『彼女と彼と赤の事情』壱
愛していたの。
ええ、愛していたのよ?
好きだったの。すごくすごく好きだったの。
ずっとずっと好きだったのよ?
ええ、誰にも負けないくらい好きだったの。
どれくらい好きか? すごくよ。もう言葉じゃ言い表せないほどに。
天地引っくり返っても、世界が終っちゃう日が来たとしても。それでも揺るぎないほど愛していたのよ?
ええ、愛だったわ。
例え彼が別の女を見ていても。
例え彼が別の女と付き合っても。
例え彼が別の女と結婚しても。
それでも愛していたの。ええ、愛していたわ。
いつもいつも。
【見ていたの】。
なんで見ていたのかって?
愛していたからよ?
それ以外に何かある? 愛があれば、あらゆることは許されるのよ?
あなたそんなことも分からないの? ああ、駄目ね。駄目な人だわあなた。
愛を知らないんだわあなた。
そんな人生屑みたいなものよ。糞みたいなものよ。。汚物よ汚泥よ。
だから知るといいわ。私みたいな愛を。
純粋で美しくてまっすぐな愛を。
知りなさい? 知るべきよ。 知って学ぶべきよ。
ええ、話してあげる。話してあげるわ。私の【愛のお話】。
だから聞いて? ね? 聞いて?
最後までよ。最後まで。最後の最後の最後まで聞いて?
聞いて?聞いて?聞いて?
聞いて聞いて聞いて聞いて聞いて聞いて聞いて?
私の愛を。
真っ赤な真っ赤な。情熱的な愛を。
そして記憶して?
私の愛の物語を。
そう。これは私の【愛のお話】なのよ……。
聞いたらきっとあなたも。
誰かを愛したくなるわ……。
『彼女と彼と赤の事情』弐
「じゃあ、行ってくる」
彼が今日も家を出ていく。
いつものように素敵な笑顔と、ビシッとスーツを着こなして。
中学の頃に出会ってから何も変わらない。いつものような素敵な姿で。
ああ、やっぱりこの人はかっこいいわ。とてもとてもかっこいいわ。
「今日はお帰り遅くなるのかしら?」
「ん? いや、今日はなるだけ早く帰ってくるよ」
彼はいつも家に早く帰ってきてくれるわ。
彼はとっても優しいの。だから、早く家に帰ってきて、さみしい思いを私にさせたりしないのよ。
素敵な旦那様でしょ?
「別に無理しなくてもいいのよ? お付き合いもあるでしょうし……」
「良いんだよ。俺は一応愛妻家で通ってるからな、みんな冷やかしながらも融通をきかせてくれる。それに……」
そう言いながら、嬉しそうに顔をほころばせて、彼はお腹に手をやるの。
「愛すべき娘ももうじき生まれることだしな。お前の体調が心配だ」
子供みたいな無邪気な笑み。そんな彼の顔を見るだけで私はとっても満たされるの。
「ふふっ。もう、生まれる前から親ばかなのね」
「ああ、俺は世界一娘を溺愛する親バカになるさ! じゃあ、行ってくるな」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけて」
鞄を受け取って、彼は足取り軽く家を出ていくの。私はそれを微笑みながら見送って。
そして。
彼の子供を孕ませている糞女に睨みつける。
糞女はいとおしそうに自分のお腹を、お腹の中にいる彼との赤ん坊を撫でてから。玄関からリビングに戻っていく。
糞女、糞女、糞女!!
彼を私から奪った糞売女!!
そう、そうなのよ。
彼が笑顔を向けていたのも。彼が大切にしているのも。彼の妻の座に座っているのも。
全部私じゃなくてこの女なのよ!!
許せない。許せない。許せない!!
なんで、そこに私が居ないの!? あんたは私の居場所を奪った! 奪ったんだっ!!
別に良かった。それだけなら良かった。
でも、彼の子供を孕んだ。それだけは絶対に許せないっっっ!!
『彼女と彼と赤の事情』参
中学の頃、彼に出会った。
そして、そこで初めて恋をした。
内気な私は彼に告白できなくて、こっそり家までつけていったり。こっそり彼の電話番号を手に入れたり。こっそり彼のメアドを手に入れたり。
でもどれも【使うことはできなかった】。
だって恥ずかしいんだもの。
でも誰よりも誰よりもずっと彼のことを見続けていた。
その内学校で見ているだけで居られなくなった。
だから、だから学校をズル休みして、彼のお家に忍び込んだの。
ピッキングとかツールとかは、ネットで調べたりして学んだわ。すっごく大変だったけど、彼の為だもの、頑張ったの。
彼の両親は共働きだったから家に忍び込むのは楽だったわ。当時はそんなに防犯意識高くなかったし、今は一般家庭にあるような安価な防犯カメラとかもなかったから。
そこで、置いたのよ。【私の目を】。
ああ、もちろん目って、本物の目じゃないわよ?
比喩よ比喩。いやね、そんな気持ち悪い妄想しないで頂戴。
カメラよカメラ。
小型カメラを、彼の部屋にいろんな角度で仕掛けたの。もちろん見つからないようにね。
それと、玄関とか、リビングとかにも。
もちろんプライバシーを守る私は、親御さんとか、妹さんの部屋とか。お風呂場とか御不浄には仕掛けなかったわ。
私は変態じゃないもの、だた彼のことが見たかっただけだから。
そう。その【私の目】たちは、今もずっと誰にも見つかってないまま、ここまで来てるわ。
あの糞女が彼と彼の家族たちの家に【同居し始めた今でもね】。
そうそう。あの糞女よ。あの女が現れたのは、彼と私が高校に入ったころよ。
彼が入った高校は物凄い進学校だったから、私も同じ高校に入るのにとても苦労したわ。
そこでよ。そこであの女が現れたのよ。
彼と同じクラスにあの女が!!
あの女と彼はすぐ仲良くなっていったわ。
部活が同じ吹奏楽ってのも功を奏したんでしょうね。私も入りたかったけど、彼の前に立ったら恥ずかしくなって楽器なんて吹けるはずがないから辞めたわ。
私も彼と同じクラスだったから、あの女とよくしゃべっているのは良く見ていたわ。ええ、見ていたし、あの女とは【友達】として付き合ってたから、彼の気持ちもよく聞き出せたわ。
何度も思ったわ、この恥知らずの糞女みたいに、私も彼と話す事が出来ればって。
でも私がそんな乙女なことを考えているうちに、女はどんどん彼と近くなって。
ついに女が彼に告白したわ。
あああああっ!! あの時何度あの女を殺してやろうと思ったことか!
でも実行しなかったわ。私は嫉妬で人を殺すような人間じゃないの。
そして、あの優しい彼は、その告白を受けたわ。そう、晴れて二人は恋人同士になったの。
正直自殺を考えるほど落ち込んだわ。でもしなかったの。
私絶望で親からもらった命を捨てるほど、弱い人間じゃないから。
だから、ね?
私は愛すことにしたのよ!
そう! 愛よ!
例え彼が誰と付き合おうが、誰と性交しようが関係ない!!
私は彼を愛し続けると誓ったのよ!!
ええ、彼が大学生になったころ、さすがに大学までは私は付いていけなかったし、あの糞女も違う大学に行っていたけど。
それでも、あの女は彼の家に行って部屋によく来ていたし。私もそんな二人をずっと見ていたわ。
そう、【見ていたの】。
彼とあの糞女がキスしてるのも見たし、性交するのもずぅーっと見ていたわ。
だって愛しているんだもの。愛した人がしていることは、全て全て全て全て見ておきたいのだもの!!
そう、そして彼とあの女が社会人になって、実に自然に結婚してからも。
私はずぅーっと二人の生活を見ていたわ。
私自身はどうしていたかって?
もちろん、大学は出て、就職もしたわ。
結婚はしてないけれど、一応会社でもそれなりの地位にいるのよ?
ええ、私は自分で言うのもなんだけど、容姿の器量も仕事の器量も良かったからね。
でも、本当に大切なものは手に入らないの。
そう、彼。彼が欲しいのよ。
あの人が欲しいのよ。
欲しい。欲しくてたまらないの。
だけど、あの糞女が邪魔する。そう、邪魔なのよ。
あの女が邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!
でも我慢していたわ。
一人暮らしの家に帰ってきた時。
何もない、何の趣味も、何の生き甲斐もない。
ただ仕事をして、評価をもらって。友人と飲むだけ。
そんなくだらない空虚で空疎な人生の中で。
彼のあの幸せそうな笑顔を見るだけで、私は日々を生きられていたから。
でも。
許せないことが起きた。
そう。
【子供】よ。
それだけは許せない。
それだけは許容できない。
それだけは絶対に、絶対にっ!
彼の子供が、あの糞女の腹から生まれる!!
そう想像しただけで!
憎悪が! 黒くどす黒い憎悪が。抑えられない!!
殺してやる!! 殺してやる!! 殺してやる!!
そう。
だから私。
【殺してやることしたの】。
『彼女と彼と赤の事情』肆
別に私おかしくなんかないわよね? 普通よね?
だって、私こんなにも彼を愛しているんだもの。人を愛せる人間が、おかしいなんて事はないわ? ね? そうでしょう?
そう。だから、愛ゆえに、愛ゆえによ。
憎悪なんて言ってごめんなさいね。憎悪なんかじゃないわ。
これは愛から来る殺人よ。肯定されるべき聖なる行為なの。
決行日は決まってるわ。今日よ。
今日思いついたの、どうやってあの女を殺すか。
そう、夜。夜がいいわ。
あの人が家に帰ってくるちょっと前に、あの女を殺すの。
楽しそうでしょう? 素敵でしょう?
嗚呼、どうなるのかしらね。どうなるのかしらね?
あの女の皮膚を壱枚壱枚剥いでやるわ。
髪の毛は全部引きちぎって、あの女の口内にぶち込んで。
腕を切り落として、あの淫乱な前の穴にぶち込んで、失禁させたうえで殺してやる。
嗚呼、楽しみ。楽しみだわ。
これは愛なのよ。決してあの女に対する憎悪なんかじゃないわ。違うのよ。
だって、憎悪で人を殺すなんて事。
【内気で普通な私には出来ないものね】。
一般的な家。
私のマンションからそんなには慣れてない、住宅街。
その一軒の家の呼び鈴を押して、中の反応を待つ。
するとインターホンから聞こえてくる声。そう。あの泥棒女の声。
『はぁーい。どちら様ですか?』
嗚呼、忌々しい。忌々しい。忌々しいんだよこの……っ。
まあ、良いわ。こんな昂ぶってちゃ不審に思われるわね。平常心平常心。
「私、高校時代の同級生の木知 麻奈美(きち まなみ)ですが……。近くに越してきたので、ご挨拶にと思って」
『え? 麻奈美!? ちょ、ちょっと待って! 今開けるから!!』
どこか慌てたように、忌々しい女の声が聞こえるわ。
そういえば、名前なんて言ったかしらね。
嗚呼、確か、あれだわ。くしろ、釧路 美菜(くしろ みな)だったかしらね。今は結婚したから名字は変わってるのかしら?
……殺したいわねほんとに。
「わっ! ほんとに麻奈美だ! ひさしぶりぃっ!」
玄関を開けはなって、馬鹿女がこっちに駆け寄ってくるわ。そのまま、私の腕をひいて家に連れ込んでくる。
嗚呼、触るな触れるな気持ち悪いんだよ消えろ消えろ消えろ!
「元気にしてた? もうっ、全然連絡くれないから、ずっと心配してたんだよ!?」
「ああ、ごめんなさいね。中々忙しくてね」
適当に話を合わせながら、家の中に入っていく。
ああ、カメラ越しにいっつも見てるから、新鮮味はないけど。やっぱり、空気とか匂いとかの影響か、感じが変わってくるわね。
ここに彼が居るのね。あの人が、あの人がココにすんで、起きて、寝て、会社に行って、そして帰ってくる。
素敵。素敵だわ……。
「ささっ、入って入って! 高校時代の友達なんて、めったに来てくれないのよ。うれしいわ、また麻奈美に会えて」
それなりの広さのリビングに通され、ソファに座る。
美菜はダイニングキッチン越しに、リビングの私に向けてぺちゃくちゃと言葉を続けざまに喋る。
うるさいわね。私は今、此処に彼を感じてるんだから、あんま雑音で邪魔しないでほしいわ。
「麻奈美はいっつもクールでそっけないから、私の事忘れちゃってたかと思ったけど、ちゃんと会いに来てくれてうれしいわっ」
別にクールだったんじゃなくて、彼以外に興味が無かっただけよ。
嗚呼、そうだった。この女は妙に私に話しかけてきたっけか。私に懐いていたのかしらね。うざったいわねほんとに。
「忘れるわけないじゃないの。友人の事くらい覚えてる、いくら私でもね」
むしろお前の事を忘れるわけがない。覚えている。覚えているわ勿論。
ねぇ? あなたが今笑顔を浮かべて、向かい合ってる人間は。今日あなたを殺しに来たのよ?
気づいてる? 気付いているわけないわよね?
ねえ? ねえ? ねえ? もうすぐ貴方人生が終わるのよ?
分かってるのかしら?
ねえ?
まあ、わかるわけないわよね。きっと、貴方は私の気持ちなんか知りもしなかったんでしょうね。
だから貴方は殺されるのよ。
「ふふっ、うれしいわ。麻奈美は私の話いっつも聞いてくれた、たった一人の人だもの。また会えて本当にうれしいわっ」
おしゃれな盆の上にティーカップ、恐らく香りからして紅茶であろう、それら一式を持って屈託なく笑いながら、彼女がソファの傍まで寄ってくる。
「ええ、私も嬉しいわ」
また会えてうれしいわ。
「あ、紅茶に何か入れる? 砂糖とかミルクとか――」
楽しそうに客をもてなそうと用意をする、目の前のにくい女。
私は、気付かれないようにソファをゆっくりと立ち上がり、懐から隠していた【モノ】を右手に掴み。
思いっきり振り上げて。彼女に向けて勢いよく。
刺した。
『彼女と彼と赤の事情』伍
「えぇあぁあ?」
呆けたような声を出す美菜。
だけどそれは一瞬。次の瞬間火がついたかのような、【絶叫】。
「ぁああああああああぁぁああああああああああああっ!! ああああっっっっ!?」
叫ぶ。
口からみっともないくらいに喧しい声を発して、醜いくらいに身をよじって。何が起こったか理解できていないのか、疑問と恐怖と激痛に苛まれる瞳を、こちらに向けてきた。
「あぁあっ、な、ぁああ、まな……み、な……んで?」
「なんで? 何でですって?」
その言葉に、何故だろう。いや、きっとどの言葉でも私は、【正気を失っていた】でしょうね。
そう、そこまではまだ理性ってものが残っていたの。でも、彼女が発する言葉を聞いて、憎しみに。憎悪に囚われた。
憎い憎い憎い憎い憎い。唯その言葉の羅列。唯それだけが私を支配して。唯それだけしか考えられない。
そう。でもこれはすべて、愛の為。
愛の為なのよ?
「あんたには分からないでしょうね」
美菜の背中には、明らかに素人が持っているべきものではない、武骨で使い慣れた感のある軍用ナイフが刺さっている。
父親の家からこっそり盗んできた、実際に戦時中で使われたナイフらしい。
私の父は重度のミリタニ―マニアで、こういうモノを良く集めては、母親にしかられていた。
私は父が大嫌いだったが、その趣味に対してはありがたく思う。
こうやって、長年恨み続けてきた女に復讐出来るのだから。
「知る必要はないわ。唯、私の前から、いや、世界から貴方に消えてほしいの」
「ど……う、いうこ……と?」
苦しげに疑問を口にして呻きながら、大きなお腹を抱えて、奈美はリビングから出ようと、ドアに向かって這いずって行く。
背中から広がって、綺麗なお洋服までべったり赤い血に濡れている所為か。彼女が這いずる床は、奈美から流れる血で通り道が染まっていく。
「知る必要はないって言ってるでしょ? この思いは私だけの物なの。あんたはこの思いを邪魔した。それだけよ。知る必要はないのよ。知ることは許されていないのよ。只々、虫けらのように死んでほしいの」
「あぁあ、がぁ……あああ……」
理解できないといった体で、尚這いずって行く女。
私はその背中に刺さったナイフを、彼女の背中から馬乗りになり、一気に引き抜く。
すると、また絶叫。
「うるさい」
その喧しく騒ぎ立てる口を黙らせようと思い、抜いたナイフを彼女の口の中に突っ込み、適当に舌らしきものを、見ることもせずに刺した。
「―――っ!? ―――ッ!! ―――ッァッ!!」
どうやらビンゴの様で、舌が満足に動かないらしい彼女の絶叫は、くぐもった悲痛な叫びに変わった。
すると今度はこれまで以上に必死に、外に逃げようとする。
「うごくな」
仕方が無いので、今度はナイフを両足に弐回ずつ、そして両手にも弐回ずつ刺してやった。
「――――――――――――――――――っっっっ!?」
涙を垂らして、涎もたらして。喋れない動けない痛みで壊れる。そんな何重苦を受けて、奈美は無様に醜く、面白いほどに私に蹂躙されていた。
「ああっ、いいわっ。最高よ糞売女ッ!! 愉快に痛快に、あんた醜いわ!!」
「ぁ……っ! たぁ……っ。ぅ、ヶ、ぇ」
舌が使えなくなっているためか、何を言っているのかさっぱりわからない。
助けてか何かだろうか?
助けるわけないでしょう? 貴方は無様にこのまま這いつくばって、そのまま終わるのよ。
嗚呼、楽しい。楽しいわ。人生でこんなに楽しかったのは初めて。
ううん、今まで楽しかった事なんて、彼を見つめている時だけだったから。
貴方は彼以外で私を楽しませてくれた、唯一の人よ。
ええ、いいわ。あなたお友達と認めてあげる。
憎い憎い最低最悪の殺してやりたいくらい素敵なお友達よ。
『彼女と彼と赤の事情』陸
「さぁて、次はどこが良い? ねぇ? どこを刺されたい? 頭らへんは駄目よ? 刺すとおわっちゃうしね。そうねぇ、次はあなたのその子供が生まれてくる予定の、けがらわしい穴から? うん? そうよ、子供。子供よ。あなた子供居るのよね? お腹の中に」
「ぁ……っ。―――っ! ―――ぁっ!!」
何かに気付いたのか、私のお友達は必死に私に何事かを訴えかけてくる。
ええ、わかってるわ。おなかの子供は傷つけないで、とかでしょ? そうよねぇ、あの人との大切な子供ですもんね。
分かってるわ。うん。
よぉくわかってる。
「そうねぇ、流石に子供に手をかけるのはひどいわよね。私が憎いのはあなたであって、貴方と彼の子供じゃないものね」
その言葉を聞いて、彼女は何か希望の光を見たかのような瞳をした。
自分の命より、自分の子供の方が大事なのだろう。
まだ、出産も経験していないというのに、ずいぶん立派な母親ぶりだ。
中々に美しい話だとおもうわ。うん。
だから、私は。馬乗り体制を辞めて、彼女を蹴っ飛ばして仰向けにした後。
その大きい腹に思いっきり、ナイフを突き刺した。
「―――っ!?」
そしてそのまま、深くズブリと刺したナイフを、縦に思いっきり引き裂き。
腹の中に手を突っ込み、【何か】を掴みあげ、自分の目線まで持ってくる。
「ごめんなさいね。私、愛の為ならいくらでも酷くなれるのよ」
その何かは赤い血液だけではなく、何かどろっとした透明な液体とが入り混じった、気持ちの悪い感触を私の手に伝える。
【何か】は、長い管の様なモノをひいていたので、私は手に持っているナイフでそれを思いっきり切った。
「ぁ……ぁあぁ……」
何か茫然としたように、美菜は喋れない口で呟く。
そう、その【何か】は胎児。彼女と彼の大事な子供。
それの出産日を、私は少し早めてあげただけだ。
少しばかり早くて、余り人間としての形を保っていないが、まあ良いだろう。
いや、良くないわね。こんな人としての姿をしていない【化け物】。
いらないわよね。
「じゃあ、壊さなきゃね」
私はきっと、口角を釣り上げて笑っていただろう。
その胎児を大きく上に振り上げて、思いっきり床に叩きつけた。
とたん。
今まで聞いた事のないような不快音と共に、辺りに真っ赤な、赤い血が飛び散る。
あぁ、綺麗だ。
この赤は綺麗だ。
何の罪も何の咎もない、純粋で美しい綺麗な赤。
ああ、素晴らしく、綺麗。
もっとみたい、もっと。
だから、何度も何度も何度も何度も何何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
赤色が見たくて。
綺麗な赤色が飛び散るのが楽しくて。
赤ん坊の原型が無くなるまで、床に叩きつけ続けた。
「ぁ……ぁぁぁ、ぁぁぁ、ぁぁぁぁぁっ!」
もう既に、胎児を構成していた肉体すべてが、床の一面に散らばっている状況で。その母親になる予定だった、いや、既に母親である奈美は、声の上がらない絶叫を発していた。
赤に、涙の白が混じっていく。
もう、彼女に対する恨みはすっかり晴れていた。
これだけやれば、私だってすっきりするものだ。今までの事は全部水に流して、友人として彼女の事を見る事が出来る。
もう、彼女に対する恨みなんてない。だから、友人として、楽にしてあげよう。
私は彼女にゆっくり近づき、微笑みながらそっと頬撫でる。
「奈美。酷い事してごめんね? 痛かったでしょ?」
微笑みながら、彼女の頭をそっと抱き寄せ。
そのまま首にナイフの刃をやり。
一気に押し切った。
『彼女と彼と赤の事情』漆
「――――――――――――――――ぁ」
短い憎かった女が残した、世界に落とした最後の言の葉。
これで終わり。
最後は随分とあっけなかったな。
いままで何年この女に振り回されてきた事か。
でも、これで終わり。
何時だって、終わりは短く早く、虚しいものね。
「帰ろう」
私はゆっくりと立ち上がり、ナイフも適当に放り棄てて。
リビングのドアに向かう。
そして、ドアを開けて、最後に人目と思い、後ろを振り返った。
赤。
鮮烈な赤。
辺りそこらじゅうに、赤い血。
それは、唯の色じゃなくて、生きている、脈動する色彩。
二度と見ることはないであろう、この世で最も美しい赤。
「じゃあ、ばいばい。ありがとうございました」
何に対しての礼か?
色彩に対する感謝。
私は、一人呟いた後、この美しい神域から。
【抜けて行った】。
どう?
どう?
どうだったかしら!?
美しかったでしょう!
素晴らしかったでしょう!
貴方も誰かを愛したくなったでしょう!!
分かってる。分かってるわ。
もう貴方も愛するべき人を見つけた筈よ?
それだけそれだけで未来は来るわ!
貴方にはどんな色の未来が来るのかしらね?
きっと愛にはいろんな色があるわ。青、黄、緑、白、黒。
貴方はあなたなりの、一番いい色を見つけられるといいわね!
私があの後どんな色の人生だったか?
情熱的な赤は、もう見てしまったから。
後は優しい緑の人生だったわ。
あの後、誰にも何も言わず、遠い所に行ったの。
そこで、ゆっくりと余生を過ごしているわ。
だから、彼がどうなったかは分からないの。
彼女に恨みを晴らしたら、なんだか彼の事も、もう終わった事な気がしちゃってね。
きっと私、失恋したんだわ。
でもいいの、ここの生活も好きだし。緑も良いものよ?
でもいつか、きっと。
彼が彼女の事を思って、私を見つけに来るかもしれない。
そうしたら、どうなるでしょうかしらね?
嗚呼、楽しみだわ。
それはそれで、とても楽しみだわ。
きっと、情熱的で、美しい。
赤が見られる事でしょう。