*さてと。
こんな話をしました。独創性は学ぶことができるのか。
創作者にとって、文も絵も音でも何でも、独創性って一番重要な点と言っても過言ではないと思うんですよ。だってそれがなきゃ何も始まらない。
どんな流行りのジャンルに乗っていても、どこかしらにその人だけの持ち味があると思います。一番顕著なのはキャラクターですかね。
他にも世界観だったり、ストーリー、設定、雰囲気、色々あると思います。それって、他人から学べますか?
如何にして自分だけの何かを作るか。その人にしか表現できない何かは強みになるし、一種の評価にもなります。でも、「それどうやって考えたの?」って言われて答えられますか?
例えば、青い目をしたフランス人形がいたとします。あなたはそれを世界で最初に作った人間です。
なんで人形の目を青にしたのか。他の色ではダメなのか。どうして青い目の人形は日本人形ではなく、フランス人形なのか。
好きだから。何となく。この類いの答え以外で、答えられる人はいるでしょうか。なんで、を突きつめていくと全てここに繋がる気がします。
つまり、その人だから作り出せたわけです。他の人だったら緑目かもしれないし、土人形を使ったかもしれない。これが独創性です。
長くなりました。本題に入りましょう。
私は、独創性は間接的に学ぶことが出来ると思います。ただ、直接的には不可能だとも思います。
理由としては、独創性がその人の今までの人生で培った価値観の産物だと考えるからです。人の人生はそれぞれ違うのが当たり前ですし、同じ出来事を経験しても、それをどう捉えるかも違います。
数学のように公式を覚えたら全ての問題が解けるようにはなりません。価値観に公式が存在しないからです。だから価値観は1つに決まらないし、公式という教えるべき対象があやふやだから教えられない、つまり学ぶことができない。
これが直接的に学ぶことに対しての理由です。
では間接的にはどうでしょう。
他人の価値観があります。その価値観に触れて、自分の価値観を広げていくことは可能です。例えるなら数学に対して古典でしょうか。
原文をどう現代語訳にするかは人それぞれです。単語がどんな意味を持つのか、どんな話の流れなのか、作者の意図を汲み取りつつ訳していく、あの感覚に近いのかなと。
古典の授業では、助詞や動詞などの文法を学びますが、最後は自分自身の解釈になりますよね。
独創性もそういう事なのでは、と思った次第です。
そんな感じ。