【わたあめ】
「お嬢ちゃん、わたあめ作らんか?」
にいっと、欠けた前歯を覗かせた老人が、屋台の奥から呼んでいる。年季の入った、今どきにしては珍しい、木組みの屋台だった。声をかけられなければ、間違いなく気づかないだろう。売り物は飾られておらず、使い込まれた綿あめ機と、割り箸だけが置いてある。足を止めた私に、もう一度老人は言う。「わたあめ、作らんか?」と。
千本鳥居のふもとには、異形の屋台が立ち並ぶ。お代は全て店しだい。例えばこの、鬼の涙で作られた硝子玉なら、対価は己の涙。面なら他人になれる代わりに、被った者の一生を要求する。そして、またそれが商品として、店に並ぶことの繰り返し。そんな奇妙な等価交換で成り立つ屋台だ。みな覚悟を決めてここに来て、己の身体や生涯を切り売りする黄昏時。
しかし人の形をした者は、運が良いか、店主に導かれて辿り着くことが多いらしい。大半が覚悟もなく迷い込むものだから、都では『神隠の屋台』などと呼ばれていた。というのが遠い過去の話で、今は一種の御伽草子として、広く親しまれている。
だから、現代社会でこんな場所があるとは、思ってもみなかった。七年付き合った男には浮気され、親が作った借金を背負う羽目になり、挙句の果てに稼ぎ口も失った。ああ、詰むとはこういうことか、と、どこか冷めた感情で眺める私の頭が下したのは、死という人生の幕引きで、その場に選んだのが、この伏見稲荷の山中であった、というだけなのだ。三ツ辻を越えた所で、ぼんやりと夕暮れを眺め、先への鳥居をくぐった先は別世界。呆然と物の怪に混ざって彷徨う私を、彼らは物珍しく眺めていた。
「お嬢ちゃん、死のうと思って来たんだろ。でもその前にわたあめ作っていってくれんか。お嬢ちゃんみたいな娘がおらんと、商売上がったりなのさ」
だから、ちょいとこちらに呼ばせてもらったんよ。と、鼻の長い老人はカラカラ笑う。困り果てて咄嗟に見上げた空は、不気味なまでに橙色だった。
「わたあめを作ったら、どうなるの?」
「わしは儲かる。お嬢ちゃんはスッキリする。死ぬのも考え直すかもしれんなあ」
異形の者と違い、人間の感情は繊細で、色彩が多いらしい。強ければ強いほど、濃く、強い輝きを放つ欠片に変わるそうで、それをわたあめにすると見栄えがするから、高値で売れる。そんなようなことを言っていた。
「キラキラ虹色に光る、わたあめになるんやぞ。夕暮れの陽射しにかざした時の、ひかり具合がちょうど良いのさ。少しは見てみたくなったかな?」
「全然。虹色のわたあめなんか嫌いだし。元の場所に帰して」
映える、とか軽い一言で、奇抜な色の食べ物が売れる世だ。鳥居の手前にある人間の屋台でも、『レインボーわたあめ』は見かけた。
どこの場所でも、結局見た目が一番大事なのか。元彼が選んだ可愛い歳下の女と、借金を抱えても生活を変えない両親と、リストラした事実が欲しい企業と、『レインボーわたあめ』の姿が重なる。
――どいつもこいつもベトベトに溶けて、醜い姿に変わってしまえ。
そう念じたら、辺りは真っ暗になって、異形の屋台も千本鳥居も、何もかも消えてしまった。真っ暗な場所に、私は一人。手の中の真新しい割り箸を、バキッと力任せに折ったのち、元の三ツ辻から身を投げた。