【海の向こう側】全♯6 >>52-57
今年は既に冬を向かえ、寒冷の風が肌身へと伝わり、いくら服を着込もうが、それは決して衰えを知らない寒さのようで――
「あぁ、寒い」
去年よりも寒い今年の冬に、俺は一つため息を吐いて誰もいないクリスマス間近の日に、たった一人で部屋にこもっていた。
これでも大学生な身分の俺は、賃貸アパートで一人暮らしをしていた。今年で何年目だろう。3年ほどこの部屋で暮らしているのだろうか。つまり、大学3年生ぐらいにはなってしまっている。
大学の飲み友達らと週末には飲み会を開いては飲み明かし、それを続けて、何の目的もありゃしない大学生活を送っていた。
しかし、それはついこの間、といっても昨日のことだが、一本の電話によって週末をどう過ごすかを考えさせられることになった。
それは、大学を終えて、飲み会で結構な量を失うお金を稼ぐ為のアルバイトを終えて、またこの寂れた賃貸アパートへと帰宅した時だった。
「留守電?」
暗い部屋の中から、よく分かるように電話はチカチカと留守番があることを知らせてくれていた。
特に急ぐこともなく、ゆっくりと靴を玄関で脱ぎ捨てると、手に持ったバッグを床へ置き、部屋の明かりを付けてからやっと留守番の確認に入った。
『留守電、一件あります』
いつもの知らせが電話から流れてくる。前まで通販やら何やらよく分からない宗教やらの誘いの留守電が多かった。最近になってピタリと止まっていたのだが……またどうせそういう部類の留守電なのだろうと俺はあまり気にした様子もなく、コートを脱ぎながらその留守電へと耳を傾けた。
『あ、もしもし? 悟(さとる)? ……って、合ってるよね? 私はー……声で分かるんじゃないの? まあ、一応。……国代 由理(くにしろ ゆり)だよー。久しぶり! 元気にしてた?』
その留守電が流れた途端、俺の動きはピタリと、まるで機械のように止まり、脱ぎ終えたコートを持つ手は離され、まだ冷たい床へとコートが落ちていった。
「由理……!?」
驚きの声をあげるも、お構いなしに留守電は後を続いていく。
『もうすぐクリスマスだし、こっち帰って来ないっておばさんが心配してるよ。それに、将来のこととか聞かせて欲しいって。まあ、とにかく。この週末に戻ってきてね。おばさんも……一応、私とか、皆待ってるから。……それじゃあね!』
留守電が終わると同時に、ピーという電子音が部屋中に鳴り響いた。俺はその場で硬直し、立ち尽くしていた。
そして、この有様。ボーっと部屋の天井を眺め、週末をどう過ごすかを考えていた。
俺の故郷は、今俺が住んでいる都会染みた所ではなくて、本当にド田舎だった。俺らの年代だと、遊ぶ場所なんて普通は山ほどあり、ゲームセンターなどの店が普通の都会暮らしの遊び場だったのに対して、俺らはただ山や海ぐらいしかなかった。
本当に田舎だから、ビルや電車も無ければコンビニも無い。不便といったら確かにそうかもしれないが、子供の頃はそれなりに楽しんでいた。
子供がはしゃいでいる姿、とかいうのはゲームセンターとかで遊んでいる姿が想像されることは俺らにはなくて、もっと浜辺で貝殻とかヤドカニを見つけて喜ぶ姿とか、そんな感じのを思い浮かべてしまう。
本当に子供の頃は、ビル群やらそういう都会というものに憧れたものはなかった。山と海とかがあれば、遊べないことはなかったし、日に日に色んな遊びを考えて、それを実行するのが楽しくて仕方が無かった。
けど、俺が中学生になったりする頃だろうか。その辺りから都会に憧れを持つようになった。何もかもが最先端で、こんなド田舎よりも素晴らしいものがあるっていう思いが強かった。高校生になって、進路はどうするか決める時、俺は既に都会へ出て大学へと進学する決意を決めていた。つまり、都会で一人暮らしをするという決断だった。親も、渋々認めてくれて、大学にいって将来の道が開けるなら、という思いがあったのかは分からない。けれど、親父は何も言わなかった。本来なら、親父のやっている仕事である漁師を引き継ぐのが息子としての役目なのかもしれない。それでも俺はそんなものよりも、新しいものが見て見たい。そして、新しい何かを発見して、素晴らしい人生を歩みたい。そんな希望に満ちた思いを告げ、ようやく上京した。
けど、実際は体たらくな生活を送り、三年も経てばこちらの暮らし方も馴染んできて、だんだんと憂鬱になっていった。
確かに最先端といえばそうなのかもしれない。初めて此処に来た時の感動は計り切れない。けど、けれど、だ。
何も、何一つ見つからなかった。友達には恵まれ、その友達とワイワイと騒ぐ毎日は確かに楽しい気もしたが――そのたびに、昔田舎に住んでいた時の浜辺で遊んだことを思い出してしまう。
あの頃と、今。どちらが俺らしく、楽しく遊べていただろうかと。
考えれば考えるほど闇に埋もれていくようで、苦しかった。週末、酒を飲んでそれを忘れるのが日課のようになった。三年も、三年もの間を俺は意味のない大学生活を過ごしてきた。そういう風に思いたくなかった。
カレンダーをふと見つめると、週末にはクリスマスだった。クリスマスといえば、幼馴染であるあの留守電を残した由理を思い浮かべることになる。
由理とは毎日のように遊んでいた。幼馴染ということで、家族付き合いも多く、遊ぶことも多かった。だが、だんだんと歳が上がるにつれてやはり男と女なのか、遊ぶことも少なくなっていった。
けれど、仲の良さは変わらず、俺達は毎日のように話し合った。笑い合った。それは、高校生になって突然終わりを迎えたけれど。
高校2年生のクリスマス。俺と由理は浜辺にいた。季節はずれだけど、この季節ならではの浜辺にいる理由がちゃんとあったのだ。それを見る為に、俺と由理はクリスマスにそこに来ていた。
「寒い……。何も今日来なくても良かったんじゃないか?」
「今日じゃないとダメだって!」
その日は、いつもより気温が低く、一層寒かった。明日にしよう、といっても由理は聞かなかった。その理由は、
「魔法が解けちゃうじゃん!」
「はぁ? 魔法?」
「そう、魔法」
凄く自信満々に、胸を張って偉そうに言う由理を見て、俺は何がなんだか分からなかったが、そこまで言うなら何かあるのだろうと俺はそれ以上何も言わなかった。
「あーあ。早く来ないかなぁ、サンタクロース」
「え、お前まだ信じてんの?」
「当たり前でしょー? サンタクロースは子供の味方よ!」
「お前もう、高校生じゃねぇかよ」
「うっさいわねー。二十歳になるまでは皆子供ってこと知らないの?」
「屁理屈だ」
「屁理屈よ」
そういって俺達は笑っていた。けれど、それはその時まで。俺が、この時、あることを知らせるまでは――。
「なぁ、由理」
「ん? 何?」
何故だか、その時由理に潮風が吹き、ふわりと長い黒髪が揺れた。綺麗だった。
「俺、さ。大学行く為に、此処を出るんだ」
「え……?」
由理の表情は、笑顔からだんだんと呆けたような、魂が抜けたような、そんな気のする青ざめた色へと変わっていった。
でも、その頃俺は既に決意を胸にしていたので、その言葉が止まることはなかった。
「だから、此処から出るんだよ。俺は、こんな所よりも新しい世界が見て見たいんだ。もっと、俺は――」
「こんな所……?」
その時、空気が変わったような気がした。いや、時が止まったという方がいいのかもしれない。そして次の瞬間、
「本気で言ってるの?」
「……あぁ」
「……バカじゃないの!? じゃあ行けばいいじゃない! 悟は、何でそんな自分勝手なのよ! 何でもかんでも、私だけ覚えてて!」
「は……?」
何がなんだか分からなかった。どうしてここまで怒鳴られないといけないのか。どうして――由理はこんなにも泣いているのか。
突然、夜空に曇り空が出てきたことにも気付かずに、俺はただ呆然として由理の泣き顔を見ていた。俺が何も返さずにいると、由理は怒ったような、悲しんでいるような表情をして、
「顔も……見たく、ない。……悟なんか、大っ嫌い!!」
由理は、その場から、俺の真横を通り過ぎて行った。どうしてあの時、俺は手を引いて由理を戻さなかったのだろう。今思っても、よく分からないけど、多分俺にはどうすることも出来なかったんだと思う。何を言っても、由理はその場から立ち去る。それが分かったからだと思う。
冷たい潮風が靡く中、ポツリと雨粒が頭上から落ち、その場に立ち尽くす俺はそれから無数の雨が降り続いても、その場から暫く動こうとはしなかった。
それから、高校三年になって、俺はより勉強をした。都会の大学に行く為に、成績を上げなければいけない。だから凄く頑張って、勉強をした。
由理とは、あのクリスマス以来、俺は一度も話していない。顔を合わせることがあっても、口は利かず、すぐに顔を背けた。俺の、方から。
気まずいという思いがあり、その他に色々な感情が溢れていた。でもそれは、何を表しているのかさっぱり分からなくて、そのまま時間だけが過ぎていった。
そして、俺の推薦入試の日。見事今入っている大学に合格した。それから俺は年明けに引っ越すことになった。
その時、数々の友達が俺を出迎えてくれて、とても嬉しかった。けれど、何故か俺はたった一人の人物を探すことに必死だった。由理だ。由理がいない。その場に由理だけがいなかった。いや、由理しか眼中になかった。
必死でバスに乗った後も探したけれど、全く見つからなかった。そのまま、バスは発進していく。歓声と共に俺は、上京していく。
俺はその時、思った。あぁ、そうか。そうだったんだ、と。
俺は――由理に初恋を抱いていたんだ、と。
幼馴染だから気付かなかったというより、薄々あのクリスマスから気付いていたのかもしれない。
俺が目を背けていたのは、嫌われたんだという観念に似たような感情だった。これ以上、自分を傷つけたくなかったんだ。
そして今、週末に戻って来いという変わらないように聞こえた由理の声。
三年もの月日があれば、仲直りできるのだろうか。いや、分からない。少なくとも、俺は――
「……荷物、まとめるか」
初めて、飲み会以外に週末にスケジュールが出来た。
新幹線に乗り、そこからバスへと乗り継いで行けば故郷へと向かうことが出来る。
手軽な荷物を持ち、俺はその道順に従ってバスへと乗り込んだ。このまま2時間揺られたらまあ、着くだろう。このバスともう一つバスがある程度で、その二つしか故郷へ早く帰れる方法がなかった。
バスに乗り込むと、中はこじんまりとしていて、ほとんど無人に近かった。クリスマスだというのに若い人もおらず、ほとんど50代以上の年配さんがほとんどだった。
座席に座ると、そのまま俺は故郷へと向かう道のりごとにある風景を見つめていた。
まず、その故郷までの道のりでさえも田舎臭かった。都会での生活が馴染みに馴染んでしまっていることの象徴のようにも見えて、少し嫌気のようなものが差した。昔は、こんな田舎臭いのが嫌だったはずなのに、今は都会の生活に馴染んでしまっていることが嫌になってしまっていた。
かれこれ30分程度乗っていても、コンビニは一つぐらいしかなかった。ゲームセンターなんて代物はなかった。飲み屋とか、そういう部類もない。どこで飯食うんだよ、という思いがまた自分自身を苛立たせた。
(俺は、こんなにも此処の空気を忘れてしまったのか……)
心の中でそう呟きながら、ゆっくりと睡魔が夢の世界へと誘っていった。
「ねえ、悟」
「うん?」
それは、幼少の時だった。毎回、話は由理の方から始まる。由理がはにかみながら話をするのが俺は好きだった。
「もーにんぐぶろーって、知ってる?」
「もーにんぐぶろー? 何それ?」
もーにんぐぶろーとは、きっとモーニングブローのことで、早朝にしか見えない雲のことだ。日が昇っている時のオレンジ色の光が雲と上手い具合にフュージョンし、作り出される空に浮かぶ雲のことだった。
しかし、この時俺はそんなことは知らず、理解できていないような顔で由理へと聞いていた。
「もーにんぐぶろーっていうのはね。早朝にしか見えない、雲のことなの」
「ふーん……それで?」
「えっとね。この浜辺で見えるもーにんぐぶろーは、此処では海の向こう側っていうんだよ」
「海の向こう側?」
ゆっくりと頷き、由理は笑顔を見せた。浜辺では、潮風がゆっくりと吹き、俺達はその潮風を浴びながら話していた。
「海の向こう側には、お日様があるんだって。そのお日様の光はね、とってもとっても大事なものなんだって」
「大事なの?」
「うん。えとね、もーにんぐぶろーのお日様の光は、海の向こう側にいるお日様の神様のものなんだって」
「本当?」
「本当だよ。だから私、おっきくなったら、いつか海の向こう側を見たいなぁって思ってるの」
その由理の言葉を、俺は特に気に留めた様子も無く聞いて、由理は聞こえるか聞こえないか程度の声量でゆっくりと言った。
「――それが、私の夢なの」
俺には、ちゃんとその言葉が聞こえていた。
「お客さん、着きましたよ」
肩を揺らされ、寝ぼけた様子で目を開けると、そこには運転手さんがわざわざ俺を困ったような顔で起こしてくれていた。
「え? ……あ、すみません」
お詫びを言うと、俺は荷物を持って立ち上がるとお辞儀をし、そのままバスの中から出て行った。
もう夕方だろうか。日が落ちようとしている。懐かしい匂いが周りから放たれている。左右は既に田んぼや畑で覆われていた。バスが止まった場所は、その一本道しかない狭い道路にもなりえていない道だった。
相変わらず、といえば少し嘘になる。あまり覚えてはいなかった。この雰囲気といい、この様子といい。
ただド田舎だ、という認識だけがあって、いつも憂鬱に都会で過ごしていた俺にとってはこんな感じだったな、といううろ覚えに似たようなものしかなかった。
「……とりあえず、歩くか」
ゆっくりとその草だらけの道を歩んだ。
それにしても田んぼと畑ぐらいしかないもので、木々も所々にはあるのだが、家が今の所あまり見かけない。
ぽつぽつとどこかに一点一点あるだけで、並んで家はできていなかった。
「どれだけ田舎なんだよ……」
呟きながら、コートを脱いだ。冬なのに、何故か少し暖かい。それも都会と比べているからだろう。都会よりもこっちの方が暖かかった。
そのまま道を進んで行くと、ようやく畑や田んぼから逸れて海沿いに出た。ここの辺りはやっぱり寒い。けれど、懐かしい寒さだった。
都会じゃ、この海の寒さは体感できなかっただろう。潮風が懐かしい。俺の故郷はここなのだと、目の前の海が教えてくれる。
地平線が見える。周りには一切邪魔なものはない。ただ海が広がっている。素晴らしい光景のように思えた。
「綺麗だな……」
どうして俺はこんな光景さえも忘れてしまっていたのか。不思議でならなかった。
今こんなにも感動しているのに、俺は――。
そんなことを考えていると、心がまた嫌になる。海から目を逸らして、また歩こうと目線の先を変えたその時、
「――悟?」
目の前には、一人の女性が立っていた。その女性は、どこか懐かしいようで、懐かしさを取り払うかのようにとても美しい女性へと変貌していた。
「悟……だよね?」
真っ直ぐに俺が見つめているのに対して、半信半疑のような目で女性が俺へと声を投げかけていた。
そして、俺も自然に言葉が零れていた。
「由理……」
目の前にいた美しい女性は、由理だった。3年ぶりに見る姿で、こんなにも違うのかというぐらい、由理は大人に成長していた。
「はははッ! 久しぶりだなぁっ! 悟!」
騒がしい中、一際大きな声が俺の耳に届く。肩へと豪快に腕を回されて、俺は左右に揺らされる。
「痛い痛いっ。洋輔(ようすけ)、久しぶりなのもそうだけど、とりあえず乾杯ぐらいはしようぜ」
「おっと、そうだったな! なんだぁ、お前、都会行って成長しすぎなんじゃねぇのか? 大人っていうのか? もう立派だなぁ、おい!」
「洋輔ももう20歳超えてるじゃんか……。お前も立派な大人だよ」
「はははッ! ま、二人の再会を祝って……乾杯ッ!」
ビールの入ったジョッキをぶつけ合う音が響く。洋輔は、由理と同様に俺の幼馴染でもある。こいつとはとても仲が良くて、俺が大学に行くと決めた時に、親しい中で一番応援してくれていた奴かもしれない。
場所は居酒屋で、何でも俺が去ってからこの三年間の間色々と出来たらしい。コンビニもあるし、居酒屋も出来た。俺がバスで来た道のりには居酒屋はなかったと言ったら、別の場所で結構あるという情報がすぐに伝わってきた。
変わっているんだ。此処も。そう思うと、どうしてだか酷く残念な気がしてならなかった。
「悟ぅー! 都会はどうよぉっ!? 楽しんでやってるのか?」
「あぁ、まあな」
他の友達も俺の元に来て色々と聞いてくる。そのたびに俺は言葉を返した。居酒屋で昔の友達が集まって騒いでいるのだが、どれもこれも大人になった気しかしない。
考えも変わっていたりして、親の家業を継いで職人になる為の修行を積むものもいれば、俺のようにどこかへと場所を移して活躍する奴もいる。皆此処に戻ってきていた。
そして、由理はその中でも此処に残っている組に入っていた。果樹園を経営しており、それの手伝いか何かをしているみたいだった。
俺を此処に連れてきたその由理は、他の友達と飲んだりしている。俺は何故か由理を目で追い、その姿を魅入っていた。
「あぁ、由理、すっげぇ美人に変貌してんだろ? 元から綺麗だったけどな、より増して美人になってんぜ。もうこの町の人気アイドル的存在だな」
「へぇ……」
洋輔が横から言うことを多少耳に入れながら、由理を目で追いかけた。
由理が俺の視線に気付いて俺の方へと向こうとすると、俺は目を背けた。何故だろう、この感じ。どこか懐かしい感じがする。こんなこと、前にあったような……?
「ほらほら! 悟、飲めやぁっ!」
「あぁ、ありがとう……って、入れすぎ入れすぎ!」
友達が入れてくれたビールは、ジョッキからはみ出してしまい、溢れてテーブルの上に零れることになってしまった。
友達らはそれぞれに飲み、それぞれに楽しんだ後、それぞれ場所を変えたり実家に戻ったりをする為に別れた。
俺は自然と由理が一人になるのを待っていた。由理の周りにはいつも人がいて、意気揚々と話しているのだ。声をかけ辛くて当然だった。
「じゃ、またね、由理」
「うん。ありがとね」
笑顔で友達とさよならを告げた所を俺は近づき、
「随分と人気者だな」
「あぁ、うん。まあねー」
由理は昔とほとんど変わらないような……いや、この笑顔は……? 何故だろうか。思い出せない。由理の笑顔はこんなものだっただろうか。
少し考えて、思い出した後に、この笑顔は愛想笑顔だと知った時は、俺も由理も成長してしまったという思いが募っていった。
何を話せばいいのか分からず、二人きりになった所で、俺も話す内容を考えていなかった。でも、気まずい雰囲気が流れるにつれて、何か話さなければならないという思いから、俺は言葉を発していた。
「あの! ……さ。えーと……ほら、浜辺に行かないか?」
「……え?」
その時、適当に思いついた言葉だったのに、何故か由理の表情は驚いたような表情に変わっていた。俺は「どうかな?」と声を漏らして、その場で立ち尽くしていると、由理は少しの間呆然とした後、笑顔で「いいよ」と答えてくれた。
この笑顔は、多分、昔の笑顔だと思う。
浜辺に着くと、潮風の匂いが漂い、ざざーという波の音がした。もう暗い海は、とても危険だと昔父親から聞かされたことがあるけれど、そんなことは分かっていた。でも、此処に来たかったんだ。
丁度満月で、月の光が海を照らし、反射して綺麗に見えた。これならこんなに暗くても大丈夫だろう。そう思えた。
隣に歩く由理は、昔とちっとも変わらない雰囲気なようで、どこか独特の俺の知らない由理がいるようで、どうにも違和感があった。
時間なんて忘れて、俺と由理は浜辺で二人、歩いていた。
「……もう四年だよ」
「え?」
「四年。再会するのに四年」
由理は俺の方へ振り向かずに、呟いた。この声色は、やっぱり昔の由理のものだと俺は確信した。良かった、由理はまだいたんだという矛盾したような思いが胸の奥に芽生えた。
「いや、三年だろ? 俺が大学行ったのって、三年前だから……」
「ううん。四年だよ」
由理はゆっくりと俺の方へと振り向いた。綺麗だ。本当にそう思えた。
「あのさ、悟。約束とかって、覚えてる?」
「約束?」
「そうだよ。久しぶりに話して、忘れちゃった?」
「いや……」
忘れたとか、言えるはずがない。けれど、思い出させないのは事実だった。約束とか、そういう部類のものは子供だったから。そう、子供だったから別に叶うわけないんだとばかり思って、適当に誤魔化していたんだ。
「ま、悟のことだし? 忘れてるよね」
「何だよ、それ」
「だって本当じゃん」
「それならあれだろ。由理だって昔、お菓子の取り合いして、もう俺のお菓子は食わないって言ったのに、何度も食っただろ。あれも約束忘れてるだろ」
「わー、細かっ! 私はそんな細かい人間じゃないし」
「細かくねぇよ! あの時のお菓子は俺にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだからな!」
「あははっ、何それ! 普通に生きてるじゃん!」
由理は俺の必死な言葉に笑顔で返した。あの時は笑い事でもなかったんだ。勝手にお菓子が消えるものだと思って、幽霊だって騒いでバカにされたという記憶があるからな。あれは結構な汚点になったな。
「すっごくビビってたもんね」
「ビビってねぇよ!」
「嘘だー。私にトイレまでついて来てって言ってたクセに。悟の反応が面白かったから一回でやめようと思ったのに、やめれなかったんだよ」
「俺のせいかよ!」
「そうそう、悟のせいだよ」
言い合うと、俺と由理は二人で笑った。そうだ、これが昔の俺たち。やっぱり傷は癒えたんだろうか。そう思った。
けれど、それはどこか違うような気がした。違う。俺が求めているのは、こんなのじゃない。友達としての、俺の思い出じゃないんだ。
その時、ふと思い出した。あの、この町で、この浜辺でしか見れない、あの"魔法"を。
「なぁ、由理。頼みごとがある」
「何?」
笑い終えた後なので、笑顔で由理は返した。その由理に向けて、俺は言った。
「一緒に、海の向こう側を見ないか?」
「……え?」
その瞬間、呆然としたような表情になった。この表情、俺は見たことがあった。この町を離れると言った、あの時に。
どうしてこの言葉が出たのかは分からないけれど、ふと思い浮かんだことだった。幼少の頃、海の向こう側を見たいといった。それは、大人になってから。
一つ一つ、バラバラになったピースが埋まるような気がしていた。
「……遅いよ」
由理は小さく呟いた。そして、またゆっくりと続ける。
「もう、魔法は切れちゃったんだよ。遅すぎるよ」
泣きそうな顔だった。由理は、やはりあの時――。
俺は、全てが分かったような気がした。
「そうでもないんじゃないか?」
「……え?」
言おう。今度は、俺に魔法がかけられるだろう。
あの時、由理は、俺に見せたかったものがあった。それは、モーニングブロウでもない。あの時、俺は――由理が落としたものを拾っていた。
俺の隣を通り過ぎて行ってしまったあの時、由理が落としたものは――海の絵だった。それは、俺が描いた海の絵。由理に渡した、俺の絵だった。それを、俺に渡そうとした。プレゼントしたものをまた返すなんて、失礼だろうとその時は思ってしまったけれど、でも、今は違う。時がたった今は違う。この海の絵には、天から光り輝くようにして降り注ぐ一筋の光があった。そこに俺は、サンタクロースを書いている。舞い降りた先にあるものは、海。
それは、あの海の向こう側について聞いた時、描いたものだった。
「ほら、この絵。由理にあげるよ」
「本当?」
「うん。由理の言うことが本当なら、クリスマスにサンタクロースがプレゼントをくれるよ」
「え? サンタさん、海に来るの?」
「そう、海だ。俺たちの住んでいる所には、煙突なんて無いから海に来るんだ」
「何をくれるの?」
「そうだなぁ……あぁ、そうだ。魔法とかかけてくれるんじゃない?」
「魔法? どんな?」
「色々だよ。いっぱいいっぱい。お願いごとをすれば、きっと叶うんだよ」
子供にありがちな夢だった。けれど、その夢をあの時、由理はずっと抱き続けていた。
二十歳になるまでサンタクロースは来る。今はもう二十歳を過ぎてしまった。そう、海の向こう側より現れるサンタクロースは、もう来ない。魔法は、かけてくれないのだ。
一筋の光より現れるサンタクロース。そのサンタクロースは、モーニングブロウの光で現れることを示している。
随分と洒落た絵だった。でも俺は、その絵を此処に持ってきていた。今、この場に。
「その絵……!」
驚いたような声を出して、由理は呟いた。俺は、その絵を由理に返して、言った。
「ごめん、由理。俺は、この絵の通りに願い叶えられなかったけれど、でもな、この絵は何もサンタが来なくても、海の向こう側のお日様ぐらいは力貸してくれるんじゃないのかって俺は思うんだよ」
「……都合よすぎでしょ」
由理は少し震えたような声で言う。少し寒いな。去年よりも寒いし、更に海にいるわけだしな。でも、今日は此処にいなければならない。幼い頃からの大切な約束を果たすまでは。
「サンタじゃなくて、由理に頼む。俺と海の向こう側を見てくれ」
「魔法も何も無いのに、いいの?」
「いいんだよ、別に。サンタは二十歳には来ないとか、横暴だし。少しぐらい横暴してやっても」
そういうと、由理はゆっくりと頷いた。砂浜に座り、一息吐く。白い息が眼の前に映る。
由理が四年といったのは、あのクリスマスの時から出会っていないということなのだろう。そんなこと、もう気付いていた。
ただ、確かめたかった。由理は変わってしまったのかを。そして、俺が変わってしまったのかを。
けど、全く変わっちゃいなかった。見た目は変わったかもしれないけれど、思いは変わってなかった。
あぁ、明日は親父たちに怒られるんだろうな。
学校で由理に目を背けていた時、由理は俺の方を向いていた。話しかけようともした。けれど、俺が拒絶していた。
俺がバスで向こうに行こうとしていた時、皆と一緒のところにいなかったけれど、別の所で由理は俺を見守っていた。
ごめん。全部気付いていたんだ。俺は、全部気付いてて、苦しかった。俺も、夢だったんだ。凄いものを見つけたいんだって、頑張って勉強して。
でも、一番に思ったのは、向こうに行っても――由理のことだったんだ。だから、後悔したんだ。後悔しても、しきれなかったぐらいに。
朝。綺麗な夕焼けに似た色を見せた空が俺の頭上には浮かんでいる。初めて見るモーニングブロウであり、海の向こう側だった。
一筋の光に似た、日が昇るにつれて見えた日の光が照らしていく。
「由理。――ずっと、好きだった。それは、今も」
由理は既に目を瞑ってしまっていたけれど、構わない。何度でも言ってあげればいいんだ。魔法なんて無くても、また取り戻せる。変わるものはあるかもしれない。失うものもあるかもしれないけど、きっと取り戻せる。
自分の着ているコートを由理にかけて、その海の向こう側を見た。青く輝くエメラルドブルーは、とても綺麗に映った。
きっと明日からは、憂鬱じゃなくなるだろう。この"お日様"がいる限りは。
海の波が揺れ、まるで祝福してくれているように日の光を反射させていた。
【END】
~あとがき~
……本当にすみません;
SSなのに、何で♯6も続いたのかというと、3000文字制限が修正の力によって突破できなかったからです。当初の予定は♯2までで終わりのつもりでしたが……描写とか書いてたら、普通にこうなってしまったという残念さ。
他にも書きたいことはあったんですが、最後は早く終わらせようという気であんな終わり方になってしまいました。本当なら、その後色々と書きたかったんですけどね……。一応、これだけで1万1000文字いってます;
他SSにしたらとんでもなく長い作品になってしまっているので、読まれる方は少ないと思いますが、自分の満足感はあるので結果オーライですw
田舎、上京物語を書きたくて、無理矢理海に繋げた感満載で本当に申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
まずは風さん、そしてこれを見る方々や他投稿をする方々に多大な迷惑をおかけしまして、まことに申し訳ございませんでした;
以上、遮犬でしたっ。