がある。
──いつだっただろうか。一緒に花火を見に行かなくなったのは。
確か、小学校低学年までは行っていたと思うのだが、その後どうだったかははっきりと覚えていない。ただ、学年が上がるにつれて互いに男女間の隔たりを感じ始めたのだと思う。
…………それにしても暑い。異常気象だ異常気象。というかやけに周りが騒がしいような気が。顔を上げるとぬるい空気が顔に当たった。あ、世界史の先生が教科書を抱えて教室から出ていく。どうやら授業が終わったらしい。そして僕はいつの間にか居眠りをしていたらしい。
「お早う」
隣の席の沢田瞳に声をかけられた。
「はよー」
「ハッシー、桐島君のこと睨んでたよ」
ハッシーというのは、世界史担当橋本先生のあだ名だろう。
「僕の場合、受験に世界史は要らないからいいんだよ」
「次の期末にはでるけど」
沢田はそう言って、世界史のノートと教科書を鞄の中にしまった。
彼女とは高校に入ってから三年間、ずっと同じクラスだ。サバサバが服を着て歩いているような感じで、僕の数少ない女友達である。
「ていうか暑過ぎんだろ。ここの席」
僕は下敷きをうちわ代わりにしてぼやいた。
教室にはクーラーが付いている。が、位置と風向きの関係上、僕が座っている後ろの方の座席にはあまり風が来ない。
「そうだね」
そう言う沢田は涼しそうな顔をしている。
──不意に、沢田に告白されたときのことを思い出した。
「桐島君のことが好き」
付き合って下さい。そう付け加えてから、沢田は僕の顔をまっすぐに見た。
困惑して、思わず目を逸らしてしまう。向こうは悪い冗談などではなく、本気なのだとわかったからだ。
沢田は良い奴だし、顔だってよく見ればけっこう整っている方なのかもしれない。……でもでもでも、付き合うとかそういうことを考えると、何か違う気がした。刹那、弓月の顔が頭に浮かぶ。
「ごめん。他に好きな人がいる」
僕は頭の中の弓月を必死でかき消して言う。蝉の鳴き声がやけにうるさく感じた──。
あれは二年の夏休みの補習帰りのことだったから、もう一年近く経つのか、と思う。
沢田とはその後、現在に至るまで何事も無かったかのように友人関係が続いている。本当に、何事も無かったかのように。
「そうだ桐島君、」
「何?」
「弓月とどうなってるの?」
「…………は?」
心臓がどきりと音を立てる。
「言った、けど」
「それって弓月のことでしょ」
沢田は表情ひとつ変えずに言う。
核心を突かれたと思った。沢田の言うことは正しい。僕は夢から覚めたような気分になった。曖昧に返事をして教室を出ると、さっきより空気が生ぬるく感じた。暑い。異常気象だ異常気象。
***
「期末が終わったら夏休みかー」
隣に腰を下ろしている寛也が、アイスを頬張りながら呟く。
昼休み。僕は屋上の片隅で、友人たち三人とだらだらと過ごしていた。ギラギラと太陽光が照りつける中、倉庫の陰になった狭いスペースは、昼休みを過ごすのにうってつけである。
「つーか、無性に海行きたい」
「夏休みっつってもどうせ俺らは受験生の身だから」
向かいに座る樹と翔太が続けて言う。
「なんかこの忙しいときに限って色々他のことがやりたくなるんだよなー」
「あー分かる。スイカ割りとか、ビーチバレーとか、めっちゃやりたいもん」
「そういや俺、スイカ割りってやったことないんだけど」
他愛もない会話は途切れることなく、永遠に続いていきそうだった。引退した部活のこと、受験のこと、昨日のテレビのこと、下らないこと……。
「……次の授業って何だっけ」
予鈴が鳴ったところで、それまで散々部活の後輩の愚痴を言っていた樹が訊く。
「古文」
「げ。教科書忘れた。俺、借りに行ってくるわ」
樹は立ち上がって早歩きで立ち去った。「俺もー」と言い、翔太も後を追う。
僕らもそろそろ教室戻ろう、と二本目のアイスを完食したばかりの寛也に言う。
「あ、」
寛也が間抜けな声を上げる。
「あ?」
「そういえば例のカノジョと付き合ってんの?」
「カノジョ?」
さっきから、寛也の言っていることをただオウム返しにしているだけのような気がする。
「黒川だよ黒川弓月」
──何だ、またその話か。
***
塾の講習が終わり、帰りのバス停まで向かう途中、手元の時計を見ると既に二十時を回っていた。
空を見上げると、いくつかの星が瞬いているのが見えた。そして、空が意外と殺風景なことに気づく。こんなに星って少なかったっけ。……まあ、単純に視力が落ちただけか。
いつだったか、夏休みの自由研究で星座の観察をしたことがある。明るい一等星であるアンタレスを持つさそり座を初めて見つけたときは、妙にうれしい気持ちになったものだ。
でも、もはやどの星がアンタレスなのか分からない。確か、北極星を基準にして見つけられるはずなのだが、そもそもどれが北極星だったのだろうか……。
俺は北極星探しを諦めて、バスに乗り込んだ。冷房が効いていて涼しい。空いている席に座り、バスの発車を待つ。途端に、睡魔が襲ってくる。
「あっ夕介! やっほー」
その澄んだ声に、僕の眠気は一気に吹き飛ばされた。
「弓月、」
穏やかな風が、肩まで伸びた彼女の髪を揺らす。家が隣同士で学校も同じだというのに、ここ最近顔を会わせていなかったような気がする。
「なんか、久しぶりだね」
弓月はそう言って、僕の隣に座る。
「うん」
……。
何を話そうか、全く思いつかない。何か気の利いた話題はないものかと考えたが、不思議なくらいに何も浮かんでこない。普段の僕なら、こんなこと深く考えたりしないのに。
バスがゆっくりと発車する。今日はいつにもまして乗客が少なく、席はほとんど空いていた。僕も弓月も一言も喋らないまま、バスは走り続けた。やがて急な曲がり角を通って大通りに出たかと思うと、すぐに信号に引っ掛かった。
下を向いて、僕は考える。僕と弓月はこれからもずっとただの幼馴染みのままで終わってしまうような気がした。夜が更けて星がながれるように、まるで最初から決まっていたみたいに。
「夕介! 見て!」
弾む弓月の声。顔を上げると、ほぼ真正面に花火が見えた。あ、市内の花火大会って今日だったんだ、と思う。ビルの隙間から顔を覗かせる握り拳ほどのそれは、鮮やかに夜の空を染めていた。そうかと思えばすぐ闇の中に消え、そしてまた別の花火が開いて、散る。何度も見てきたはずのこの光景を、僕はしばらくの間食い入るように見つめた。
「綺麗だね」
「……ちょっと小さいけど」
「確かに」
迫力には欠ける、と付け足して、弓月は笑う。
信号は青に変わり、バスが再び走り出すと、花火はビルの後ろに隠れてしまった。
「弓月、僕実は────……」
end.
*
素敵な企画をありがとうございます。書くのが楽しかったです∀
というか、結果的にまとまりのない感じにorz 短編って難しいですね;
幼馴染みに恋する少年のとある一日、というのを副題にして書きました(・ω・)
個人的に夏っぽいと思うものを色々と取り入れたつもりです。
あと、最後が妙な終わり方なのは、敢えてです!←