【絵描き】
絵の具が切れた。
しかも、赤色。赤色が無いと絵が描けない。
まあしょうがない。立ち上がると足が、機械みたいにぎこちなくふるふると震えて変な感じがする。それもそうだ。もう何時間も椅子から立っていない気がする。呪縛から解放されたみたい。呪縛というか、地縛というか。地縛霊ならもう解放、成仏できるな。私は望んでここに居るから別に嬉しい事ではないが。
紙の束のビル群がそこらじゅうにぽこぽこ。絵を描いてあるものも描いていないものも大きさも厚さも質も様々。と、絵の具のチューブがぱらぱら。あまりカラフルな絵は描かないから、ほとんど床で放置だ。
いつからか、赤しか使えなくなった。原因なんて分からないけれど、気付いたら赤色を掴んでいる状態。ほかの色は使おうとも思わない状態。そして、何も考えずに折角描いた絵を塗りつぶしてしまうのだ。
机の端っこに置いてあった財布をとり、ジーパンのポケットにつっこむ。
部屋を出よう。絵の具のチューブだけは踏まないように。束になっていない落っこちてる紙は見捨てて、滑らないように踏みつける。踏みつけた。やってしまった。黄色の絵の具が飛び出して左の足の裏についた。しょうがない、めんどうくさい。
黄色い絵の具をそのままに、扉をひとつ開くと家族が居た筈のリビング。家族なんて知らない、どこへ行ったんだろう、家族なんていただろうか。ずっと一人だった気もするし、昨日までこの部屋で家族と息をしていた気もする。そんなことはまあいいや。すこしだけ分厚くて重い扉の鍵を開けて、外に出る。
夏だっけ。そっか、もう夏か。やっと夏だっけ。そうだ、夏はこうやって太陽光が宇宙から全力で私を刺しにふってくるものだった。
灼熱のアスファルトにぺったり足跡を付けてから靴を履き忘れたことに気が付いた。あっつ、あっつい。爪先立ちで玄関まで戻って、適当にそのへんに出ていたスニーカーに裸の足をつっこむ。ごわごわして気持ち悪い。
とりあえず、近所の画材屋さんに。かかとまで入れないスニーカーをぱかぱかさせながらひたすら歩く。寝癖もなおしていない無造作に伸ばした髪の毛が絡み付く首に、汗が垂れ滑り落ちる。
アブラゼミがおいしそうだとか、焦げた茶色の紫陽花が可愛いだとか、暗い色をした雨の群れが遠くに見えるだとか。刺さる、太陽光より痛い視線を気にしないフリをしながら、ぺたぺた歩く。
画材屋さんが横断歩道の向こう側に見えたとき。赤い信号だからちょっと立ち止まってみたとき。
大きいものが上から降ってくるのが視界に映った。カラスよりも大きいもの。ちょうど人間くらいの。
目が痛い、水分の少ない赤色がべちゃ。アスファルトに食い込んだ顔が歪な男の子の血が、私の顔にもべちゃ。案の定それは人間で、案の定それは飛び降り自殺だった。
見たことあるような懐かしい赤色。見たことがあるのは一人じゃない、二人だった気がする。男と女だった気がする。私の家族だった気もする。家族の死因は飛び降り心中だったかな。ずいぶんと前の話だ。
男と女。私の目の前で駐車場を真っ赤にして、本当に迷惑だった。そう、迷惑。私だけを一人、この世知辛い世の中に残して。
そう思いながら冷たい店に入る。血を浴びてるからかよほど私の容姿が悪いのか、やっぱり視線が目に刺さる。気にしなくていいや。
あかいろ。赤、赤赤。赤い絵の具、絵の具のチューブ。棚から棚右左上下、ぎょろぎょろ視線を移しながら探していく。
あ。目に留まった彫刻刀。絵具じゃないけれど。キャップを外して、少し長めの刃をまじまじと見る。
赤色の絵の具よりよさそうだ。
そのままレジに向かい嫌悪感が露骨に染み出た、変な顔の店員と目を合わせる。何も言わずに音も立てずに彫刻刀をカウンターに置く。値段を言われる前にぴったりの小銭を叩き付けて、彫刻刀をかっさらってポケットにつっこみ、店を出る。
外に出ると、ぎゃあぎゃあわあわあと騒がしい。サイレンが鳴り響き野次馬は集り。何も知らないような顔をして、群集の脇を通り過ぎる。
行きとは違う。風景も植物も虫も無視で黒いアスファルトだけを見つめて帰る。
早く、早く早く早く帰ろう。
家に着くと早速机に向かって、ポケットから彫刻刀を出して机の上へ。
絵を描こう。赤い絵の具で、絵を。
机の上にそのままにしてあった白い画用紙を見ながら、椅子に座る。
絵を描こう。心を描こう。
彫刻刀の刃を左の手首に当て、力をかけて思い切り右に引っ張る。びりっとした痛みすら気にならない、この高揚感。吹き出してびちゃびちゃと床に落ちる赤い絵の具を筆につけ、彫刻刀を置いた右手で絵を描く。暖かい色。
霧のかかる視界の中で、がったがたのハートマークが揺れ霞み潤んだ。ああ、死ぬんだ。おかあさん、おとうさん、いまからいくね、まっててね。
生きていた私の赤い声を、此処に。
――――――
あとがき
どうもこんにちは。
赤=血 という単純思考で書きました。
自殺エンドしか思い浮かばなかった……ごめんなさい。
自殺ダメ、ゼッタイ、です。
この物語を書く機会を、どうも有難う御座いました。
あ、今回は投票も参加したいと思います。宜しくお願いします。
ではでは。