何をするのも辛くなって、何をするにも無気力な空っぽの日々が始まって、そろそろ一週間が経つ。
父さんが死んだ、それは変わりようのない事実であり、否定もできない。
良い人だった、素晴らしい人物だった、参列者は次々とそう言っていた。
そんな事は実の息子である自分が最もよく分かっているというのに。
ちゃんと割り切って現実と向き合いなさいって言われても……無理だ。
最愛の父親を失った気持ちは、母さん以外には誰も分かっちゃいない、そう思った。
普通に祖父母は全員先に死んでいるのだし、父さんに兄弟はいない。
現実に帰る、その必要があることは、確かに理解しているのだが、高校受験に乗り気になるつもりはない。
良い高校に入ったら父さんが生き返るのか? そんな訳ない。
だったらもう、ほっといて欲しい。
この世から一人や二人無気力になっても、世界は大した打撃とは思わないだろうし。
title:Dream that show the dream
部屋に転がっているのは、泥のついた野球ボールとか、積み上げられた教材とか、そんなのばかり。
平凡な、野球部の学生の暮らす一室にしか自分には見えないのだが、余所から見たらそうじゃない。
他人が見たら、部屋のど真ん中に哀しみに打ち拉がれる少年がいるのだから。
下の……一回の方から友達の声が聞こえてきた。
毎日毎日、この時間帯になると僕と話すためにやって来ている。
頼んでもいないのにだ、なんとも素晴らしい友達を持ったことだろうか。
しかし僕は皆とは会おうとは一度もしなかった。
皆はきっと、僕を見てすぐに慰めようとするだろうが、それが耐えられないと分かっている。
「お願いだから……寝かせて欲しい……」
僕は布団を、力一杯握りしめて、抱きしめた。
気付いた時には周りの景色は一面銀色だった。
すぐそこで空間が終わっているような閉塞感と、終わりの見えない広大さに対する恐怖という矛盾した感情にかられた。
ここはどこなのだろうかと考えていると、途端に銀の世界はカーテンや靄が払われるように激変し始めた。
今度は、地面は一面の緑の芝生、天は雲一つ無い青空へと変貌した。
どうやら、どこかの広場に迷い込んだのだろうとすぐに理解し、それなのに立ちすくんだ。
何で自分がここにいるのかがまだ分からないからというのもあるが、なぜか自分の体が五歳前後までに縮んでいた方が、よっぽど驚きだった。
ここで自分は何をしているのかという、ささやかな一筋の疑問がふと頭に浮かんだ。
見渡す限りの気持ちの良い草原に、一人で何もせずに突っ立っている、なんてことはあるまい。
ふと、気付いた時に僕は、重心を左側に持っていかれ、左肩から地面に叩きつけられた。
転けてしまったことに苛立ち、一体何事なのかと左手を見るとそんなイライラはいっぺんに吹き飛んだ。
握り締めるようにして、その手に持っていたのは、新品でピカピカの上等なグローブ。
つい、条件反射で、今までの不可思議な感覚はどこへやら、諸手放しで喜んでいた。
高揚感がこみあげてきた僕は、喜びを認識するよりも先に、立ち上がっていた。
目の前には、まだ僕が小さかった時の、若かりし時の父さんが居る。
革のグローブの中には何やら球体状の感覚、状況から察するにもちろんボールだろう。
空いている右手で、はしゃぎながらゴムボールを掴み取った僕は、目の前の父さんに向かって投げてみたいという意思をあっさりと受け入れている。
ちょっとヨタヨタとした感じで、小さな手に精一杯の力を入れて握り締めた。
軽い弾力が帰ってくるのを確かめて、よろめくような投球フォームで放たれたボールは放物線を描いている。
茶化すように父さんは、高い高いと言って笑っている。
その目はとても嬉しそうで、嘘偽りの無い満面の笑みが顔中を満たしていた。
そろそろ慣れっこになってきたが、またしても不思議な現象は起きた。
何度かキャッチボールを繰り返すうちに、段々と身長が伸びてきたのだ。
それに伴い、今までずっと息を潜めていた怒りが、沸々と沸き上がってきた。
一度投げる度に一つ、歳をとるようにして、僕は本来の身長に戻っていった。
次第に、父さんの顔には薄い皺が次々と現われてきたのだが、その顔がもはや死ぬ日と全く違わぬ顔だったため、怒りは最高潮にまで押し寄せて爆発しそうだった。
泣きながら憤怒の形相を浮かべる俺が相当奇怪だったのか、不安になったのか、ようやくあっちの笑みは消えた。
「どうしたんだ? いきなり泣き出して」
「……あんたのせいだろ」
最初、声が小さくて父さんには聞こえなかったらしいが、二回目を告げると共に、ちょっと顔をしかめるようにした。
「俺のせい? どうしてだ?」
「死んだから! ……あんたが、死んだからだ……!」
「何だ、そんなことか」
そんなこと、とか軽く見ている割にはかなり哀しそうな顔だった。
今、自分の父親が何を感じているかは、どうでも良いことだった。
「でも、そのせいでお前が塞ぎ込むのを、俺は望んでないぞ」
「何なの? 父さんの死を喜べって言うの? 無理に決まってんじゃん。これ以上適当なこと言うなら……」
「俺はお前には、普通に生きて欲しい」
いつになく真剣な表情を、真正面から受け止めた僕は、何も言い返せなかった。
冬に積もった雪が溶けて雪解け水に変わるように、サラサラと怒りは消滅していった。
その動きに合わせるようにして、父さんの姿も、足の方から靄がかかるように消えていっている。
もう今しかないと思った僕は、静かに、じっと掌の中でうずくまっているゴム球を向こうに向かって投げた。
もうすぐ、消え入ってしまいそうなのに、残った左手でボールを受け止めた彼は今度こそ消えて、見渡す限り真っ青な草原から、僕の意識はフェードアウトしていくのが、感じられる。
目が覚めると、さっきとは何も変わってはいなかった。
布団は重苦しく自分に巻き付いてきてるし、目覚まし時計の針は四時十五分を指していた。
今のは夢だったとは分かっているのだが、本当に夢かも断言できない、そんな気がする。
だって、あそこで会ったのは、紛れもなく本物の父さんだったのだから。
ガンガンと、耳に響く騒々しい音が部屋の中で大きく反響した。
いつもなら、鬱陶しくて仕方なくて早く去れと、心の中で悪態を吐いているだろう。
だけど、今日はそんな気にはならなかった。
「五月蝿いな、今開けるから待ってろよ」
ようやく重い腰を持ち上げて、ドアの前に立った。
部屋の隅では、泥の後の付いた薄く汚れた野球ボールが、ゆっくりと転がっていた。
fin
文字数が中途半端で二回に分けてしまいました。
まあ、それほど自信が無いのが出来上がったのですが一応……