紅は炎。
蒼は水。
翠は風。
金は雷。
藍は氷。
白は光。
黒は闇。
大魔導師に勝る者無し。
title:No one is stronger than the greatest magicians
山地に囲まれ、荒涼とした岩肌だらけの平野にも、もちろん街は存在する。
古より、人が集まり、そこで暮らそうと思った時にこそ街は誕生するのだ。
ただし、その街が長続きするのかは、その土地条件や人々の努力次第だろう。
どれだけの人がいようと、何の取り柄もない街では長い間生き残れないだろうし、それならばむしろ食糧問題のために、多すぎる人口は邪魔になる。
だが、裏を返すとどれほど過酷な環境であろうと、存在意義のある街ならば存続できるという訳だ。
そして、その街もまさしくそんな街の代表例だった。
ミネ・グルーヅ・モタイン、古き言葉で金の採れる山、という名前を持つこの街は、世界有数の金山を持っていた。
それを最初に見つけた、大昔の遊牧民が、その金山を掘ることを生業とし始めたのが、きっかけだ。
それ以来、数世代経った今でも、町民はせっせと採掘しているのだ。
彼ら自身の魔法で――――。
この世には、魔法と呼ばれる不思議な力が確かに存在していて、人々はそれを活用している。
用途は、お使いから戦争にかけてさまざまな用途で使用される。
魔法というものには、それを使うためのエネルギーが必要であり、大概がそれを魔力と読んでいる。
しかし、言語によってその名前は様々で、魔力が公用語というだけで、土地によってはマナやMP、気などとその名が異なる場合もある。
魔法は、何種類も開発されており、その性質によって色分けされている。
紅が炎、蒼が水、翠が風で金は雷、藍は氷で白が光、もしくは回復系統、黒はその他全ての雑多なものと闇の魔術だ。
まあ、誰にでも修得できる、努力だけでお金のかからないお手軽な武器だが、やはり才能や得意不得意は存在する。
魔力は、人間が持つことができるのには限界がある。
そして、体の中に所有できる程度の魔力では、マッチ代わりに使う炎は扱えても、戦うには些か心許ない。
それなのになぜ、戦争の道具として使える程の威力を発揮するのかというと、大気中の魔力を吸収して使役するのだ。
その、吸収の能率の良さと、元から体に蓄えられた魔力が多ければ多いほど、より強い魔法を使えるようになる。
そして、鍛練を重ね、詠唱の言霊を重ねることで、より複雑な魔法を使えるようになる。
前者は才能が要り、後者は言わずとも分かるだろうが努力である。
つまりは偉大な魔法使いや魔導師になるには、才能と努力が共に必要だということになる。
こんな説明ばかりでもつまらないので、最後に一つだけ。
この世には、大魔導師と呼ばれる魔法使いがいる。
彼らは、全世界に七人しか居ない、各色のエキスパートであるのだとか。
「なあ、婆さん。いつものやつ頼むよ」
西部劇にありそうな街の、とある一つの飲食店に一人の若者が入ってくるなりそう言い放った。
鼻の頭や腕には泥がはねて渇いたのか、薄膜状に白い砂が貼りついていた。
おそらく、つい先程まで金山でせっせと掘っていたのだろう、そして昼の休憩だ。
気さくな話し方で分かる通り、店主の老いた女と青年は知り合いであった。
この、金山で働いている正義感の強い性格のこの男は、この店の近所に住んでいて名をゼインと言った。
この店の常連であり、自炊の苦手なゼインは、しょっちゅうここで朝昼晩のどれかはお世話になっている。
いつもの、と言われた店主は、足下の棚から皿を取り出し、その後に背後の食材庫からパンを取り出した。
そしてついでに分厚く切られた肉を取り出すと、あらかじめ熱しておいた鉄板の上に乗せた。
肉に付いた脂が溶けだして、熱い鉄板の上で胃袋を刺激する音と匂いを生み出し、店中を満たした。
これだよ、これ、と呟いて、ゼインは小さく舌なめずりして、焼き色がついていく肉を舐めるように見つめている。
もう少しで焼き上がるから少しお待ちよ、と店主の女がたしなめても、涎が止まらないらしい。
「先にパン食っときな」
「あざっす」
待ちきれないのだろうと悟った老女は、肉が焼けるよりも先に青年にパンを差し出した。
待ってましたとばかりに彼は一気にそのパンに噛り付いた。
何の味付けもされていない普通のパンなのだが、空腹ならばそれだってご馳走だ。
見る見るうちにパンがゼインの胃に押し込まれていくうちに、生肉は次第にこんがりと焼けていく。
そして、マスターの女がゼインに肉を出してやろうとしたその時、店の外で、何かが倒れる音がした。
「なあ、今ドサッて音がしたけど何なんだ?」
「分からん。ちょっとあんた私の代わりに見てきておくれよ」
目の前の餌にお預けをくらった犬のように、無念そうな顔をしながらも、ゼインは席を立った。
どうせ、ちょっと強めの風が吹いたせいで荷物が倒れてしまった程度だろう。
そのような、適当な予想を張り巡らせても当たる訳はなかった。
そもそもこの青年は知っていたはずである、この店の主は必ず、届けられた荷物は店内にしまっておくと。
それなのに、そのような結論を急いて決め付けたのは、それ以上の面倒事があってたまるかという意識があったからだ。
事実そこには、予想通り、もしくは予想を上回る面倒が地に伏していた。
「おわぁあ! 何だお前っ!」
外に出てすぐに、男が発した言葉を、店主の女はしっかりと耳にした。
かなりの驚きに包まれた叫び声であると共に、それほど恐れている声ではなさそうだ。
杖を持ったならず者が来たのではなく、行き倒れた乞食でもいたんじゃないのかと思ったのだが、両方違っていた。
ひどく狼狽してしまったかと思うと、ゼインが、仕方ないと言い、しゃがみこんだ。
何かを掴んだかと思うと、それを引きずるようにし、精一杯の力を腕に込めて建物の中に運び込んだ。
ゼインが運んできた男の格好は相当に変り者のようであった。
無造作に見えるが、実はただの爆発した寝癖である黒髪、そして真っ黒なローブを羽織っている。
歳はゼインと対して変わらないであろうその顔は、何だか酷く頼りなかった。
腹を空かして行き倒れているせいなのだろうが、見るからに元気のない表情をしている。
分かりやすくこちらの言葉で形容させてもらうならば、草食系のなよなよした奴、だ。
そして極め付けに、手には魔導師の証明書である、足元から胸ぐらいまでの長さの魔法の杖を持っていた。
修行の旅がよほど険しい道のりだったのか、先に挙げたローブはボロボロに擦り切れている。
「あんた、おい聞いてんのか?」
年老いたマスターが慌てているのも知らずに、ゼインはと言うと彼を起こそうとその頬をひっぱたいていた。
「馬鹿もん、魔導師をはたく奴があるか」
「えっ!? 魔導師……って杖! マジかよ……」
ここまで引き上げたくせに、今更になって杖に気付いたのかと、呆れる店主をさておき、ゼインはひどく驚いた。
という訳で肩を揺するようにして起こすことに変えると、程なくして彼は目を覚ました。
「おっと、目が覚めたか?」
「えっと……こちらはどこでしょうか」
「ミネ・グルーヅ・モタインだよ。うちの店の前で倒れてたんだよ」
目が覚めた彼の声を聞いたゼインは、危うく吹き出しそうになるのをどうにかこらえた。
彼の声音やしゃべり方は、外観から想像した通りの、気弱でおどおどとしたようなものだったからだ。
開かれた瞳も、偉そうな魔法使いのものではなく、ひ弱な小動物の方がよっぽど近いだろう。
このような魔法使いがこの世の中に存在している、ということが驚きだった。
「あんた、よくそんな性格や態度で旅に出ようって思ったねぇ……」
何日旅したのかは知らないが、何らかの事情で倒れるまでだと、それなりの日数であろう。
しかも、外傷が見当たらないので倒れる原因となったのは、飢えか渇きか病かのいずれかだろう。
万全の準備をした後の旅立ちの場合、そんなことになるのはかなりの日数を要するだろうと予測できる。
そして前述の通り、外傷がないため、道中では山賊に会わなかった、もしくは全て無傷で倒したのだろう。
だが、それはそれでとても強い驚きだ。
確かに、旅をするような人は魔法使いや魔導師だけとは言え、それでも弱い人は弱い。
山賊とは、旅の途中に立ち寄れる街へと続く街道やその周辺で待機しているはずなので、この街に来るならば、会わないでやり過ごすのは不可能な話なのだが、無傷で倒すのはもっと不可能なはずだ。
きっと、どうにかして相手の目を欺いて街へと入場したのだろう。
だって、大魔導師に勝る者は無いのだから。
「実は、ちょっと前にマギ・ヴィーヌの御殿に召された御師匠様からの、最後の修行でして」
マギ・ヴィーヌに召された、それは魔法使いの死を意味している。
マギ・ヴィーヌとは、古き言葉で魔法を司る女神という意味である。
魔法使いは死んだら、自身の魔力に引きずられるようにして意識や魂も一緒に女神の御殿に運ばれるのだ。
「そうかい、冥福を祈るよ。セユ・アガイン」
セユ・アガインはまた会いましょうという意味合いであり、死者に対してのみ使う。
いずれ死後の世界でまた会えることを願います、という祈りが込められているのだ。
「一週間ぐらい、ずっと歩いていたんですよ」
そのせいで飲み物も食料も無くなっちゃって……、と頼りなさげな表情で自分で呆れるような顔をした。
金銭は一応あるようなので、普通に料理を注文した彼はカウンターに座った。
ゼインはと言うと、店主が目を離した隙に、先にカウンターの方に腰掛けてまだ湯気の立ち上る厚い肉を食べていた。
「ほへは……俺はゼインって言うんだ。お前は?」
最初、口に物を含みながら喋ろうとしたのだが、汚いからやめろと老いたマスターの睨み付けるような視線とあまりの喋り辛さに一度閉口し、口内のものを飲み込む。
そしてもう一度口を開いた時には、素朴な質問を目の前の少年へと呼び掛けていた。
「僕は、ネロって言います」
それだけ言うとネロも、出てきた料理に夢中になって手を出し始めた。
「ネロっていうのか、珍しいな。それに、黒い目も珍しいな」
「えぇ、黒い瞳にあやかって、ネロって名前を貰ったんです、師匠から」
その、名前を師匠から授けられたという言葉に、少し胸の奥を針で突かれたような痛みを二人は感じた。
この世界では、黒い目や黒い髪を持って生まれた子は忌み子として迫害される。
天性の、生まれながらの闇の魔術師であるという象徴であるからだ。
その昔、手に負えないほどに、心の中に闇が侵入した黒魔導師が暴れたせいで世界の崩壊寸前まで陥ったせいだとか。
その魔導師が、生まれついた日から黒い瞳に光を宿らせ、後に生える髪も漆黒であったそうだ。
それゆえ、世界の破滅の再来ではないかと怯え、人々は自らの息子娘であっても、忌み子ならば捨ててしまう。
ただし中には、忌み子を正しく教育しようとする者もいるらしく、ネロの御師匠様もそのようなものだろう。
「じゃあ、あんたの師って……オスキュラスかい?」
「はい、おばさん。よく知ってますね」
「知り合いだったからね。あたしはフィートって名なんだけど、聞いたことないかい?」
瞬間、ネロの表情がどこの誰が見ても分かるようなほどに爆発的に変わった。
見知らぬ土地で助けてくれた恩人に対する重たい目付きから、もっと気さくで友好的な、歓迎的なものに変化したのだ。
「あなたがフィートさんだったんですか! それはこの街が平和なはずだ。あんな山賊がいるのに……」
「お前、山賊に会ったのか?」
食後の余韻に浸り、ぼぉっとしていただけのゼインの表情も、瞬く間に変化した。
山賊に会って身ぐるみを剥がれなかった者がいることにひどく興味津々のようだ。
しかし、会ってはいないという意思表示のため、ネロはゆっくりとかぶりを振った。
「いえ、そうではなくて……よく師匠から話を伺ったものですから」
「なるほどな。そういえばあんたの師匠って何者? 聞く感じ、結構凄い人っぽいけ」
ゼインは、結構凄い人っぽいけど? と繋げたかったのであろうが、それは叶わなかった。
なぜなら、それを遮るほどに大きな音が周囲一体をつんざくように走り抜けたからだ。
耳が痛いと言うより、身体中が振動するほどの、低くて重たい、爆発音。
その爆発音に、一同は顔から血の気が引き、まさに顔面蒼白となってしまった。
何事かと思って最初に飛び出したのはゼインで、頭に血が昇ったのか、ただの野次馬根性なのか、一目散に駆け出す。
それを引き止めようとしたのだが、フィートは間に合わなかった。
「待ちな、ゼイン! ……って言って聞くようなたまじゃないなあいつは」
そう言いながらフィートは、慌ててカウンターの方に引っ込んで何かを探すようにしゃがみこんだ。
ネロが見守る中、フィートはごそごそと引き出しの辺りを探り続けている。
いきなり、彼女は弾かれたようにしていきなり立ち上がった。
「ようやく見つかったよ。ここ何年も使ってなかったからね……」
「行くのですか?」
「当たり前さ。弟子一人で何とかなる相手じゃないからね」
心配そうな目をして、不安そうな声音になっているネロを諭すようにしてフィートは杖を構えた。
ついでにローブもどこかから取り出したようで、純白の絹のものを羽織っている。
杖の上端に取り付けられた宝玉に魔力が流れ込み、強い閃光が屋内に迸る。
「オスキュラスがいないんじゃあ、あたしがいくしかないねぇ」
苦笑いを浮かべた彼女は、可愛い愛弟子のためなら仕方ないと呟いて、低く小さな声で詠唱を始めた。
ぶつぶつと唸るような魔術の詠唱と共に、杖には魔力が注ぎ込まれ、頭部の宝玉はより一層その光を強くした。
「光、汝我の眷属とならん! 瞬光〈ライトニング〉!」
完全に、部屋の中をまばゆい閃光が埋め尽くしたかと思うと、その光はほんの一瞬だけ強くなる。
強くなったその瞬間、フィートはその杖を横一文字に振るった。
その瞬間、明るいだけの光に熱がこもったようになり、今まで堪え忍んでいたネロも、網膜を焼かれるような刺激に目を閉じた。
光が去ったその時には、もうすでにフィートの姿はそこから消えてしまっていた。
残されたのは、杖とローブ、そして服だけのネロ、そして店内に漂う、残存の魔力だけであった。
*
町外れの一角は、たかだか数刻の時を過ごしただけで、街から廃墟へとその姿を変えていた。
ねじ曲げられて断ち切られた家の木材の割れ目はまだ真新しく、大層恐々としたものだ。
多くの者は急いで避難した上、逃げ遅れた者も命からがら軽傷で済んでいたのが幸いだ。
この場を蹂躙しているのは、付近にその活動領域を広げている山賊の首領格の連中だ。
戦争が起こった時には国に雇われて、その絶大なる力を知らしめる圧倒的な大魔導師、だ。
山賊の頭となる五傍星、紅、蒼、翠、金、藍の大魔導師である。
大魔導師は正義の味方であると、信じて疑わない無知な民衆もいるが、それは間違いだ。
強ければ誰もが正義ではない、むしろ強者こそが弱者を踏み躙るのが世の理というものだろう。
事実、大魔導師はその者の器量に関わらず、強さだけで決定する。
しかし、最強の魔導師の七人の全員が全員悪であるならば、世界は、政府は崩壊する。
それを押さえているのが、白と黒の大魔導師だったのだ。
炎や氷など、分かりやすく戦闘に適した属性の魔導師は世界の抑止力、そして光と闇の二大魔導師は彼らの抑止力。
白や黒の者は、自分が死ぬ前に、自らの後継者に成り得る存在を見つけださねばならない。
条件はこちらの場合たった一つだけであり、それは正義感を持っているか否かだ。
力など、後からいくらでも付けることができるが、生まれついた時からの性というものは、後からは中々変わることはない。
そして、先代の大魔導師が、次世代のそれを弟子に取り、育成するのだ。
そして、現在教育途中の次世代光の大魔導師、それがゼインであった。
「で、まあそのお弟子さんはズタズタにやられました、と」
嬉々としてそう笑ったのは、白銀の髪の毛の気さくそうな青年だ。
無邪気な子供のように笑ってはいるが、内容が内容なだけに共感しがたい。
目の前には、彼が直接手を下した同年代の男が転がっていた。
銀髪の青年は、その服装から目の前で横たわる男が金山で働いていると一目で見抜いた。
手に持った、タクト状の細く短い杖が青年の魔法で折られたせいで、もう反抗はできない。
全身に打撲や切り傷のできあがったゼインは、苦しげに低く呻いて、睨むように大魔導師を睨んだ。
「翠の……大魔導師……ゼカか……?」
「まあね。瞳は藍色、髪の毛は銀だけど、魔力は翠っぽいらしいよ。だから見てくれがこんなでも翠の大魔導師さ」
あっけらかんとした口調でゼカはそう答えた。
もはや敵にならないゼインは恐れるどころか誠意を示すのすら億劫らしい。
足元のゴミを眺めるようにして、街の破壊を他の奴らに任せっきりにして嘲り始める。
「それにしてもお前の師匠はどうした? 尻尾巻いて逃げてったのかな?」
「んな訳あるかよ。お前ら、師匠に勝てないくせに……」
「ま、一対一ならね」
流石に五対一なら負けないし、と卑怯な手口をサラっと、当然のことのように口にした。
必然的に、そういうのには目ざとく、耳ざといゼインは、即座に首を持ち上げて軽蔑の色を込めてその顔を眺める。
「まさか、目的は最初から……」
「まあね、黒の大魔導師亡き今、白を片付ける必要があってね」
その説明を終えるのを見越していたかのようなタイミングで、他の四人が戻ってきた。
恰幅の良い体型、褐色の肌を持つ中年男性、ローブが赤いことから、紅の者だと伺える。
その次に降り立ったのは、青い瞳に冷酷な光を宿す、人魚や人形のように美しい女性、きっと藍の魔導師だ。
彼女を追うようにして、見るからに正反対の性格をしていそうなブロンドの女も現れた。
彼女の体表を、雷撃が走る様子は、ショートした配線のようである。
一人、遅れをとって参ったのは、筋肉質の大男で、巨大な斧を構え、今にも振り回さんとしている。
「ま、五人の大魔導師が一人の魔導師に負けるなんて、相手が天才と呼ばれた黒魔導師でも有り得ないね」
ぽつりと、ゼカはつい最近その訃報を知らせられた男のことを語りだした。
その男は今まで世に出た中で最も強い黒の魔術師と畏怖されていた。
後継者のことを誰にも知らせようとせず、それを隠したままに死んでいったのだ。
もはや、その後継者を知っている者は、本人の他にはいないだろうと、ゼインは師たる女から教えられていた。
「とりあえず、彼女の理性を欠く手段の一つとして君の死を利用するけど悪く思わないでね」
大気が喉をならすようにして、うなり声を上げているような爆音がした。
そこいら中の空気がねじ曲げられ、強制的に螺旋を加えられていく音だ。
一度だけ見たことがある、魔法で作られた巨大な大竜巻が大自然を飲み込む時と非常によく似ていると、ゼインは思い返した。
「バイバイ」
友達に対して、また明日にでも会おうと約束するのとよく似た口振りで、ゼカは別れを告げる。
巨大な空気の竜みたいなサイクロンが、ゼインを呑み込もうとしたその時、全員の目の前で光が弾けた。
さながら光の大爆発であるそれは、風の竜を包み込み、それを消し去った。
魔法無効化魔法、光属性の中でも強力なそれを扱うのは、今の世では光の大魔導師ぐらいだ。
「あたしの弟子に、何しようとしてんのさ」
ゼインの危機に、瞬光の魔術で現れたのは、フィートであった。
「これはこれはフィート様、お久しぶりにございます」
フィート……つまりは光の大魔導師の出現に対して、五人を代表してゼカが恭しく一礼する。
友好的な笑みをたたえてこそいるが、今しがた行った破壊活動は、友好の兆しなど見受けられない。
宣戦布告、寝首を今にも掻いてやろうと舌なめずりする蛇のような微笑みだ。
そのためにフィートはあからさまに顔をしかめて、白々しいと吐き捨てる。
やはりそうくるのかと、目の前の五人の目付き、そして顔つきも変化した。
「それでは、死んで頂きましょう」
「最初から猫被らないでそうしてりゃ良いんだよ」
元からそれを計画していたのであろう、ゼカの口から放たれた言葉に、気丈なフィートは強気に返す。
この期に及んでもまだ強気でいられる老女に、金の大魔導師が侮蔑の笑みを浮かべる。
抑止力として存在する白の大魔導師は確かに紅や蒼と比べると数段上の実力を有するだろうが、それも一対一においてのみの話なのである。
白の場合は、他の全ての連中が結託し、共に天下を取りにくる状況を想定してはいない。
しかし、それは白の場合は、なのだ。
今日この瞬間に彼らがフィートを襲撃した一番の理由は黒の大魔導師が死んだという報せが入ったからだ。
黒に至っては、白が窮地に陥るような敵でもあっても必ず勝てる実力を必要としている。
つまりは、五人の大魔導師が集っても、必ず勝利できるような力を保持していないといけない。
よって黒の大魔導師には大いなる責任が生じてしまうのだ。
他の者を抑えつけるだけではなく、己の力に溺れないようにする責任が。
それを完璧にこなしたのが、つい最近に天上に召されたオスキュラスという人物なのだ。
彼は、世界の破滅の再来とも言われるほどの強力な闇の魔術師であり、その力は世界を崩そうとした太古の魔法使いよりも遥かに上だとの定評もあり、状況証拠的にそれも事実だと言われている。
「だけど黒は死んだ。老衰だ。そしてあなたは白だ、私には勝てても私達には勝てない」
金髪をなびかせ、金の彼女は腰に手を当てて挑発に出る。
勝利はほぼ確定しているが、あなどってはならない相手なのだ。
末期の際に大魔法でも使って一人二人こちらの人員を欠いてくるかもしれない。
となると、迂闊に近寄る訳にもいかないので間合いを取ったままに彼女は言霊を紡ぎ始める。
「…………雷鳴集いて監獄となる」
微かに聞こえただけの呪文からフィートは、彼女が唱えようとしている魔法を察知する。
全方位を取り囲む形状をした雷の監獄の錬成呪文であり、かなりの上位呪文でもある。
取り囲まれたら袋叩きなのは目に見えた展開だ。
だが、その目に見えた羨望にわざわざはまってやるかのようにフィートは立ち尽くしている。
刹那の後に天空より飛来した黄金の稲妻が何十本も地面に突き刺さり、格子代わりになり、円形の牢屋が完成する。
「仕留めるわよ、皆」
「了解」
「オッケー」
「わかせて」
「当然だ」
牢屋の番人が一気に勝負を片付けようと周りの者を急かすようにして呼び掛ける。
了承の意を示す言葉が各々から飛び交い、皆が皆己の杖に魔力を宿した。
紅く、蒼く、緑に、金に、藍に輝いたその様子を目にしたフィートはふと笑みを漏らした。
本当に捕えたつもりでいるのかと。
五色の閃光が空気を駆けるその瞬間、脳内で一瞬で詠唱を完了させた彼女は瞬光を発動した。
瞬間、フィートの姿が消えた後にまばゆい光が辺りを埋め尽くす。
閃光が雷撃の中心を射ぬき、その眩しすぎる光が晴れた底には、傷ついた老女など見当たらなかった。
フィートは、いつしかそこから脱出していたのだ。
「瞬光か……」
瞬光とは術者の肉体を光の森変換し、高速移動を可能にする光属性の上位魔法だ。
魔法の発動している間は闇以外の全ての攻撃は一切通用しないので、あっさりと脱出できる。
「そうさ。あんたらもまだまだ若いな」
「うーん、それがどうなのって感じだけどね」
瞬光は体全体を全く違うものに変換する、言うなれば奥義クラスの呪文。
その消耗は一秒だけと言えどもかなりのもので、短時間に二度もそれを行使するなど、フィートにとっても荒技のはずだ。
隠してはいるのだろうが、確実に彼女の息はすでに上がっているに違いない。
「弟子連れて逃げたらオッケーって魂胆だろうけど逃がさないよ」
「できるのか? お前達に?」
得意げな表情で挑発するフィートに少しずつカリカリし始める五人の大魔導師。
彼らは未だにフィートの意図していることに気付いていないようである。
「あたしはただの時間稼ぎさ。黒の大魔導師が来るまでのね」
「オスキュラスは死んだ。弟子に継承されただろうが、まだ成り立てほやほやの素人だろう。恐るるにたらんな」
そんな事も分からないのかと言いたげな目を見て、フィートは目の前の一団が哀れに思えてきた。
分かっていないのはどちらの方だと、嘆息しながら諭してやろうかと思ったが、年寄り臭いかと思い、開きかけた口をつぐむ。
全く若者の早死になんて見ていられないと、苦笑混じりに頭を左右に振った。
「早いとこ実力見せて御覧よ、ネロ」
地面に張った薄い氷が割れていくような、乾いた粉砕音が耳に響く。
フィートと、彼女と敵対する五人の間の空間に縦方向に二メートルぐらいの亀裂が走る。
空間内に亀裂が入る魔法なんてそう多くないため、そのような呪文を彼らはほとんど知らないために仰天した。
唯一その術を知っているフィートは飄々としているが、ゼインまでもが驚いている始末だ。
ちゃんと教えたじゃないかと、若い弟子に愚痴をこぼしながらフィートは解説を始める。
瞬光が光属性の魔法で、高速移動するための、つまりは二点間を素早く移動する動的な術に対して、静的な闇の魔術。
離れた二点間の空間をねじり、直接つないでしまう、大魔導師以外には使用を禁止された闇属性の禁術、黒穴〈ホール〉である。
禁止するまでもなく、大魔導師クラスの魔法使いにしか使えないのだが、むやみに使用してはならないと自覚させるためにだけ、禁忌として名を馳せている。
縦の亀裂から、今度は地面と水平な方向に亀裂が入り、どす黒い空間が垣間見える。
その中から、一際強く輝く二つの点が鈍く光った。
ネロの、漆黒の瞳だ――――。
「どうも、初めまして。この度黒の大魔導師に就任致しました、ネロと申します。大魔導師の皆皆様方、どうかよろしくお願い致します」
恐ろしげな気配、それなのに関わらずネロは年端もいかない少年のあどけなさを残していた。
にっこりと微笑んだその表情だけ見ると、ただの見習い魔法使いにしか見えないのだ。
柔和な笑みには、大魔導師の威厳など、宿ったものではなく、見ている方が微笑み返しそうになるほどだ。
しかしそれは外見だけの話であり、彼の恐ろしいまでの実力は、肌で感じている。
ゾクゾクしてしまう魔力が、体から漏れだして周囲を取り囲んでしまっているほどだ。
「お前がか?」
「はい。若輩者ですが、精進したいと思います」
ネロが言い終わるのと、ゼカが目配せするのとはほぼ同一のタイミングであった。
ネロが言い終わったその後に、一斉に五人は杖を構えた。
白と黒が揃ってしまったのなら、先に不意討ちで片方を潰せば良い。
狙われたのは、明らかに経験が足りないだろうと推測されたネロだ。
「ごめんね、若輩者のまま死んどいて」
今まさに、ネロへの集中砲火の口火が切られようとしたその瞬間に、彼らの腕は止まる。
地べたに這いつくばっているゼインは、何事かと思って五人の侵入者が見上げた方向を目で追った。
そこには、その存在感を重厚に示すほどのプレッシャーを持った扉がそびえていた。
高さ百メートル、横幅三十メートルを、目測でゆうに凌駕するサイズの門に顔を引きつらせる。
分厚い扉一枚隔てた向こうからは、まがまがしい災厄の気配が感じられた。
黒の魔法とは闇の魔術であり、闇の魔術の本質は“魔”と呼ばれる者との契約だ。
向こう側の、魔界と呼ばれし大帝国には闇の魔法使いと契約した異形の生物が住んでいる。
「このサイズ……龍でも召喚する気なの……」
不安そうな声が抑えきれず、恐怖に震えた声で金の大魔導師は呟いた。
心なしか足元もおぼつかないようで、震えているようである。
その扉がゆっくりと開いていくにつれて、向こうにいるものの息遣いが聞こえてくる。
突風が吹くような、荒々しい吐息……。
ゼカが気付いた時には、味方の軍勢は、全員がすでに肩を震わせていた。
もちろんゼカも例外ではなく、震えは止まらないのだが、鼓舞しなくてどうすると無理矢理言い聞かせ、叫ぶ。
動揺をひたすらに隠した凜とした声が響き上がり、まだいけると気持ちを高く持てた。
「落ち着け! 龍は、かつての闇の魔法使いを超えたオスキュラスでさえ三体が限界。三体なら俺たち五人で対応できる」
どうせ見習い、召喚できても一体や二体と、高をくくった五人は詠唱を始める、先手必勝の言葉を信じて。
しかしそれは徒労というものだった。
「……………………………………バカな」
予想外の仰天の事実に、一同は完全に硬直してしまう。
今度は、さしものフィートまでもが信じられないと天を仰いで呆然と立ちすくんでいる。
こんな光景は、彼らにとってはお伽話や神話のような世界にしか存在しないと思っていた。
完全に解き放たれた門扉からその姿を拝ませているのは、荘厳とした風貌の巨龍であった。
鱗の一枚一枚が頑強で、まるで刃物のように鋭く、獲物たちの返り血に塗れながらも神々しく煌めいている。
その眼は邪悪なようで、神聖でもあり、神にも悪魔のようにも見えた。
牙の隙間から漏れだす吐息はさながら強風のごとく大地をなでる。
そして、空間をつんざき、天空はるか彼方まで響く特大の咆哮は、地響きを起こすほど。
そんな龍が、赤青緑金白で五体も現れたのだ。
「それでは女神の判決をお伝えします」
マギ・ヴィーヌからの勅命をしかとご理解下さいませ。
ネロの声が、咆哮の後の静寂の中ぽつりと漂った。
「女神の……判決?」
「えぇ。あなた方の行動は他の誰にでもなく、女神への背信行為です。罪は重いですが、死にはしません」
素の彼らを知っていたならば、その場面は絶対的にありえないような光景だったであろう。
五人もの大魔導師が、たった一人の青年の前で意気消沈とした様子で、怯えるようにしているのだ。
それを見ている青年は、確かに丁寧な言葉遣いなのだが、それのせいで威圧感を増しているように思えた。
どれもこれも真後ろにいる龍がその状況を招いているのだろうが、実質のところはそうとも言い難い。
確かに龍は魔術師などとは一線を画している存在なのだが、それでも五体の龍は召喚されたのだ。
魔術師が召喚できる魔物は、絶対的に召喚者よりも弱い個体であるはずなのだ。
なぜなら、魔物には召喚者の言うことを聞く義理はあっても義務は無く、抵抗されたら魔導師の命に関わる。
そのため、ネロがその龍を召喚するためには彼らが確実に裏切らないと断言する自信、もしくは彼ら以上の強さが求められる。
しかしだ、龍とは、体躯が大きければ大きいほど、その力は強くなる。
鋼鉄の門から顔を覗かせる五体の巨龍はどう見ても龍王と見て間違いないだろう。
つまりそれ五体全てが裏切らないと言い切れる、もしくは五体がまとめてかかってきても、ネロはねじ伏せられるのだ。
後者は人間としては信じがたいのだが、その可能性が強いと誰もが悟っていた。
「それでは皆さんへの罰をここに宣言します。大魔導師の資格剥奪、及び全魔力の生涯没収です」
その瞬間に空間内に凄まじい魔力の奔流が満ち満ち、周囲の気圧が高くなったかのように思われる。
とたんに、ネロの銀髪はうねるようにしてざわめき立ち、黒々と変色していった。
その姿は、まるで絶対的な力を持った、最高位に位置する帝王のように映るほどだ。
「生涯……没収?」
そんなこと、どうやったらできるんだと掴み掛かりそうになるのを、ゼカは必死に堪えた。
思い出したのだ、より強い魔力は弱いものをかき消し、龍族には魔力の発生を司る体内器官を壊す能力があると。
龍の気の込められた吐息、すなわちブレスと呼ばれる代物には、そういう性能があるのだ。
ふと目を配らせてみると、その先では五体のそれらは大口を開いてエネルギーを充填させている。
発射準備オーライ。
誰が言わなくても、それはすぐに察せられた。
「皆! 逃げ……」
「不可能です」
尻尾を巻き、踵を返し、おめおめと逃走しようとするゼカ。
周りの者にも避難の勧告をし、逃亡を促すために、叫ぶ。
だがそれすらも言い終えないうちに、ネロはそんなことはできないと、易々と断言してみせた。
大きな力が、一瞬にして炸裂する気配を、五人の大魔導師は文字通り体感してしまった。
ローブを翻し、はためかせ、敗走するその背中に、容赦のないブレスが浴びせかけられる。
その時に、彼らは自分の体から魔力が漏れだしていくのを悟った。
大きなタンクの底に穴が開いたどころの話ではない、もはや底が抜けきってしまったかのような、だだ洩れの現象。
それは全て、空気中に出た瞬間に龍の息吹きに燃やし尽くされてしまい、その存在が否定される。
気付いた時には彼らは、ただの一般の“人間”になってしまい、意識を失った。
「全ては、女神の仰せのままに」
胸の前で斜め十字を切った後に、神に対しての敬意を示すように天を仰いでネロは祈りの言葉を紡ぐ。
この罪人たちにも、どうかこの先の未来に必ず安住の時を。
歴代、最も心優しく、そして女神に最も忠実な黒の大魔導師の最初の仕事はそれだった、という話だ。
ようやくお終い。
長くなった上にラストが微妙で申し訳ないです。