椛(もみじ)にはどんな思い出がありますか――?
【Autumn Tints Vol.1】
秋も深まるこの頃。
とある山奥に建てられた一軒のレストラン、『四季邸(しきてい)』では、とても美麗な紅葉(こうよう)が見られます。
なかでも窓際の席から眺める椛は、この世のものとは思えないほど美しいと、数多くのお客様からお褒めの言葉を頂いてまいりました。
この店、最近ではミシュランのガイドブックに掲載されるなど、各メディアからの取材も絶えませんが、なにせ山奥でして。実際にお越しになるお客様の数はあまり変わらず、いつも通り、ゆったりとした大自然の中で、料理の方を提供させていただいております。
それもこれも、1日にランチとディナー、それぞれ1組ずつしか御案内をしていない、というのもあるのでしょうが。
あぁ、それにしても本日は、本当に椛が見事でございますね。晴れ渡る青い空、そこに浮かぶ白に描かれた赤と黄色。気まぐれに吹く風に乗って、葉がひらひらと舞い落ちる様は、趣(おもむき)があるとでも言いましょうか。それもこれも、この山の豊かな自然が生み出した賜物です。
そうそう、椛と言えば、この四季邸にとても美しい思い出があるのですよ。
――どうか少しばかり、私の話に付き合っては頂けないでしょうか?
無理にとは言いません。耳を傾ける人がいなくてもこの時期には必ず話しておりますので。
ん? 聞く人がいないのに、この話をする理由、でございますか……。
そうですね、椛のため、でしょうか。心なしか、この話をすると椛も嬉しそうにしているのです。
開店までは時間がありますし、飲み物でも飲みながらいかがでしょうか。色々とお忙しいことでしょうし、軽く聞き流す程度で構いませんので。
今から5年前の、ちょうどこの時期のことでした――。
「いらっしゃいませ。2名様でご予約をされていた、来栖(くるす)様でしょうか?」
白い手袋をはめたドアマンが、ガラス扉を開けると同時に、洗練された動作でウェイターが45度の御辞儀をし、予約の確認をする。
四季邸において、予約は必然。著名人だろうが、一般客だろうが、必ず3カ月前までに予約をしなくてはならない。尤も、最近は1年半先まで予約が埋まっているのだが。しかしそれも、最近の話。この店が開店した直後は、予約という制度は整っていなかった。
ミシュランでは2ツ星を獲得し、今や日本のみならず、世界中から客は訪れる。これで予約という仕組みが無かったら、混乱を招くのは当然のこと。
しかし、それよりも重要な理由に、食材の調達が挙げられるだろう。この四季邸ではその季節に合った、旬の食材を客に提供することを、最大の売りにしている。だが、ここは人里離れた山奥。当然のように、車が通れるような道はなく、山を下りるのも一苦労である。
そのため、四季邸の裏手には小さいながらも農園があった。そこで料理に使う野菜などを育て、予約が近づき次第、魚や肉などの生鮮食品を買出しに行く……という仕組みをとるようになったことも、大きな要因である。
「はい」
少し緊張しているのだろうか。20代後半のカップルの男性の方が、硬い声で受け答えをした。そんな彼氏の緊張に、気づいているのかいないのか。彼女はレストランの内装を見て歓声を上げていた。
大自然に溶け込むように設計された空間は、木を基調として、全体的に柔らかい印象を与えるようになっている。入り口付近のエントランスホールも例外ではなく、真っ白い白樺を使い、丸みを帯びたカウンター、丁寧に鑢がけをされ、コーティングしたわけでもないのに艶々と光る檜の椅子。全てが辺りの自然と調和し、店の中にいるのにまだ、山奥の自然の中にいるような錯覚を起こす。
ウェイターに、お揃いの茶色いコートと手荷物を預け、それと引き換えに『7』と書かれた番号札をもらう。
この日、2人が案内されたのは窓際の席。窓には、曇り一つない大きなガラスが一面に張られており、そこから中庭と、山々の景色を望むことができた。上から下まで、景色を遮るような窓枠は一つも無く、そのまま中庭に歩いて行けるのではないか、と勘違いしてしまいそうになる。
「すごい綺麗だけど、なんか寂しいー。ここにも、1本で良いから木があれば良いのにねー、そう思わない?」
時は11月の中旬、そして夕刻。夏には中庭で青々と茂っていた芝も、寒さのせいか枯れてしまっていた。春にはアネモネや薔薇、夏にはガーベラやトケイソウ、冬はポインセチアや椿など、四季折々の様々な花が見られるのだが、秋だけは何も無かったのだ。
一通り窓の景色を眺め終えると、そこから伝わってくる冷気を遮るようにカーテンが引かれた。
彼氏は席に腰掛けながら、苦笑する。それを見た彼女は、どこか楽しそうな表情で向かいに座った。
「本日の前菜、『シェフの気まぐれ』でございます」
2人が席に着いてから5分少々。食前酒のシャンパンと共に、少し早めのディナーが始まった。
前菜として運ばれてきたのは、生ハムと洋梨のコンポート。生ハムの塩味と洋梨の甘さが合わさって、さっぱりとした口当たりに仕上がっている。舌の上でとろけるような食感に、思わず2人から感嘆の声が零れ出た。
「美味しい! ありがとね、拓真(たくま)」
「ん? あぁ、そうだな」
【Autumn Tints Vol.2】
この店に連れてきてくれたことに、素直な感謝の気持ちを述べる彼女に対し、『拓真』と呼ばれた彼氏の方はどこか上の空のようで。せっかくの料理の味も、よくわからないようだった。
その後料理は、スープ『カボチャと栗の冷製ポタージュ』、魚料理『秋鮭のグリル マッシュルームソース添え』、口直しのグラニテ、肉料理『仔羊のロースト ハーブとパン粉焼き 蜜柑(みかん)と花梨のソース』と続いた。
料理と共に、会話も弾む。しかし、喋るのは彼女だけで、彼氏はどこか気もそぞろで、適当な相槌を打っているのみ。ふと手元を見ると、あまり料理にも口をつけていない。彼女の方もそれに気が付いたようで、不安げな表情が顔に浮かんでいる。
そのうち会話も途切れはじめ、肉料理を食べ終えるころには、2人の間に沈黙が降りていた。
「本日のデザート、『レモンと柚子のケーキ 国産キウイとリンゴのシャーベット添え』でございます」
デザートの皿が運ばれてきたが、2人は口をつけようとしない。しばらく続く沈黙に耐えかねたように、彼女が口を開いた。
「拓真、今日、どうしたの? ずっと話しかけても上の空だし……なんか変だよ」
再び続く、長い沈黙。それを断ち切るように、彼氏が言葉を紡いだ。
「美結(みゆ)……」
一旦言葉を切り、大きく息を吐く。
「実は、来月からアメリカに行くことになった」
「え……?」
「この間の学会で発表した内容が想像以上に高評価で、向こうの大手企業から誘われたんだ。こっちに来ないかって。それを受けることにした。だから――」
「別れるの? だから……今日そんなに上の空だったの?」
話しを途中で遮った彼女の目から、滴が零れ落ちた。1つ、また1つ。膝の上のナプキンの上に跡がついていく。
「そんなの嫌だよッ……。だって……」
「話を最後まで聞けよ」
涙で濡れた顔を上げた彼女に、優しい笑みを向ける。
「だから――一緒に来て欲しい。遮られなければ、こう言うつもりだった」
言われた言葉が理解できずに、ただ自分のことを見つめる彼女に、真剣な表情で。
「俺、いや、僕と――結婚してください」
懐から、小さな白い箱を取り出し、開く。そこには、彼女の誕生石のタンザナイトが中央に置かれた、プラチナの指輪。
吸い込まれるような輝きに、誰もが魅入った。
嬉し涙を流す彼女の指に、それがぴったりとはまった時、店内には自然と拍手が湧いていた。
「いつから……?」
「アメリカに行くって、決めた時だな。この店は前々から予約していたし、タイミングも丁度良かったから。それに――」
――離れたくなかった。声は届かなかったが、確かに、口元はそう動いたような気がする。
笑顔が広がった2人の間で、静かに、黄緑色のシャーベットが溶けていった。
「失礼いたします。当店から、ささやかなお祝いをさせていただいても宜しいでしょうか?」
ゆったりとした足取りでテーブルに来た、若い男性が一礼して、窓の外を示した。
カーテンの開けられた、その窓から見えたのは、紅(あか)。
闇夜に浮かび上がる、鮮やかな色彩。月明かりに照らされて、風に靡(なび)く、枝葉。
はらり、と1枚の葉が、ゆっくりと芝に舞い落ちた。
「椛……」
彼女が呟いた声は、空間に吸い込まれて消えた。
先ほど、席に案内された時には無かった椛に、驚きを隠せない2人。
「来栖様、こちらで宜しかったでしょうか?」
「まさか、こんな形だなんて……。本当に、ありがとうございます」
彼氏が、立ち上がって深々と礼をした。そのやり取りについていけない彼女。
「どういうこと?」
「四季邸ではご予約の1週間前に、予約の確認がてら、演出のご希望も承っております。今回、来栖様からはプロポーズの記念になるような演出を、とのことでしたので、このようにさせていただきました」
彼氏の代わりに、先ほどの男性が淀みなく返答した。この男性、20代後半か30代前半に見えるが、れっきとしたこの店のオーナーである。
「僕としては、花などを予想していたのですが、まさか木を植えてくださるなんて。本当に、なんとお礼を申し上げたら良いものか」
「お気になさらずとも結構でございます。前々より、この中庭には秋の自然がありませんでしたので、私(わたくし)どもにとっても一石二鳥でしたから」
男性は、そう言って淑(しと)やかに微笑んだあと、一礼して去って行った。
残された2人は、互いに顔を見合わせると笑顔を浮かべる。そして、いつの間にか出来たてのものに取り換えられていたデザートを、外の景色を眺めながら、口にしたのだった――。
――いかがでしたでしょうか?
その後、あの2人は無事にアメリカへと渡り、結婚式も挙げられたようで。毎年、この時期になると国際便で手紙が届いております。2人とも幸せそうな顔で笑っておられますよ。
おや、もうこんな時間ですか。時が経つのは早いものですねぇ。そろそろ開店の準備をしなくては。今夜もお客様のご予約が入っておりますので。
何故、この話を貴方にしたのか。
そう問いかけられると返答に困りますが、なんとなく、でしょうか。今日は綺麗な満月の日ですし、何より、この辺りで椛が一番美しい時期は、この11月の中旬でございます。秋風に靡く、椛の葉を眺めていると、いつも、この話を思い出してしまうのです。
大切な方との、かけがえのない時間(とき)を――。
四季邸では、お客様に四季折々の料理を提供させて頂きます。友人、家族、恋人、相手と過ごす、何事にも変えられない『今』という時を、色褪せない、永遠に続く思い出にするために。
大自然に囲まれた、心地よい空間の中で心を開いたとき、この四季邸が少しでも、お客様の記憶に彩りを添えられることを願って。
そして――今宵もまた1つ、新たな物語が生まれることでしょう。