Re: 第五回SS大会「夢」 投稿期間 4/27~5/22(再延長) ( No.277 )
日時: 2012/05/21 22:23
名前: 夕凪旋風◆PQzQy5g.72
参照: みゅんみゅんぬんっ。

 『Nostalgia』


 ――ねえねえ、きいてよ、おかあさん。
 たけしのやつがさ、またぼくをいじめてくるの。ぼくはなんにもしていないっていうのに、あいつはたのしそうにわらいながらぼくをぶって、あたらしくかったゲームとかマンガをひょいってとっていっちゃうんだ。ほんとうにひどいやつだよね? せっかく、おこづかいをためてかったものだったのに。おとうさんがはたらいてもらったお金だったのに。ぼく、すっごーくかなしくなるの。でもね、すぐにたのしくなるの。たけしがおうちにかえると、かならずたけしママのかみなりがおちてくるから。あんた、それどうしたのって。たけしはさ、ひとのことをさんざんいじめるくせに、うそだけはつけないやつなんだって。だから、たけしはしかられて、なきながらぼくにゲームやマンガをかえしてくるんだ。ほらよ、やっぱりいらないって。それがおもしろくて、それをまたみたくて、ぼくはたけしにゲームをとられっぱなしなんだ。おこらないでよ? わるいのは、たけしなんだから。

 ――なあ、聞けよ、母さん。
 この前の二者面談で担任のゴリ松がさ、こんな成績じゃあこの高校は無理だって言ってきてさ。随分おかしな話だろう? いつも自分で限界は作るなとか言っていたくせに、こういう時に限ってしゅんと小さくなりやがるんだ。俺、すっげーぶん殴りたくなった。いや、そこにみっちゃんがいなかったら殴ってた――って、違う! みっちゃんがいたからじゃなかった! うん、そうだ、そこに校長のハゲ森がいたんだよ! さすがに校長の前で教師殴ったらヤバイじゃん? そうそう、みっちゃんいても俺は殴ってたね。だから、その目だけはよせよ。違うっつーに。それよりもな、今から頑張ったらあの高校に入れないかなと思ってさ。親父に言ったら、まずゴリ松に無理だと言われたことに怒りだして、もうカンカン。話どころじゃねえよ、あれは。でもマジでヤバイから、母さんにしか言えねえんだよな。なあ、俺、大丈夫かな? まだ入れる確率、ちょっとくらいはあるよな?

 ――お、おふくろ? ちょっと聞いてくれって。
 この前、部長と飲みに行った時のことなんだけどな、部長がぐいぐいいっちゃったせいで酔っ払って、それはそれは美人の店員を口説いてたんだってさ、俺。その話聞いた時はもう、変な汗が噴き出てきたんだよ。なんでかってそれは、すこぶる美人だっていうのは酔った部長の色眼鏡を通した姿で、実際は全然そんなんじゃないの。部長の携帯にそん時の写真があって、しかも部長、それをみんなに見せびらかしてくるから、おかげで俺は先輩たちの笑い者さ。本当に最低だと思わない? 俺、もう部長とは絶対に飲みに行かないって決めたよ。っていうか、もうこれからは一人で飲むようにする。ああ、そうだ。一人ってのが一番だね。気楽だし。だから、長くなったけど、見合いの写真はもう結構デス。

 ――お母さん。今日は話があって来ました。
 実は中学の同級生だった美里さんと結婚することになりました。いや、結婚することになりましたじゃないな。美里さんと結婚したいです。彼女と結婚させてください。お願いします。あ、美里さんの両親とはもう、話をつけました。お父さんにもさっき、挨拶してきました。きっと、天国で僕たちを温かく見守ってくれることだろうと思います。美里さんもそう思うだろう? 父さん、妹のあずさが彼氏を連れてきた時は倒れちゃったけれど、僕にははやく結婚しろとしか言っていなかったから。喜びすぎて、また倒れないといいのですが。それで結婚の話の続きなんですが――え? いいの? 本当に? お、や、やった! ありがとう、お母さん。大丈夫だって、心配はいらないよ。これからは二人でちゃんとやっていくようから。だから、そんな泣くなって。俺ももう、大人なんですよ。



 ――おーい、母さん、母さんっ! 俺の声、聞こえてる?



 聞こえてるよ。そう答えようとしてわたしはピアノの鍵盤の上で躍らせていた指を止めた。惨めになるほど皺くちゃな上に、おびえたように小刻みに震える手を膝の上で揃え、声の主の方へと体ごと振り向く。そこには、顔つきや体は同じ人間なのかと疑ってしまうほど変わったものの、幸か不幸か、中身はあまり変化が見られない息子が優しく微笑んでいた。昔はこんなの慣れないと口を尖らせていたくせに、今では文句一つ言わずに毎日着ているらしいスーツ姿で。
「似合ってる?」と息子が両手を広げて、今更と言いたくなるようなことを問うてくるので、わたしは大きく首を縦に頷いてみせる。別に息子のスーツ姿を見たのはこれが初めてだというわけでもないのに、彼はこんなにスーツが似合うのだと思ったのは今回が初めてであった。よく、時が経つのは早いものだと残念そうに呟く人に対して、どうしてそんなに残念がるのだろうと疑問に思う理由の一つがこれだ。私には楽しくてたまらない。息子ははにかんだ笑みを浮かべながら、小さな声で「ありがとう」と言った。

「やっと俺もスーツが似合う男になれたみたいだよ」

Re: 第五回SS大会「夢」 投稿期間 4/27~5/22(再延長) ( No.278 )
日時: 2012/05/21 22:26
名前: 夕凪旋風◆PQzQy5g.72
参照: みゅんみゅんぬんっ。

 彼の背後には、かつてわたしたちが住んでいた小さな一軒家があった。近所の人たちから何度も、本の世界から持ちだしてきたようだ、と言われた赤い屋根の家。今にも学生服に身を包んだ息子とあずさ、そしてお父さんが揃って玄関から飛び出してきそうである。しかし、空の様子が現実と明らかに違っていた。雲一つない真っ青な空がすぐに赤くなり、やがて漆黒の闇に染まっていく。そして、またすぐにそれが晴れはじめ、再び赤く、黒く、といったように空の様子が数秒ほどでころころと変わっているのだ。太陽と月が変わりばんこに出たり引っ込んだりしていて少々気味が悪いが、中々面白い。いつの間にか近くに置いてあったピアノは消えており、わたしはプラスチック製の椅子に腰を下ろしていた。

「あ、そうだ。母さん、今日は会ってもらいたい人がいるんだ」

 息子は一人で頷きながら両手を打ち付けると、家の方に向かって「おーいっ!」と声を張り上げる。すると、茶色のドアがゆっくりと開き、中から黒い髪を二つに結った少女がひょこっと顔を覗かせてきた。水色のブラウスを着たその少女はわたしを見て困ったように首を傾げたが、息子がこっちこっちと手招きをすると、素直にこちらへ向かってきた。

「紹介するよ。娘の由芽だ」

 由芽ちゃんはぺこりと頭を下げ、「ゆめです」と舌足らずな声で言う。名前よりもですの方が強調されていた。
 何歳だい? わたしが訊ねると、由芽ちゃんは指を四本立ててみせた。四歳ね。あら、一番可愛い時期じゃない。甘やかされすぎるのはよくないけれど、たくさんたくさん可愛がってもらうといいわ。わざと息子に聞こえる声量で呟いてみれば、息子は肩を震わせて笑った。「甘やかしやしないさ」と。

「美里さんが孫の顔を見せないのは可哀想って言っててね。よかったよ、嬉しそうで」

 そうねえ、死ぬ前に孫の顔が見れてよかったわ。これでお父さんにも女の子か男の子か教えてあげられる。笑いながらそう言うと、息子は「冗談よしてくれ」と苦笑した。由芽ちゃんは何が起こっているのか全くわかっていないようで、息子のスーツの裾を握り締めながら首を傾げている。彼女の大きな瞳にはわたしの姿が宿っていた。
 幸せになるんだよ。ふいに思いついて、由芽ちゃんの頭を軽く撫でてあげる。そして今度は息子の方へと視線を向けると、幸せにするんだよと言った。
「大丈夫だよ、母さん」息子はそっと由芽ちゃんを抱き上げた。「心配するなって」

「俺は母さんにしてもらったことを、こいつにしてあげるだけだからさ」


 ――それが、合図だった。


 空気が吠えるように震えたと思った次の瞬間、ぶわっと巻き起こった一陣の風がわたしの服や髪を揺らし、あ、と声を上げる暇も与えずに息子と由芽ちゃんを連れ去っていった。わたしだけを残して、呆気なく風に飲み込まれていってしまった二人。残されたわたしはしばし、呆然と彼らが立っていた場所を見つめていた。しかし、やがてはっとして顔を上げた。近くからくすりと小さく笑う声が聞こえてきたからだ。案の定、そこに立っていたのは息子と同じスーツを着たお父さんだった。
 可愛い子じゃないか。お父さんはそう言って微笑んだ。わたしも笑って頷いた。


「――そうね、あの子にそっくりだわ」



  end