「海は、全てを流してくれますか?」
ザァ……
ザザァ……ザザザァ……
並が、押し寄せては引く。波の流れる音は意外なほどに不規則なのだなと彼女は思う。
海は、久し振りだ。長い間、彼女は海に来る余裕などなかったから。
儚げな表情を浮かべた双眸は、唯でさえ儚げで可憐な容貌の彼女が、消えてしまいそうに感じさせるには充分だった。
彼女の華奢さもそれを助長する。
薄紅色の綺麗な長髪が、潮風にたゆたう。 青の大き目の瞳には少なからず涙が浮んでいて。
彼女の目元は、赤く腫れていた。
彼女の名は、セリス・グランヴェスト。
遠い昔、有名な資産家の一人娘として何不自由なく暮らしていた彼女は、十年近く前に突然平穏の全てを失った。
誇る財産は全て不法で手に入れた物と非難の対象とされ搾取され父が自殺。多くのメイドや使用人たちが一目散に逃げ出した。
金の無い資産家は惨めなものだ。金しか信用される物が無いのなら金が無いのなら唯の屑。
世間の風当たりは厳しく。彼女は、何度も自殺を図ろうとしながらもそれを出来なかった。
この身に宿るアクセルと言う力。その力を与える人格“エンジェルビーツ”にそれを許して貰えなかったのだ。
それと同時に彼女自身、自らを地獄の底辺へと追い遣った輩を粛清したいと願っていた。
矛盾するようだが、二つの感情は確実に有って。結局は行きたいという本能が勝ったのだ。
それから、彼女は、世間から逃れながら乞食のような生活を送る。幼少期と比べたらひもじい生活。
泥水を飲み犬の死体を解体して食べた。眩暈がするほどの地獄でも彼女は耐えた。
耐えて耐えて耐え抜き何時しか心も感受性を失う。それでも笑いたいと言う感情は湧き上がる。
そんな好機が、訪れたのはつい三ヶ月程度前。酷暑甚だしいコンクリートジャングルの路傍の中。
いつものようにアクセルの発動を維持するために必要なエネルギー源、エンジンを充填しようとして居たとき。
彼女のエンジン条件である左目をくりぬき食すと言う行為が終了した瞬間。
倒れこんだ男の胸ポケットに有った携帯が鳴り響く。
定時連絡が来なくて心配した仲間が電話でも掛けてきたのか。そろそろ逃げるかと歩き出そうとした時。
声が聞こえた。それは、能力者組織イグライアスへの勧誘だった。
彼女は、それを間には受けなかったが深く渇望した平穏への入り口と考えその携帯から発される待ち合わせ場所へと向う。
磨耗して磨り減った意思。彼女は、とうに平穏を望んでいた。もう、世界に糾弾されるのも卑しい生活も懲り懲りだ。
唯、それだけ。自分のお気に召さなければ逃げる事も出来るだろう。彼女は、自らの能力に相当の自信を持っていた。
当然だ。レベル一からレベル八まであるランクの中で彼女は、上位に位置するレベル五なのだから。
しかし、彼女は、組織とコンタクトして気軽さを感じた。
そして、思う。同じ能力を持つことで忌避されてきた彼らとなら良好な関係を築いていけると。
それは、長い苦悩の中で身につけた諦めの様なもの。それまでの状況と比べれば余程気楽だと言う程度の差。
それで満足できた。これから先、イグライアスから逃げて、また苦悩の日々を送るのは彼女には出来なかったのだ。
しかし、イグライアスは、世界政府に喧嘩を売る反乱分子だった。
組織の活動は、基本的に排斥される同族の救出。政府の能力者に対する蛮行に介入し政府の軍隊を制圧する事。
つまり、戦闘が主。死や負傷は、付き物だ。
最も、どこに敵が居るのか分らなかった路傍生活よりは遥かにマシだと彼女には、思えた。
しかし彼女は、最初の任務で早速大きな傷を負う。
会って直ぐに信頼できた仲間の呆気ない死と身内だった存在を自らの手で殺めたと言うこと。
死と言う自分にとっては見慣れた現象に戦慄いたのはなぜだろう。あの日以来、彼女は時々考える。
安堵と言う久し振りに感じる感情が胸中に強く存在して居たからだろうか。
それとも、久し振りに親しくなった人間だったから。親しい者を殺めたのは始めてだったからだろうか。
彼女には答えは出ない。
「寒い……リコイルさんは、きっとこんな寒い海に落ちたんだろうな」
三ヶ月前のあの日。明確に今でも思い出す。
あの時の任務は、政府の者達に人質を取られ、無理矢理重労働させられていると言うエージェント達を救出すること。
その時、最強の能力者レベル八の一角である政府公認の能力者集団の中核インテルの一人、ワルキューレが立ちはだかった。
彼からの逃走は、絶望的でリコイルは、自らの能力を使い自分ごと彼をトランスポートする事によりセリスたちを救う。
なぜ、海に落ちたとされているのか。それは、簡単な事だ。
イグライアスの長であり組織に所属する全エージェントの所在を把握しているリーブロが公言したのだから。
高度によっては、海に叩き付けられた衝撃で死んでいるだろう。
しかし、高度が、低ければ見渡す限りの大海原で溺れ死んだ事になる。或いは、鮫などに肉食魚に捕食されたのかもしれない。
何れにしろ無残な末路だ。
彼女の仇であるワルキューレは、無傷で生きているのが最初の任務の後すぐに報告された。
理不尽だと嘆いたものだ。
「……彷徨える御霊よ。どうか安らかに」
頬撫でる風が寒い。鋭い痛みが頬を貫く。
セリスは、静かに瞑目し十字を切る。それは、この世界に広く浸透するアルクェトラ教の動作だ。
彼女の家は、それなりに宗教に深い家系だった。
逃亡生活の最中は、何度も神頼みし全く助けて貰えない事実を知り神を憎みさえしたが。
今は、分る。唯、祈るしか出来ない状況もあると。
だからこそ、寒波襲う冬の海になど来たのだ。アルクェトラ教によれば、冬の海は、罪や憎しみを流す象徴とされている。
一頻り彼女は、黙祷を捧げ一筋の涙を流し毒づく。
「何を今更、敬虔なる聖職者気取ってるのかしらね? 少々感傷的になってしまったかしら?」
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Part2
涙を拭う。無神論者であり宗教から排斥された存在が祈りを捧げて誰が答える。
だが、そうせずには居られなかった。直接、神に捧げているのではない。
今は亡き大事な人々へと捧げているのだ。唯、彼女には他に祈り方を知らなかっただけの話。
小さく“自己満足ね”と、自傷し踵を返す。
そこには、見慣れた影。スーツ姿の長身の女性。彼女のパートナー、ファンベルンだ。
彼女の表情は、何時も通り人を食った様な笑み。心配してきた訳ではないようだ。
「気がすみましたかお嬢?」
「……全然。自己満足って意外と難しいわね?」
返答が分っている質問をファンベルンは、わざと聞く。
それに対して毅然とした表情をしてセリスは、忌憚無く言う。
ファンベルンは、彼女を見詰め小さく笑った。
「そりゃぁ、ね。何回経験しても良い物じゃないですよね。身内や深く知った存在が居なくなるってのは。
俺も何時もね。すぐに信じられないんですよ。あれ? リコイルさんどこ? みたいにさ……痛くて溜らなくてさ」
笑みを浮かべながらもファンベルンは涙を流す。
感極まったと言う感じだ。波の音が彼女の泣き声を飲み込む。
それを見てセリスは、優しく彼女を抱く。
暖かい。こうやって体を寄せ合う幸せ。それが、彼女がイグライアスに入って手に入れた安らぎ。
非合法で理想を手に入れようとする辛くて汚い組織だが、人は温かい。
思えば、リコイルも暖かかった。母親のような日溜りのような温もり。
「私さファンベルン。何でリコイルさんが死んだことがこんな悲しいのか分った気がするわ」
「――――彗は?」
自分よりも頭一つ近く大きいファンベルンの背中をさすりながらセリスは、語りかけた。
彼女が、リコイルの死を深く悔やんだ理由。それは、唯関係を持ったから。
彗も恐らくは同じ。あの時は、状況が状況だったからそれを口にする余裕は無かったが。
彗の命を奪った事。深く後悔して居た。彼女と仲間になって語り合いたかった。
セリスは、まだお嬢様と言って差し支えの無かった頃、彼女と仲が良かったのだ。
他のメイドの誰よりも彼女になついていたから。
「彼女は……私の背負った罪よ。あの日以来私の手は、紅く染まっている」
あの日以来、いつも見る。リコイルの死。自らの手が体が、彗の血で染まっていく姿。
あれは全て、彼女の心の中に根ざした喪失感と罪悪感。実家が、崩壊して以来、彼女は殺戮を繰り返してきた。
仕方なかったのだ。彼女のエンジン条件は、他人を傷つけなければいけないものだったから。
しかし、後悔したことは無かった。同情の余地も無いと思った奴ばかりを狙っていたから。
しかし、組織に入って思う。一長一短なのだと。
組織では、殺す相手を選り好み出来ない。組織では、大事な仲間を失う事が往々にある。
しかし、それでもあの喧騒と比べれば彼女には、気楽だった。地獄から普通に至った感覚が有るのだろう。
「お嬢……この体勢!」
無き止んだファンベルンが、突然頓狂な声を上げる。
感傷に浸っていたセリスは、ハッとなり背筋を伝う氷塊のような寒々とした感覚に突然襲われた。
かくしてその危惧は、実現する。
ファンベルンは、その体躯を生かして細身のセリスを押し倒す。
ザパァン! 音を立てて二人は、冬の海にダイブした。
体中に、針を刺すような 激痛が走る。凍っていないのだからゼロ度以下ではないのだが。相当寒いのは当たり前だ。
下手をすれば突然の寒さに心肺停止も有り得ただろう。
押し倒されたセリスは、寒いと大声を上げて喚いて立ち上がりファンベルンを殴った。
「ったく、アンタって奴は! アンタだけは死んでも悲しまなくてすみそうだわ!」
「そんなこと言っちゃってちゃんと泣いてくれるんでしょうお嬢は?」
ずぶ濡れで水が滴る二人。
砂塗れの顔を見合わせ二人は、笑い合った。
笑いながらセリスは、ファンベルンの言葉を肯定する。
いかにこんなことを言っていてもきっと泣くだろう。きっと、号泣するだろうな。
だから、今の内にやりたいことをやっておこう。そう、心に刻む。
それと同時に彼女の中には大きな目的が生まれた。
リコイルの敵であるワルキューレを倒すこと。
そして、こんな血みどろの戦いをしないでエージェントが暮らせる世界を創造することだ。
二人は、冷え切った体を温めようと海から少し離れた駐車場にとめてある車の中に駆け寄る。
そして、急いで着替えて海を後にした。
「久し振りの海はどうでしたお嬢?」
「…………そうね。青くて綺麗だったわ。お陰で敵討ちとか偽善者みたいなことを考えちゃった」
暖房を全力にして、悴む手をハァハァさせながらファンベルは問う。
それに対してセリスは、吹っ切れたような表情で思いもよらないことを考えてしまった事をカミングアウトする。
それに対して、彼女が情に厚いことを知っているファンベルンは、お嬢らしいですよと微笑む。
そして、寒々しい何も無い静かな海を見詰めながら彼女は呟く。
「偽善者ですか……何もしない善人よりよっぽどマシじゃないですか?」
静寂に包まれていながらも荒々しい冬の海は、そんな偽善者達を祝福しているようにファンベルンには見えた。ようやく感覚が戻ってきた両手の指を一度二度動かして彼女は車を発信させる。
バックミラーで見たセリスの顔は、心なしか満足げだった。
ファンベルンは、それだけで陽気な気分になりいつもの調子で彼女に問う。
「お嬢、帰りの音楽は何が良いですか?」
「そうね。元気の出るアップテンポの奴を頼むわ!」
ぶっきら棒にファンベルンの質問にセリスは答え、彼女はセリスの注文に答えるように数あるシーディーから本命を選ぶ。車内には、アップテンポで格好良い乗りながらこの空虚で荒々しい大自然に相応しい壮大な歌詞の歌が流れるのだった。彼女達の物語は続く。
長く長く険しい道程が続いている――――……
The end
あとがき――――
上の小説は、シリアス・ダークで掲載している無限∞エンジンの短編です。
興味のある方は、見てやってください。
上の参照にURLを貼りました♪
何と言うかあやふやな表現の多い駄作ですな。海関係ないし(涙
>>50
麻衣様へ。
無論、書いて良いのです!
>>52-57
遮犬様へ
お久し振りです! 貴方のSSとは、有り難い限りです!
何と……修正の力が通じぬとは!!