なるほど。理解できます。でもやっぱり自分って感覚的人間というか、右脳的な人なので。そういう論理も分かるんですけど、でもそれって後付けなんじゃないか、と。破壊の道具から何かを学ぶんであって、道具から何かを読み取って逆に存在意味を追加したり、それを曲げたりってのは違うかなーってのは思います。銃は本質的には戦いの道具、でもそれだけじゃない用い方も一応できますよ、なんですよね。やっぱり銃から取り組む歴史だったりそういうアプローチ、なんてのもただ唸るしかないというか、うん、良くは言えないんですが(苦笑)。
結局、銃ってのは目的は破壊なんですよね。その為に設計、生産される。私からしたら銃は戦士なんです。荒々しいのか、それとも凜々しいのかは銃によって違いますが、破壊をもたらすものなんですよね。それが悪いとか良いとかじゃなくて。
ぶっちゃけ、私のなかのガンズ・ソウルといいますか(笑)。そんなのが声高く叫んでるんです。俺は可視化された破壊なんだ、と。だからそこから何かを学び取ろうが、なにを思おうが関係ない。銃は何らかの戦いに行き、破壊を撒き散らす。要は極限までに統一された破壊意思、なんですねェ。
上手くは言えないうえにうざったい話になりましたが(汗)、何か根底にある微妙な違和感がどうしても受け入れないんです。頭でも心でもたろすさんの意見は理解できるけど、でも何かかみ合わないところがある。うんうんそうだよな、とは何でか頷けない。対立するほどじゃない。なのに、うんとは言えないんですね。もっともだと思うのに。
ほうほう、勉強になります。ただそう目立った話だったり写真を見ないということは少数配備だったり、戦場ではあまり使われてなかったんでしょうかね。ともかくギアも良いけど、そういうのも泥臭くて見てみたい。
最初、あのヒゲ伍長さんは「自分は許可出してない!」ぶち切れたみたいですね(苦笑)。結局、自分の角を引っ込めて賞賛したってことはヘーネルが良い仕事をしたという証拠なんでしょうけども。
メッサーシュミット、良いですよね。なんというかスピットもそうなんですけど、完成したデザインがなんとも魅力的。
あ、すいません。眠くてふらふらしてきたので寝ます。お相手ありがとうございました(ぺこり)。