Re: 徒然なるままに――。*Click? Clack?* ( No.380 )
日時: 2017/09/09 10:42
名前: 黒崎加奈◆KANA.Iz1Fk (ID: KJr8paIA)

――あたしは消えない、そう言って。

【Kiss】

 それは何百年後の未来だろうか。人は、死ねなかった。
 医療、衛生、科学。これらの飛躍的な進歩がもたらしたのは、不老不死。その技術は『Reserved』と名付けられていた。術を受けた段階の成長段階を永遠に保ち続け、専用の薬を投与するまで死ぬことはできない。急激な人口減少に直面し、一時期は百億を突破したのが、二十億にまで減ったことに対する人類の答えだった。
 それで、人口は増えると思われていた。なのに――。

「なぜだ、なぜ人口が減り続ける! このままでは、人類が絶滅してしまうではないか!」
「自然死を迎えたいという人間が、想像以上に多かったことが原因かと思います。もちろん、永遠に若くありたいという者もいますが、自由に死ぬことができないというデメリットが大きすぎるのです。そのせいで『Reserved』を受けたいと思う人間が極々一部のままに……」

 普及が進まない原因の一つに、専用の薬の入手方法があった。人口減少に歯止めをかけるために開発された技術なのだから、簡単に死ぬことを役所が許すわけがない。「あたし、百三十年も生きているんです。術を受けていない友達は全員死にました。知り合いがいないこの世で生きていても辛いんです。死なせてください」と訴えても、永眠することはできなかった。
 その実態が浮き彫りになるにつれ、術を受ける人はますます減り、それに比例するかのように人口も減る。
 ついに、見かねた政府が強硬手段に出た。二十歳を過ぎた全ての人類に、この技術を受けるよう法律で制定し、義務とする。開発されてから、百五十年後のことだった――。

「明日が、俺の誕生日。二十歳の誕生日……か」

 部屋の中、窓ガラスに向かって呟いたのは、来栖湊(くるすみなと)。明日の誕生日に『Reserved』を受けることが決まっていた。
 法令となってからさらに百年。ようやく人口減少は落ち着き、以前問題となっていた薬の投与についても、術を受けてから百五十年以上が経過していれば死ぬことが許される、という認識で納まることとなった。そして受け忘れがないよう、二十歳の誕生日に術を受けることも行われていた。
 布団に寝ころんで、今度は天井を見上げる。そこでふと、空中で指を操作しディスプレイを呼び出す。湊は、そこに送られてきた通達を眺めた。
『来栖湊 様
 明日の正午より、施術を開始いたします。一時間前には国際病院に来院いただきますよう、お願いいたします。
          人口対策課』
 たったそれだけのことが書かれた短い文書。湊の友人の多くは既に術を受け終わっている。でも、湊はあまり乗り気ではなかった。
 辞書に『老人』という死語がある。今から百年以上前の世界では当たり前に存在していた、人間の老いた姿らしいが、今はそんな姿はない。みんなが二十歳の姿のままなのだから。見た目は二十歳でも百年ほど生きたあとは、二十歳になりたての人間と中身は同じままなのだろうか。『老人』は身体の機能や免疫が低下するとあった。
 百五十年後、自分の身体がどうなっているのか分からない。友人に聞いても、気にすることじゃないと笑われてしまった。調べても調べても、薬を飲めるほど前から生きている人は見つからない。政府が、この技術に何か隠しているという噂があるが、本当なのかもしれないと、彼は睨んでいた。

「未来の自分が気になるかい?」
「うわぁっ?!」
「ふふっ、真由美さんが入れてくれたよ。湊は考え事してたから気づかなかったんだねー」

 いつの間にか、近所に住む女性が訪ねてきていた。彼女は山村羽月(やまむらはづき)。湊にとっては、生まれた時からよく遊んでくれるお姉さんだった。

「羽月さん驚かさないでくださいよ……心臓止まるかと思いました」
「止まってないんだから怒んないの。いよいよ君も二十歳かー、ここから長いよー」

 起き上がった湊の顔を、真下から覗き込んできた。見上げる顔は可愛くて、少なくとも二十歳以上の年齢差があることを忘れてしまいそうなほどだった。

「あたしね、二十歳でこの術を受けたんじゃないんだ。十八の時なの」
「えっ」

――だから、ほんとはお酒とか飲んじゃいけないんだけどねー。
 そう言ってからからと笑う羽月が、ふいに真顔になった。

「いろーんな人が二十歳になって、術を受けるのを見てきたけど、あたしはやっぱりこんな術おかしいと思うんだ。あたしが生まれたころは『老人』、たくさんいたよ。んで、十七の時に『Reserved』が開発されて、十八の時に受けた。『永遠のえいてぃーん』ってフレーズあるじゃない? あれに憧れてて、軽い気持ちでやったんだよね。でも、死ぬほど後悔した。みんな大人になって、年相応の顔つきになってくのに、あたしは十八の見た目のまま。ケガをしても勝手に治るし、病気もかからない。三回ぐらい車にはねられたけど、無傷なんだよね。すっごい痛いだけで」

 湊は黙って聞いていた。普段、友達や周りの人間と話していて、こんなことは聞かない。まして、目の前にいる羽月がそんな前から生きているなんて、思ってもいなかっただろう。頭の中で、聞いたことを整理しつつ、聞いてみた。

「羽月さんって、何年に生まれたの?」
「あたし? あたしはね――西暦二七三九年」

 耳を疑った。今は西暦三〇〇四年。彼女は、二百五十年以上生きている計算になる。

「さすがに生きすぎたなーって思うんだ。それに、色々知りすぎちゃってるし。身体の方もキズの治りが遅かったり、ガタがきてるんだねー」

 そういえば今日の夕食は辛口のカレーライスなんだ、と軽く付け加えられた。なんで急に夕飯の話になったのかは分からないが、すごくサラッと話題を流されたような、湊はそんな気がした。

「……羽月さん、術を受けた人間が死ぬときって、どうなるか知ってます? なんか、今まで周りでそういう人がいなかったからちょっと気になってて。昔は病気とかケガとか、『寿命』っていうので死んで、だいたいは『火葬』されてたんでしょ? 今はそんな『火葬場』とか『お墓』っていうのはないですし」

 湊は、自分が気になってることを素直に聞いてみた。彼女なら、きっと答えを知っている。そう感じたからだ。
 案の定、彼女は難しい顔をして考え込んでいる。そういう時は答えを知っているけれど、言うか悩むときの表情だった。

「……消えるよ」

 短い言葉。黒い瞳に射抜かれたとたん、喉がカラカラに乾いて声が出せなくなった。

「肉体が急速に劣化して、朽ちるんだ。消える、というよりは土に還るって言った方が近いのかな。この術が開発される前は、だいたい九十歳ぐらいまでしか人は生きられなかった。それを無理やり百五十年も生かすんでしょ? ボロボロになるよねーあたしとか骨も残らないと思う」

 黙っている湊に、羽月は言葉を続ける。

「それにね、記憶からも消えるんだ。よっぽど偉い人とか、すごいことをした人は記録として残るから消えないけど、あたし達みたいな一般人は消えちゃうね。だから、湊が調べても全然出てこなかったんだよ。まして、自分がどのくらい生きてるか公表する人っていないじゃん」

 薬を飲まない限り二十歳の容貌を保つということは、生殖活動も問題なく永遠にできると言える。つまり、本来なら年齢差という壁にぶつかるが、その壁が取り払われているため、二十歳と百歳のカップルでも、二十歳同士に見た目上はなってしまうのだ。

「だからさー本当ならあたしはとっくに死んでて、こうして湊と言葉を交わすどころか、存在も認識されてないんだよね。まぁ、あたしが薬を飲めば記憶から消えちゃうから、同じなんだけど」
「ってことは、俺が無意識のうちに存在を忘れてる人がたくさんいるってこと? 羽月さんみたいに、小さいころから関わってきたとしても、死んだのに気がつかないんです?」
「そゆこと。でも、消えても思い出させる方法は一つあるんだ。それを知ったのは偶然だけど、知ったからには使わないとねー。だって、こうして湊と話したことが忘れられちゃうのっていやじゃない? あたしは消えない。だから――」

 聞き取れなかった言葉を考える前に、甘ったるい味と、やわらかい感触に支配された。口の中を動き回る他人の熱。いつまでも感じる甘味。それがディープキスだと理解したころには、もう、羽月は部屋からいなくなっていた。

「……あっま。何食ったんだよ羽月さんは」
「みなとー、夜ご飯できたよー!」

 下の部屋から、母親である真由美が呼ぶ声がした。夕飯を食べ、風呂に入り、寝るころには、夕方に起きたことなど綺麗さっぱり、記憶から消えていた。

「こちらが薬になります。この場でお飲みください。飲んでから二十四時間後に死にます。遺体は自動的に灰になりますので、特に場所を選ぶ必要はありません」
「分かりました」

 百七十八年たって、湊は死のうと考えていた。役所に申請を出してから三か月。ようやく許可が下りた。小さな小瓶にいれて渡された薬は淡いピンクをしていて、いかにも劇薬といった様だった。

「あっま!」

 飲んだ瞬間、口の中に広がった味に、苦しんだ。どこかが痛いわけではない。とにかく甘いのだ。塩をそのまま舐めても収まらない。辛いものが苦手な人でも、今夜はとびきり辛いカレーが食べたいなと思わせるほどの甘さだった。でも、この甘さを湊は知っているような気がした。ずいぶんと昔、それこそ二十歳の誕生日を迎えたころ――。

「羽月さんか……あの人、あの時はやってくれたな。人の唇奪っといて死ぬとか」

 どうして今まで忘れていたのか、不思議なくらい鮮明に思い出した。死ぬと記憶から消え、忘れ去られる存在。でも、すでに死んだはずの羽月のことを、なぜ思い出したのだろうか。

「あたしは消えない。だから、一足先に死の薬を味見させてあげるよ」

FIN.

*初出は今年の2月くらい、とある企画にて。
お題『甘味』