『壊れた人間達の綴り張』 壱
前記
今から二年前の、とある青年によって書かれた書物より抜粋。
日記形式の書物である。
文章は英語で書かれていたので、日本語訳に意訳したものをここに記す事にしてみた。
原文との多少のズレは、許容してくれ。
また、この文章の訳文担当者は荒川万里、つまり私がさせていただく。
注・内容が真実なのか創作なのかは読了者に、その旨を判断していただきたい。
六月一日
暦の上ではとっくに夏になっているが、気象的な観点からみると六月からが夏らしい。
その為かまだそこまで暑いというわけではないが、寒いというわけでもない。
すでに夏の足音は近付いているどころか、猛突進しているということだろう。
猛突進とは我ながら意味のわからない表現だが、ニュアンスは伝わるか?
伝える……と言ったが。この日記を人に見せる事は私の生きている内には無いだろう
理由は色々あるが。……本当に色々あるが。
その一つとして、私がシャイだという事があげられる。
自分の考えが、私が存命の内に誰かに見られるなんて苦行。正直御免こうむりたい。
まあ、それでも『日記』という形で何かを残したい。
いや、残さねばならない事になったので。この日より書き始めとさせて頂く事にする。
ふむ……。誰に了承をとっているのだろうね私は。まあいい。
さて、今日はとりあえずこんな所でいいのかな?
まあ、これからおいおい書かせて頂くとするよ。
毎日書くわけではないが、気が向いたら書くことにする。
それではお互い生きていたらまた会おう。
六月三日
この前の日記から二日しかたっていない。
そのためまだ季節の感触は前と変わらないな。
夏と言うのはどうしようもない季節だと思わないかね?
暑く。暑く。暑く。
ただただ暑いだけで、他に何か面白みが存在しない季節だ。
生き物の芽吹きを感じる春とも違う。
白銀の世界に彩られる冬とは違う。
全てが鮮やかに染まる秋とも違う。
唯暑いだけの夏。
私はこの季節が嫌いだ。
とてもとても嫌いだ……。
ふむ。今日はこのくらいでいいかな。
それではお互い生きていたらまた会おう。
六月二十三日
前の日記から期間が多少あいたな。
まあいい。
さて最近周りで変化があった。そう『変化』だ。
来るべくして来た変化とでも言おうか。
まず、私の足が『動かなくなった』。
次に『思考が安定しなくなった』。
ふむ。似たような症例は病気の一種の中にあるかもしれないが、断じて置こう。
この状態は病気ではない。
では何か?
まあ、それはおいおい書いて行く事にする。
『時間があるかはわからないがね』。
それではお互い生きていたらまた会おう。
六月二十五日
今度は『手が動かなくなった』。
ふむ。嫌なものだ。
そういえば、昨日車いすで外に出てみたんだ。
そこに、夏だからかな。
暑い日差しの所為で、ミミズがアスファルトの上で干からびていた。
なんというか、こう。
無常だね。
小さな生命の命を刈り取るのが、夏の日差しの趣味なのだろうかね?
まあ日差しに罪はないだろうが、善意などもないだろうね。
善意のある日差し……。
ふむ、神秘だな。
さて、今日はここまでにしよう。『手が動かないまま日記を書くのは億劫だ』。
それではお互い。生きていたらまた会おう。
七月二日
『月』が変わったね。
尤も何月になろうと、何日になろうと。
私にとってはどうでもいいことなのだが。
それでも、この夏は嫌だな。
暑い。とにかく暑い。
今日も起き上がったところ、手が暑さの所為か。
『腐っていてね』。
仕様がないから口でぶち切っておいた。
痛みが無いのだけが幸いだったという所か。
しかし、暑いな。
腕が一本ないと歩きづらい事この上ないな。
しかし、暑いな。
頭がくらくらする。
しかし暑いな。
生きていたら。
しかし暑いな。
『また会おう』。
七月五日
……。
…………。
………………。
………………………………………………………………………………。
イキテイたら。マタあオう。
『壊れた人間達の綴り張』 弐
七月十日
さて、ようやく落ち着いてきたね。
身体から力が抜けて来る。
だが、心は非常に落ち着いているよ。
ただやはり、夏は暑すぎるな。
暑すぎると頭がおかしくなる。
私の日記の内容を見て、君たちは総じてこう思うだろう?
『なんなんだこれは?』とね。
まったくその通りだ。なんなのだこれは。
いや、私が一体何なのだ?
思い出せなくなってきたんだよ。自分の存在の意義がね。
ああ、まったく。こんなことなら『話に乗るんじゃなかった』。
マリに完璧に騙されたよ。だから東洋人は嫌いだ。
特に日本人はかわいい顔してやることがエグイね。
まあ、いいさ。
美人に騙されるのも英国紳士の嗜みの一つさ。
まあ、こんな状態で紳士も何もないか……。
さてこれくらいにしようか。
生きていたらまた会おう。
七月二十日
終わりかけている。
私をめぐっている『モノ』が、形をひそめてきてね。
ようやっと外に出ようという心持になったようだ。
それはそうか。
何せ私はもう、『器』としては、成り立たないからね。
『モノ』達も、半分幽霊の様な生しか持たない私の、いや、最早骸と言っても問題無い私の中に、何時までも居続けたくないだろう。
実験は終了だ。
まったく、夏は嫌いだ。
暑すぎる。
今日もまた、鳥が干からびて朽ちている所を見たよ。
夏は嫌いだ。暑すぎる。
さて、もうそろそろこの日記も終わりかな。
期間がとびとびで済まなかった。
実は毎日書いていたんだが、文章として成り立っているのがこれくらいでね。
それじゃあね。
生きていたら、また会おう。
七月三十日
身体がもう動かない。
身体? 何を言っている?
すでに身体なんてない。
ならば何だ?
思念か? これは心か?
意志か? 私は意志によって動いている?
なんだこれは? なんだこれは?
なんだというんだ? 気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
吐けハクハクハクハク。白白白白。
君はははは、何故ナゼぇ? 生きている?
もうすぐ同じおなじはおこはあか。
君はもうすぐ同じ。
君の中にも『モノ』が ア 入る?
生きてミロ。マタアオウ。
はちがつ……。
しんじつだ。
しんじつをかたっておこう。
わたしはヒトだ。
キミらをいくら喰らっていようと。
人なんだ!
覚えておいてくれ。
覚えておくんだ! 良いか!!
意識が覚醒している! 今だけだ!!
これを読んでる人間! 逃げろ!
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!!
地の果てまで、天の果てまで!
逃げるんだ!
『モノ』は喰うぞ? お前らを内から外から全てから!
喰い荒して喰い荒して喰い荒す!!
私はもう、身体が存在しない! 思念だけで全てを動かす存在だ!
幽霊? 幽鬼? そんなものはない!
全て人間だ! 人間が作り人間が欲し人間たらんと、壊れた『モノ』だ!
ああ、動かない! なんで無いんだ!
手も腕も足も『頭も無いんだ!!』
なんで生きている? なんで私が生きている?
こんな状態でなんで生きていると『実感できる!!』
逃げろ!!
お前らもこうなる。こうなるんだよ!!
生きていない! もう会えない!!
九月一日
生きていたかったかい?
マリ。君は天才だ。
生きていたかったかい?
しんでしまったね? さようなら。
後記
以上を持って、謎の怪文書と思われる日記の訳文を終了とする。
尚、この日記で触れられている『モノ』という正体については、謎のままである。
おそらくこの日記を記載したものは、精神病院か何かで幻覚に囚われていた、典型的な心神喪失の患者と思われる。
私がこれを訳文したのは『偶然に過ぎない』。
ただし不可解な点が一つ。
この日記が書かれたのは、紙などの劣化具合から二年前と推測されたわけだが。
その前後に、フランスで一つのある事件が起こっている。
『都市部人体停止事件』。
とある都市が、何か特殊な病原菌に侵され、住民がそろって『五体が動かなくなる』という症状におかれた。
尤も病原菌と言っても、正体が依然分からず。専門家は全て匙を投げた。
しかし、そのような特殊な状況はわずか一日で解決した。原因は不明だが、その『都市』は今も普通に存在し、普通に住民も暮らしている。
謎は謎のまま終わったということだ。
唯、唯一手がかりがあるとすれば。そこにはとある東洋人がいたということだ。
その東洋人は、異様な奇術や、幻術。そして科学に精通していたという。
彼(いや、彼女かもしれない)の存在が、その謎の一端を担っているという可能性はかなり高い。
尤も、手がかりも何もないので、事件は迷宮入りのままだ。
唯『マリ』と言う名前。それだけが、この日記から手がかりだと推測出来る。
東洋人と『マリ』。
それは同一人物か?
中々に面白い事だと思わないだろうか? ねぇ? 読者諸君?
では、これにてこの日記の『訳文』を終わる。
記載者は私こと荒川万里著。
読みは、『あらかわ まり』。
では。
生きていたら、また会おうじゃないか?