『ブラッドリーテンペスタ(審判の日に鮮血は舞う)』
西暦二千二百四十二年十二月二十八日。
それは、知的生物として初めて地球を支配した生物。すなわち人類の滅びた日。
白い雲の絨毯が、無限に敷き詰められている。永遠に続く雲海。その上に巨大な西洋古城風の建造物が、幾つも聳え立つ。その建物は各々景観を崩さないためにか、純白の壁をしている。そんな中でも特に大きく、目立つ城が有った。
現在の建物にして、百階建て以上に値するだろうその巨大建築物の天辺から、白髪の長い顎鬚を蓄えた男が世界を見下ろす。彼の眼下に見えるのは、長大なビル郡が並ぶ大都会。朝も夜も決して眠らず、文明人と自分を称す愚者達が跋扈する下界。
「人間は豊かになりすぎた。人間は知識を得すぎた。人間は……」
人間の年齢にして齢八十にはなるだろう老いた顔をしかめ、彼は口唇を震わせながら言葉をつむぐ。そのしわがれた声には、確かな哀れみと悲しみの感情がにじみ出ていた。老父は青い瞳から一縷の涙を流し、最後に言葉を付け加える。
「人間は世界の害悪でしかなくなった。滅ぼさねばならない」
そのしわがれた声は重く深く、老人の悔恨と苦渋が滲み出ていた。当然だ。人間もまた彼の作った存在の一つなのだから。
Part2へ続く
Part2
ここは人間界。天上の神々の存在など知る由もなく、自らを文明人と称し、世界を我が物顔で占領する者達の住まう場所。既に神が人間に与えた地球という領域はほとんど開拓され、彼ら人間は自分たちの許されぬ領域、宇宙をも掌握しようとしていた。
「グッドモーニング、文明人の皆さん! 今日もまた新たなる文明人とわれわれは交流することに成功しました!
彼等はアスペルタ人と名乗り、凄まじい肉体能力を持っていながら優しく、人間に好意的です!
きっと、私達人類の馬車馬として役立ってくれるでしょう! 新たなる知的生命体アスペスタ人を皆様受け入れてやってください」
進化して完全なスリーディーを体現した巨大スクリーンには、連日のように新たなる宇宙人の発見が放送される。そして、必ずニュースのリポーターは言うのだ。彼等は地球人に役立つから皆受け入れろと。
だが、それは端的に言えば、地球人が他宇宙人と比べて、圧倒的な戦力と文明力を有するが故の支配的な言葉だ。決して友好的ではない種族は政府により秘匿され武力で脅し、餌付けして人間に従う状態になったら、マスコミに情報提示して放送させる。
当然ながら、その陰険なやり取りを知る一般人はほとんどいない。世界政府の完璧な情報統制により、地球市民は皆が子供のようにニュースの内容を疑わず、鵜呑みにするのだ。しかし、そんな市民たちの中で連日放送されるこのニュースを穿った見方をする者がいる。
「これでは、全宇宙がエントロピーを崩し、主たちが造り世界が崩壊してしまう。何としても地球人は排除せねば……」
透き通るような白い肌をした華奢な若者だ。中性的で優しげな儚い顔立ちをした若者は、文明の利器を使わず何かと交信する。それは彼の主である神々だ。エントロピーとは感情値のことである。憎悪、恐怖、嫉妬といった負の感情。そして、愛や希望、慈悲といった正の感情の大きく二つ。それらが均衡を保ち世界は存在しているのだ。勿論、拮抗を崩せば世界は混沌し崩壊する。知力が高い生命体ほど感情を強く持つため、極端な感情を抱くと世界のエントロピーが傾きやすい。今、地球人が行っていることは極端に他知的生命体に恐怖を与える行為だ。このままでは負の方向に天秤が傾き、世界が終わってしまう。
「はい、主よ。もう、一刻の猶予も許されないと思われます。どうか大命を!」
「少し、考えさせてくれ……」
切迫した様子で許可を要求する青年に対し、老人と思しき通信先の主が口をつむぐ。青年は人間を滅ぼすことに引け目を感じているのだと、すぐに理解する。当然だ。自身が作った存在なのだから簡単に消したくはないだろう。
だが、それは青年とて同じだ。人間の姿は彼ら神々の尖兵である天使に限りなく似ている。ゆえに強大な知力と文明力を有しているのだ。しかし、彼等は知っている。一つの物に対する愛着によって、全てを失うことのむなしさを。最終的には護ろうとした物まで失う現実を。
「主よ、人間は最早矯正はききません。我々、創造主が鉄槌を下すしか方法はないのです!」
中性的な顔をした青年は必死に訴える。敬愛する神々が創った世界を維持するという使命感のために。
「――分った、審判を下すことを許可する」
老人のしわがれた声が鼓膜をたたく。青年は小さく拳をあげるが、それ以上に大きな虚無感が胸中を駆け巡ったのを感じ、歯噛みする。
「もう、覚悟はできていたことではないか。何、我々が力を奮えば一瞬で終わる。痛みは時間が癒してくれる」
青年は動揺した心に何度も言い聞かせる。そして、立つ。戦争でも討伐でもなく、ただの殺戮へと身を投じるために――
「赤い、世界が赤い。主よ。我等が主。貴方方のために罪を感じ苦しむことは、私達の義務ですよね?」
自らの主である神が、英断を決した瞬間。天使の視界は全て朱に染まった。紅、赤、朱。しばし一括し“赤色”と言われるそれらが、なぜ知的生物全般の血の色に適用されているのか。それは、天使や神にとって、罪と罰の象徴だからだ。死を恐れよ。命を慈しめ。世界にそれを見るということは、彼自身が神の創造物たる人間を滅ぼすことに、嫌悪感を感じていることの証明であり、彼等を長年見つめてきて感情移入していた結果でもある。
「やらねばならぬのだ」
律儀に人間生活を監視するために借りた自室から、玄関口を介して退室する天使。周りを見回すと、既に人々は外を歩き回っている。ペットの散歩をしている者や学校や職場へと向かっている者。談笑する者や既に仕事を始めている者達も居る。
彼はこの風景が嫌いではない。天使などよりよど強い個性を持った者達が、夫々思い思いの行動を取っている。夫々の思惑で。彼が人の世の調査に当り既に十年近くが過ぎていた。慣れ親しんだ存在も多数居る。
そんなことを周りを見回しながら考えていると、突然恰幅の良い濁声の叔母さんが声を掛けてきた。
「あらぁ、貴方仕事はどうしたのぉ?」
「お早うございます。今日は休みですよお婆さん?」
彼女もまた赤く見える。だが、体格や声色で顔見知りだと認識し挨拶を交わす。いつも人の世話を焼こうとする優しい叔母さん。だが、殺さなければならない。自らが判断を急がせ、承諾を得たのだから。自分が一番槍にならなければい。強く心に言い聞かせる。
「あら? アリアさん、何だか手が……」
「すまない」
彼の名はアリア。人類殲滅作戦の司令官として、神々より待命を受けた存在だ。神の許しと彼により放たれる攻撃が、作戦の合図と決定されている。神は決断した。次は自分の番。そう思い、力を振るうことを決め自らの指先に霊力を収束させていく。
その青白く輝く燐光に訝しがる、知り合いの叔母さんに小さく彼は誤り力を解き放つ。一瞬にして目の前に居た女性は砕け散り、骨も残らず青炎(せいえん)の中に飲み込まれていった。舗装された道路が切り裂かれ、近くにあった家屋が真っ二つになる。ミシミシと音を立て襤褸アパートだった建造物は砕けていく。
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Part3
「何だ!?」
「爆発か!?」
「意味が分からねぇよ! ってか、これ死者とか出てんじゃねぇ!」
「あの辺、俺のアパートじゃねぇか! 友紀は……親父は!?」
そのあまりに現実感の無い光景を見て、人々はただ立ち竦む。各々が心配や恐怖、或いは死体や破壊という非日常への興味を口にする。そんな彼らの全ての言葉をアリアは砕いていく。彼の全身が光り輝き、青い稲妻が当たり一面を這い巡る。
周りにあったあらゆる物を破壊していく。自分の借りていた宿も、いき付けのコンビにも。舗装された歩道橋も砕かれていく。人々は雷に飲み込まれると同時に、悲鳴を上げ倒れこみ灰と化す。
男女問わず悲鳴が響き渡り、困窮に溢れた阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。だが、力を振るい始めたからには地球はすぐに滅ぶ。
「人間達よ。すぐに全員殺してやろう」
――――――――――――ー――――
彼が力を振るったことは、すぐに他の天使軍に伝わる。数秒後には軍の率いる巨大な母艦たちが、人間側の戦力からすれば突如として現れる。人間達にとっては未だ未知の領域にある技術で、姿を消して待機していたのだ。
「総司令官! 突然、宇宙に戦艦が現れました! 見たことの無い機種です!」
「数は!?」
敵対型の好戦的な新宇宙人の出現かと、総司令官と呼ばれた男は臨戦態勢を引くが。余り緊迫した雰囲気ではない。幾度とない野蛮な宇宙人の襲撃を、高い技術を誇る地球の兵器で、看破してきたが故の余裕だろう。だが、彼の華々しい経歴も今日で終わりとなる。
「総司令官! ザーク防衛戦線が壊滅しました!」
「…………」
銀河系に常駐している宇宙艦隊が、報告が入って銃数秒で壊滅するのだ。地球の前線を守護する艦隊だ、勿論防御力や機動力といった落とされ辛さに繋がる性能は最高である戦艦を揃えている。オペレーターの報告に思考が追いつかず総司令官はしばし沈黙した。
「馬鹿な。そんな馬鹿な! 我が地球軍は最強のはずっ!」
第一防衛戦線、最精鋭部隊が一瞬で壊滅。援軍が来るのも間に合わずやられた。今まで信じてきた最強への自負が一瞬が砕けていく。総司令官の口唇は力なく、上の空となる。
「数は? 数は幾つだ?」
「敵軍の数は、十三。信じられません! それと日本の東京やイギリスのロンドンが正体不明の怪物に襲われているそうです!」
十三。司令官が必死で口を動かし聞いた質問は、更に絶望をあおる結果としたならなかった。そしてすぐにオペレーターからは、また驚愕の情報が伝えられる。その襲撃の姿がモニターに移されると、そこには人に羽の生えた自分達が天使という存在にそっくりな者達が居るではないか。それらが正体不明の圧倒的なプラズマやレーザー、焔で見知った町町を蹂躙していく。カメラは現実しか映せない。
「馬鹿な。これは我々にとって未曾有の危機なのでは……」
「第二防衛戦線がほぼ壊滅しました!」
事の深刻さを理解したと同時に、百戦錬磨の将である彼は理解した。この未曾有の進撃は今の人間の力では全てを出し切って求められない。懺悔し死を待つか、降伏が利く相手か試してみるか。十中八九白旗を振ったところで意味は有るまい。増援を送っても援軍が届く前に間違えなく戦線は破られていくだろう。止まった蚊を叩き殺すような容易さで、相手戦艦十三体は彼の軍を駆逐していく。
「勝てる可能性はあると思うか?」
「いえ、有りません」
軍人なら世界を守るため最後まで戦え。上官の勝率に対する質問に関しては、勝てないと言うな。それはどこでも叩き込まれる常識のはずだ。だが、オペレーターは欠片の迷い無く、本音を口にした。総司令官もそれを許してくれるのを分かった上で。
「キンズリーよ……長くこの職に居るが、本当に滅びる時は何者もあっさりよな」
「はい、エズグード総司令。あぁ、我々の滅びの光のようです。これは神々の裁きなのでしょうか」
哀愁に満ちた瞳でエズグードという名の司令官はつぶやく。同じく長く彼と付き添っていたキンズリーは、総司令ではなく名前で呼び頷く。それとほぼ同時の話だ。画面上に今までに無い強大なエネルギーの就職を確認したのは。無限、計測系を振り切るその力の総量は、当たれば間違えなく地球が滅びる数値だ。その光を確認したと同時に、天使ににた生物達は姿を消す。
「神の裁きか。思えば地球を襲っていた輩はまるで天使だ。何の抵抗も出来ず、誰一人護れず……神というのも勝手なものだ」
「本当ですね」
鉄槌が下される。人々の懺悔も諦めも何もかも、それは飲み込んでいく。世界が焦土と化し、人も鳥も木々さえが息絶え消え去った。膨大な爆発が銀河系中を包む。真空空間では音すらしない。物悲しさ感じながら、地球から離脱したアリアは黙祷を捧げた。
「眠れ、人よ」
――――――――――――ー――――
西暦二千二百四十二年十二月二十八日。八時十分頃。寒空の下、人類は謎の巨大勢力により、十数分で滅ぼされる。血も骨も残らず、全て紅蓮の炎によって焼き尽くされた。高温で青く棚引く炎は全てを溶かしていき、地球人が築いた文明を跡形もなく焼き尽くした。
天使達は愛すべき家族を殺すような、非業に満ちた顔で血の涙を流しながら力を奮い続けた。
血の涙を流しての、神々による悲しき審判は終り、地球人は母星とともに一人の例外もなく死んだ。
「空しいですね。地球のあった場所が全て紅く見える……」
「罪の感情がそうさせているのじゃアリア。彼ら人類全ての血があの空間を朱に染めておる」
「……我々は間違っていたのでしょうか主よ?」
「そうじゃな、おそらくは間違っていたのじゃな。どうしようもなくワシ等短慮じゃった――」
赤は罪の色。
何もかもが赤く見える今は、彼らが罪に溢れているからだろう。神は懺悔した。何も考えず人を作ったことを――
地球だった場所が赤に覆われている。そして、自らたちも赤にまみれているのだ。
罪に溢れている。世界が――
人も神も過ちを繰り返す愚かな生き物なのだろう。
人は傲慢でさかしいだけだが、神々はさらに強大な力を持っていることを鑑みれば、更に赤いべきなのは神々なのか知れない。
END