Re: お兄@腐りかけ(あわわわ、参照600とか ( No.104 )
日時: 2012/03/06 22:20
名前: たろす@◆kAcZqygfUg
参照: 綻ぶ世界で聞こえるのは、靴鳴らし進む少年の詩。



どうも、ちょっと買い物してきたんだよ。
たろ兄ことたろす@です。

前回書きたい事が浮かんだと書いたので、忘れないうちに少し。

-----------------
皆さま、良く聞きませんか?

「きみは客観的な考え方が出来る、大人だね」

と。
それってとても滑稽だと思いませんか?
客観的に物事を捉えるのが大人、もう片腹痛いと言うか、あまりにも滑稽で物申す気力も失せると言うか。

では主観的に物事を捉える人が子供なのか?
そうだと思う方は恐らく、恐ろしいほど世の中を知らないか、きっと子供なのでしょう。

僕は物を書く時にいつも思うのですが、作家と言うのは時に主観的に、時に客観的に物を見て、それを書かなければいけないと思います。

即ち、主観と客観のどちらもが出来なければいけない。
それって実はとても難しい事で、やはり普段から客観的な人間は客観的な視点から出なければ物を見られません。
勿論主観的な人間も然り。

そこでね、僕は毎回思うんですよ。
上の「大人」と言うのはまあ一つの例えなのですがね、果たしてどちらか一方しかできない人間を大人と言えるのでしょうか?
例えばそもそも論でその人が客観的に物事を考える人であったとすれば、きっと随分と幼いころからそうなのでしょう。
逆に、主観的に捉えているだけでも事足りてしまう環境であれば、恐らくそこで育った人はいつまでたっても主観的に物事を考えるでしょう。

僕は思う訳ですよ。
もしも物事の捉え方で「大人」であるのか、「子供」のままなのかを測るとすれば、僕はどちらも大差のない子供であると思う。
物事は主観的に捉え、客観的に見て、それを「相対的」に考えることで初めてあるべき形が見えると思うのです。

物書きの皆さまはきっと無意識のそれをやる事でしょう。
それがいかに難しい事か、と言うのは関係なくて、ある程度形になった小説と言うのはそういう風でしか書けないと思うのです。

自分の作った主観的なキャラクターを、客観的な位置から動かし、相対的に考えて、はじめてお話しになりませんか?

コレは別にアドバイスとかなんとかそういう類のものではなくて、僕が作家の美点について思うところを述べているだけなのですが。
それでも僕は思うのです。
人間は、誰しも一度物を書いてみるべきだと。
そうすればもう少し、人間が人間に不快な思いをする事は少なくなると思う。
30を過ぎても子供のままの人間はいなくなると思う。

人間は、年齢じゃないよ。
人格形成って言うのは環境だからね。

-----------------


なんだか話がまとまっていないのですが、これから髪を染め直すので今回はこの辺で。
寝なかったらもう一度本編更新するかも知れません。



であであ、たろす@でした。