隣にいることが当たり前になってしまうと、失うことが怖くなる。
そんなもんだよね、恋愛って。
*葉見ず花見ず、されど咲く
美しい黄昏時だった。澄み渡った空はそのままに、燃えるような茜色が一面に広がっている。そういえば今朝、ラジオの天気予報では秋分にふさわしい、綺麗な夕焼けが見られると言っていた。
寺の鐘が重たく五つ鳴って、時を告げている。あぁ、もうこんな時間か。射し込む斜陽に目を細めながら、ゆっくりと手を合わせて立ち上がる。墓石の上に置かれた小さな花束は、風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。
「あと少ししたら閉めるからね。御参りは日没の少し前までだから」
「あっはい。ありがとうごさいます」
お彼岸という時期もあってか多かった人もいなくなり、いつの間にか霊園の中には私と、寺の住職さんの二人だけになっていた。向かいの通路で掃除をしている小柄な老人に軽く会釈をして、入口の方へと戻りはじめる。
点々と並ぶ墓石の間を歩いていたら、風に揺れる水面が目に飛び込んできた。ちょっとした庭の様な造りになっていて、小さな池と石のベンチと、それを囲むように彼岸花の葉が咲いている。
そっか。もうそんな時期なのか。カレンダーや新聞や、なにかと日付は目にするけれど、いまいち季節の実感は湧いてこなくて。
今年は例年よりも気温が高いらしい。九月下旬だけれど、この夕暮れの時間帯でも半袖一枚で出歩けるし、まだ夏の名残がいたる所に残っている。池のほとりに咲く彼岸花だけが、まもなく来る秋を知らせているようだった。
「去年の今頃は、長袖一枚でも少し寒かったよね。台風とか秋雨前線とかさ、とにかく雨がずっと降ってて、梅雨に戻ったみたいだった。それなのに、今年は嘘みたいにこんなに晴れてさ……」
ベンチからひんやりとした温度が流れ込んできて、体温をゆっくりと奪っていく。誰に向かって私は話しているんだろう。周りには誰もいない。話を聞いてくれる人なんてどこにもいない。でも、私は溢れ出した言葉を止めることができなかった。
「あの日はさ、ほんとに土砂降りだった。外に出ないほうが良いって分かっていたのに、なんで、なんで止めなかったんだろうね。わたし。気を付けてねの一言も言えなくて、ただテレビを見ながら玄関が開く音だけ聞こえて、しばらくしたら電話が鳴ってた。一年経ったけど、今でも信じられないもん。ただいまって帰ってきて、こんなことがあったんだって楽しそうに笑って――隣にいないの。ぐしゃぐしゃになって包帯だらけの顔も、傷だらけの身体も、なんならお墓参り、さっきしてきたのにね。いつまで経っても、どうすることもできないの」
「そんな顔、しないで。俺まで悲しくなっちゃう」
隣から、ずっと聞きたかった声が聞こえた。そんなはずはない。だって、もうわかってる。彼は死んだのだ。それでいて、頭のどこかに分かりたくない自分が棲みついているのも分かってる。どっちにも折り合いをつけることができなくて、ただ時間だけが過ぎてしまった。
「泣いていいんだよ。俺のことも忘れていいんだよ。何もできないのがもどかしいけど、また笑って。ずっと俺は見てるから」
恐る恐る隣を見てみたけれど、やっぱり姿はなかった。さあっと吹き抜ける秋風に、彼岸花の葉が揺れているだけだった。しゃらしゃらと葉がこすれあって音をたてている。不思議なもので、ずっと泣けなかったのに涙がこぼれているような気がした。するりと心から気持ちが流れ出して、彼岸花の葉に吸い込まれているようだった。
いつの間にか冷えていた身体も、心なしかじんわり温かい。
「ありがとう。心配させて、ごめんね。わたし、ちゃんと笑うよ」
心にぽっかりと穴が開いたような虚無感が広がっていた。でもそれでいて軽かった。あんなに見たかった笑顔も姿も見れていないのに、ただ声が聞けただけで満足だった。まるで、彼岸花の葉が悲しい思い出を抜き取ってくれたみたいに、優しくて穏やかな虚無感だった。
そんな私を包み込むように日没を告げる鐘が鳴る。よっつ、いつつ、むっつ。空はまだ茜色に染まっているけれど、もうじき夜の帳がおりるだろう。ゆっくりと紺色が広がっている。ふと見ると、足元には紅の花が咲いていた。彼岸花の花だ。
「お嬢さん、門閉めちゃうよ」
掃除を終えたらしい。住職さんが鍵を見せながらこちらに歩いてきていた。
「あの、この彼岸花って今朝からずっと咲いていました?」
「いいや、今朝は葉が咲いていたはずだよ。あなたが誰かと会ったんじゃないのですかな。彼岸花は『葉見ず花見ず』って言ってね、あの世で花が咲いているとこちらは葉。こちらが花だとあの世は葉が咲くという民話みたいなのがあってねぇ。ほら、ここ霊園だから、そういうのがたまーにあるんだよ。私も若いころ一度あってね、同じように葉が咲いていて、いつの間にか花に変わっていた。しかも今日は秋分で、昼と夜の長さが同じときたもんだ。あちらの人も変わり目に出てきやすいんだろうよ」
運がいいか悪いかは、分からないけどな。そう笑い飛ばして、思ったよりも元気なおじいちゃんだった住職さんは境内の方へと歩き出した。私も、それを追いかけるように霊園を出る。
誰もいなくなった小さな池のほとりで、彼岸花は美しく紅を咲かせていた。
*
最近課題でしか書いてない案件。
テーマというかお題は『秋分』です。
あさねぎんマジで感謝してる。お陰で提出できたよ。