僕らは、いつだって道化師なんだ。
【道化師の涙】
「サーカスがやって来た! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 楽しいショーの始まりさ!」
「そこの道行くお嬢ちゃん、特別大サービスで今日はタダだよ!」
――今夜だけ、特別な夢を思いださないかい?
「ほらほら兄ちゃん恥ずかしがらずに入った入った! もうすぐ満員御礼で締めきっちゃうよ!」
「さぁさぁ世にも奇妙な手品に、火の輪くぐりの猛獣使い、ドキドキハラハラな空中散歩に見とれて忘れちゃいけねぇ、サーカスのお約束! 真っ白な顔に赤い鼻の滑稽なピエロも待ってるよ! 見なきゃ損だよ見においで!」
――子供の頃の夢、もう一度見てみたいかい?
あぁ、僕は夢を忘れた人に、もう一度夢を見せるのが仕事なんだ。忘れてしまった夢、消してしまった夢、諦めてしまった夢。全部思い出してごらんよ。そんなの叶いっこない、叶わないから見るのが夢なら、今夜だけその幻想に溺れても許されるさ。
僕ら道化師が、いつでも夢を見させてあげる。
*
いつから、夢を見なくなったんだろう。小さい頃は朝起きて、お母さんに「今日はこんな夢を見たんだよ!」って毎日言っていたのに。
ねぇ、大人になるって、夢を見なくなること?
大人たちに問いかけても、誰も答えてくれなかった。「そんなこと考える暇があったら勉強しなさい」「君は何を言っているんだね。そんなくだらないことを質問するのはやめなさい」だってさ。ちょっと質問を変えて、「最近どんな夢見た?」って聞いてみた。そしたら、みんな口をそろえて言うんだ。「夢なんてもう何年も見てないさ」ってね。
自分が見た夢すら思い出せないのが大人なら、なんてつまらないんだ。目をを閉じても広がるのは暗闇だけで、映像なんて浮かびやしない。怖い夢、ヒーローになった夢、鳥になった夢、いろんな夢を見てたのに。どうして夢を見なくなったんだい、大人たち。
そんなある日、僕の住む町にサーカス団がやってきた。鳴り響くラッパの音。動物の鳴き声。赤と白のテント。
「おとーさんおとーさん! サーカスだって! ぼくみたいこれみるー!」
「今日は新しくできたショッピングセンターでおもちゃを買うんだろう? ほら、行くよ」
そのやり取りを遠くから見ていた。近づいて行ったところで、所詮は赤の他人。僕が「見に行ってあげようよ」なんて言っても、怪訝な顔と共に不審者扱いされる世の中だってことは十分承知している。去っていく親子を横目に、僕は一人チケット売り場に並んだ。
途中、ピエロと曲芸師がこちらに歩いてくるのが見えた。ボウリングのピンを何本も器用にお手玉して、それなのに顔はまっすぐ前を向いて歩いている曲芸師に、わらわらと子供が群がる。その隣でピエロは白いおしろいに赤い鼻のトレードマーク、そして水色で書かれた涙のペイントを顔に張り付けて、パントマイムを始めていた。
特にすることもないからピエロの芸を見ていた。鍵の壊されたトランクを、どうにかして開けようとする。引っ張ったり、叩いたり、持ち上げたりしてもなかなか開けられない。しまいには鍵穴のあったであろう場所に、小さくて丸いくぼみができた。すると、隣の曲芸師からボウリングのピンを一つ奪い取って、くぼみに差し込む。トランクは、鍵なんか壊されていなかったかのように、すんなり開いた。
なんだ、簡単なことだったじゃないか。
にやり、と笑ってトランクの中身を取り出すピエロ。大きな青い宝石が入っていた。でも、隣の曲芸師が「その宝石は俺のピンを使って開けたから俺のだ!」と言って奪ってしまう。それを全力で阻止しようとするピエロ。お互いに引っ張り合って離そうとしない。手の甲を叩きあったり、指を外そうとしたり。結局、曲芸師に宝石は奪われてしまった。周りの子供たちが、大げさな身振り手振りで動くピエロに大笑いしていたその時――彼と目が合う。
ほんの一瞬なのに、心の中を見透かされたような、そんな気がした。唇の端を軽くつり上げてテントの中へと入っていくピエロ。その後ろ姿がなぜか印象に残った。
*
子供の頃に見た夢は、いつの間にか忘れてしまう。寝ている間に見た夢も、将来の夢も。大きくなったら、なんて言葉は、本当に大きくなったら使えない。どんどん現実とか、周りのこととか、色んなことが見えるようになって、『将来の夢』という作文に書いてあることが実現できるのは、ほんの一握りの選ばれた人だけなんだって理解するようになった。だって、なりたいって気持ちだけじゃどうにもならないだろう?
どんなに好きで努力しても、それぞれが生まれ持った能力には限界がある。野球選手になりたい。いくらボールを投げて練習しても、球は120kmが限界で、それ以上速くならなかった。サッカー選手になりたい。ボールを蹴って蹴って蹴りまくって、ゴールにたくさん入れられるようになった。でも、プロのクラブから声がかかったのは別のチームメイト。足が速くなりたい。同じ練習をしているのに、自分だけタイムが伸びなかった。
よくある話じゃないか。だから、僕たちは夢をだんだん見なくなる。潜在意識の中に、自分が諦めたこと、無理だって思ったこと、そういうのが反映されていった結果、夢を見ても記憶には一切残らない。無理だって知ってるのにその夢を見るなんて、つらいだろう? 僕たちは、見た夢を忘れてしまうんだ。
なりたい自分、なれなかった自分。その2つの両方を忘れてしまいそうになるから、時折とびっきり怖い夢を見て、真夜中に目を覚ますのさ。夢を忘れちゃだめだよって。
「見た夢を忘れるからこそ、夢を見させる人が必要なんだよ、君」
僕の心を見透かしたような声がした。そこにいたのは、あのピエロだった。チケットを買い終わって、サーカスが始まるまでの時間、僕はテントの周りを散策していたところだった。
「なんで、考えていることが分かったんですか?」
「人はみな、道化師に過ぎないのさ。夢に向かって頑張る、とか言いながらも心のどこかで諦めている自分もいる。それなのに周りを気にし、頑張ろうとする自分を演じるなんて滑稽だろ? 自分の人生というショーの中で本心を隠し、体面だけ取り繕って動いてく。曲芸師に宝石を横取りされても、そういう人生なんだと諦める。そんなの、俺たち道化師と変わらないじゃないか。道化師は、ショーで演じている間、話しちゃいけない。それは、人間が本心を話さないからさ」
そういう彼は、どこか寂しそうだった。
彼も、僕と同じなんだろう。夢を見ることが大好きで、毎日寝るのが楽しみだった。でも、いつの間にか見る夢は減っていって、今ではほとんど見ない。自分の限界だったり、大人に夢を見るな、現実を受け止めろって教えられて、それが辛いんだ。いつまでも夢を見て、その世界に浸っていたい僕たちは――子供?
「人は、見た夢を忘れる。でも、時には思い出さなくちゃいけない。そのためにピエロはいる……良い考え方ですね」
「おいおい、考え方とか一括りにされたら困るな。ピエロはお前らもさ。変なプライドや人間関係に振り回されて滑稽な人生を送る人々を、俺らは演じてるに過ぎない。だから道化師の仕草は、言葉がなくとも伝わるし、他人の話だと思って笑えるのさ。みーんな、円満な人間関係とやらを演じるために、トランクの鍵を壊しておくんだろ?」
彼は、僕に仮面を投げてよこした。真っ白な仮面には赤い鼻と、水色の涙が書き込まれている。目の部分にだけ穴が開いていて、被るとどんな表情をしているのか分からなくなった。
中で待ってるよ、と言いのこしてピエロはテントの中に消えていった。あとに残ったのは、仮面をつけた僕。仮面越しの世界、薄っぺらい金属が顔の前にあるだけなのに、何も、なにも見えない。
僕は何を見ればいい? 何を見せればいい? どんな表情をすればいい? どうすればいい? わからないよ。誰か教えてよ。怖いよ。トランクの鍵は、どうやって開けるの?
仮面をつけていれば、誰かのために表情を作ったり、見た目を気にする必要なんてないじゃないか。僕の心なんて、僕の夢なんて、僕が道化師なら見る必要はないだろう? トランクを開ける必要なんてない。中身なんていらない。全部君にあげる。
嗚呼、大人になるって仮面をつけることなのか。本音をこらえて頭を下げたり、全部全部心に仮面を被ってるのが大人なんだ。心にも、顔にも仮面をつけた僕は道化師――それとも、曲芸師? 大人って、こういうものなんですか。夢は、諦めるんじゃない。叶わないから、忘れるんだね。
*
仮面をつけるからには、宝石を捨てなきゃいけない。人に夢を思い出させるには、自分が夢を見続けられる人でないといけないからさ。中途半端な捨て方じゃ、夢を見させることはできやしない。お前には、その仮面をつける覚悟があるのかい?
今日も道化師は、真っ白なおしろいに真っ赤な鼻。そして水色の絵の具で涙を描く。人は、いつか必ず、見た夢を忘れる。忘れられた夢を想って、今日もシュルレアリストは涙を流した。