こんにちは。
前回に引き続き、恐縮ですが参加させて頂きたく。
『夢の置き場所』
――此処は何処だ?
それは酷く在り来たりで、意味の無い疑問だったと思う。気が付いたら『俺』が存在した、この霞みのようにモヤモヤと曖昧な世界は……一寸考えただけで、『夢』を視ているのだと分かるはずだったから。その中で寝起きのようにというのも笑えるが、ズキズキと痛む頭を抱えつつ、ゆっくりと起き上がった。
「夢……か。我ながら、地味な配色だな」
其処は真っ白で、光だけの世界。真夏の朝、カーテンを思い切り開いたように清々しく……だけど不安になるくらいの無色。こうなると、自分には色があるのかどうか確認してみたが。もっと地味とも言える、モノクロのスーツ姿に辟易する結果に終わった。こうも個性に欠ける俺の夢なら、無色なのも当たり前の事かも知れない。
(…………)
嗚呼、それにしても無為だ。夢くらいは色の在る、瑞々しくて鮮やかな世界を感じてみたいと思ったのに。此処は現実と似て、上を仰いでも下を覗いても単調で……飽き飽きするほど何も無い。俺は此処に、何をしに来たのだろう……?
――ああ、いや、その前に。『現実』って、なんだっけ? 俺は……何者だ?
「ふふ……思い出せませんか?」
「ッ…… !?」
突然の風鳴りのような声が、無色の世界に響いた。息を呑むようなタイミングで、それはするりと俺の心に落ちて。不思議だ、驚いたけれど恐れはない。これは『そういうもの』だと、本能じみた部分で理解出来てしまう。姿は見えないけれど、『彼女』はここに居るのだと。
(この声を……知っている? くそ、思い出せない……)
――『夢』は閉じた世界、自らを映す鏡面。その中で会話するなんて、自分と喋るようなもので馬鹿らしいけれど。気付けば、何故か親しみのある声に応えてしまっていた。『現実』で縁のある人の声なのだろうが……その現実が思い出せない、もどかしさに駆られながら。
「……一応訊くけど。あんた誰だ?」
「私は……貴方を良く知っていますよ」
くすくすと笑い、はにかむような声。空間に意味のない夢世界で、耳元で囁かれる感覚に身震いした。この感じを、やはり俺は知っている……それも心から願った、幸せのカタチの一つであったはずではなかったか? この顔も分からぬ誰かと、俺は一緒に居たいと望んだ――
「そ、それでは答えになってない! あんたは……」
いや待て、俺は何を。じわりと身体に沁み渡る幸福感に、意味もなく不安になった。『現実』を都合よく忘れているとは言え、流石に分かる。これは、俺には不相応な幸せだ。いつだったか、若い頃かも知れないし最近かも知れないが……強く強く願いながらも、自分のために捨ててきた『ユメ』の面影を感じてしまったのだ。
「ふふ、何を恐れているのです? 『現実』を思い出せないのなら、それでも良いんです」
「ッ……」
「その代わり……貴方の望みを、思い出してください」
ああ、これはマズイ。もっと聴いていたい、傍に感じたいと願ってしまう。確かに、これは『夢』だ。かつて叶えられなかった『願い』を返り見る、この幸せと苦しみが夢ならば、こんなものは要らない。だって辛すぎる……この世界から帰る先は、あまりにリアルで色褪せた『現実』。この白い世界に在ったのは言葉と光、それらは全ての始まりを内包しているのだと……今更に思った。
(ああ……俺の望み、俺の夢は)
――そして、仰ぐ上には星のような輝きが生まれ、地面には草の薫りが漂い出した頃。目の前に低く聳える緑の丘、その曖昧な色に中てられて、今にも泣きそうな感傷に耐えて眼を閉じ……俺は、自らの望みを思い出す。
(続く)
『夢の置き場所』-2
「俺の、望みは……」
「ええ、望みは?」
柔らかな微笑みから生まれた優しい声は、かつて俺の良く知っていた人の声に良く似ている。その、忘れようとして本当に忘れてしまった『ユメ』を、今になって見せられるなんて。もはや一回転して苦笑いしか出来ない心境で、ゆっくりと眼を開けた。
「俺の願いは、『君と生きる』事……これで合っているだろう? 由愛(ゆめ)?」
「ふふ、それは私には分かりませんよ。ですが……私の願いも、『貴方と生きる』事でした」
――かつて、愛した人が居た。その彼女が今、目の前に居て微笑むのは如何なる奇跡だろうか。いずれにせよ、随分と都合のいい話だ……見れば俺も彼女も、出会った頃の姿のままなのだから。夏の薫りがするワンピースは、彼女のお気に入りで。垢抜けないジーパンとTシャツ姿になった俺は、モノクロのスーツよりもずっと輝いていた。
(信じられないな……合わせる顔なんて無いのに、こうして夢に見るなんて)
この世界は、もう俺の知っている現実よりも鮮やかに彩られ、群青の空には星が溢れて流れていく。彼女の長い髪を風が涼しげに揺らし、幻想的なくらいに綺麗で怖いと思った。やはり、それは分不相応だと。
「はは……やはり、此処は『夢』なのかな」
世界の美しさ、懐かしい由愛の薫りに泣きそうになる前。そのどうしようもない不安を、思わず口にした。嗚呼、帰りたくないと真摯に祈ろう……それがベツレヘムの神子でも、ギリシアの夢神であったとしても。夢と現を反転させる力があるのなら誰でも良い、俺を此処に繋ぎ留めてくれ、と。その情けなく歪んでいるだろう顔を見て彼女は尚、女神の如き柔らかい微笑を浮かべて言った。
「いいえ、此処は夢でありません……私たちの『夢の置き場所』ですよ」
「夢の……置き場所?」
そうです、と。こちらを誘うように背を向けて歩きだした彼女の後を、オウムのように尋ねながら追う。無言のまま、後ろの小高い丘を登っていく彼女の足取りは軽く。対する俺は、今だに思い出せもしない『現実』に縛られて、十字架を背負ったような重い足を引き摺っていた。『夢』では無いと、彼女は言ったが。それは俺が夢みる理想であって、目が醒めればまた、彼女の事すら忘れて日常に塗れるだけでは無いのかと。ああ、この丘を越えれば、其処で終わりでは無いのか――
「さあ、見てください。此処は破れた夢の集う場所――もう一つの『現実』です」
「え……?」
由愛の声に誘われて、伏せた目が自然に上がる。気分的にはゴルゴダにも似た悲壮な丘の頂から、見下ろした風景は。遠く荘厳に連なる山々と平野、丘に隠れていた目を瞠らんばかりに玲瓏な満月、そして――
「あれは……街? なんて、なんて綺麗な……」
――それは溢れる星空を、静かな湖面に映したような街の煌めき。灯りの一つ一つが揺らめき、命が燃えているのが伝わってくる。電飾や蛍光灯の白い輝きよりも、ずっと幸せそうな光。ああそうか、この街、この世界は……
「人々が捨て、諦めてしまった『夢』は……此処にやって来て、その形を為すことが出来ます。今の私たちは、『私たちの夢』そのものなんですよ」
「は、はは……それこそ、『夢』みたいだな……」
だから、怖がる必要はないと。そう言って、彼女は俺の手を握った。この震えが伝わらなければ良いが。俺には分不相応な幸せも、この夢の街においては霞んで見えるのだから不思議で。眼下に広がる街は、一秒ごとにその輝きを増したり減らしたり……まるで人々の夢見る願いによって形を変えていくようだった。
「まだ信じられませんか? 貴方は、あの人の『夢』……私を望んでくれた形そのものなのに?」
「いや……信じるさ。この際、やっぱり夢でした、なんてオチでも構わないしね」
やっと拗ねるような、かつての彼女らしい表情をみせてくれた由愛の手を握り返す。そう、ちくりとした罪悪感は、きっと自分自身に対するものだろう……『現実』の俺はきっと、永い時間に流されて彼女を忘れてしまったのだ。それを責める事はしないが、哀れではある。しかし、だからこそ……例え目覚めたとしても、何も覚えていない俺は平気でやっていけるだろう。それが、少しは救いになると。なんだかんだ言っても零れた夢を振り切って、きっと俺は新しい目標に向かって走っている最中なはずだから。そうでなければ、『俺』は此処に居る道理が無い。
「それじゃあ……生きましょう。私達のような『夢』には、夢らしく幸せになる義務があります。産んでくれた持ち主が、捨てた事を悔いる事のないように……また、新しい素敵な夢を抱けるように」
「なるほどな……ああ、それじゃ。俺も生きようか、由愛と共に」
――手を繋いで丘を下りる足取りは、二人ともに軽く。降るような星空には、朝の蒼みが差していた。出来る事なら現で眠る『自分』にも見せてやりたいと、そう思う。君の願う世界は、こんなにも美しい……それは誇るべき、叶わなくとも大切な夢なのだと。いつか叶えた時には、同じ世界が見られるのだと教えたい。
さあ、今日も目を覚まして。退屈な日々を回し、いつか此処まで……俺と彼女の居る、この街まで辿り着く事をこそ、夢に見よう。
(了)
後記:お目汚し、失礼しました。夢というテーマに沿えているかどうか怪しいですが、読んで下さった方には最大限の感謝を。他に投稿される作品も楽しみにしています!