Re: 【SS競作】悪夢の遊戯は緋の薫り【第一回投稿期間】 ( No.9 )
日時: 2014/06/03 22:39
名前: 狒牙◆nadZQ.XKhM (ID: hnAnr1hk)


思い付けたので参加致します。



 今夜は、何て綺麗な満月なのでしょう。
 薄れゆく意識の中、君の声が響き渡る。寒気が、私の体を支配していた。

title:滴る紅と注ぐ月光

 不治の病。何とも陳腐な言葉に聞こえることだろう。トラジェディではありきたりな話であり、現実でもお涙頂戴や涙を誘う安い物語だと思われがちだ。その、侵されている当人を除いて。
 私の体の異変は治ることなど絶対に有り得ない。そう断言された人の絶望感など、誰も分かりやしない。同じ境遇に在る者以外。人は遅かれ早かれ必ず死ぬのだと、お医者様はその場しのぎの文面を述べた。だが、だから何だと言うのだろうか。同じ死ぬにしても、生を満喫してから死にたいに決まっている。そこそこの幸せでも、普通の人と同じ人生が送りたい、
 人は失って初めて、己が手にしていたはずの幸運を知るのだと言う。最初から平凡の有り難みなど知っていると私は自惚れていた。だが違ったのだ。今の私には、以前のその想いがただの思い上がりだと分かる。二度と戻れない拘束された運命の中でようやくその真の価値が分かる。帰りたいと切望して、自らの喉をかっ切りたくなるような衝動にかられたその時に、ようやく。

 そう言えば、私が初めてここを訪れたのも、綺麗な満月の夜でした。知っていますか? 満月には不思議な力があるという事に。学者様に寄りますと、潮の満ち引きにも関わっておりますし、満月や新月の晩には統計的に犯罪が増えるようです。
 ただ、私が言う不思議な力はそんなものではありません。不思議な世界への門を開く力が真円を描いた月に宿っているのです。その昔、生物は海から陸へと飛び出したように、不条理で何の変化もないこの世界から、夢と魔法に満ち溢れた空間へ。
 分かりやすく例をあげると、狼男でしょうか。彼の成り立ちは我々とよく似ていると伝えられています。ヒトとしての生活が、満月の光をアビタ途端に狼という別の世界へと踏み入れる。
 そしてあの日の私、つまりは今のあなたも新たな世界へと一歩を踏み出すのです。

 あなたも、かつての私と同様、不治の病に侵されているのでしょう? そう驚かなくても構いません。そうでもないとこんな所に訪れませんからね。こんなさびれた洋館に。
 なぜならここは、呪われた土地と噂されていますからね。私達の頃には迷信という概念はなくて、呪いは本物だと信じておりましたから特に近づくものはいませんでした。あぁ、呪いは実在しますよ。ただ、信じない人が増えたというだけの話です。

 この洋館には、その昔吸血鬼が住んでいた。そのため、その呪いがここに漂っている。あなたもそう聞いたのでしょう? ですが、その話は間違いです。ここにはまだ、本物の吸血鬼がいるのですから。
 昼は蝙蝠に扮して、夜は人の姿で現れる。迷える者に、救いの手を差しのべて。まあ、これが救済だとは認めかねますが。
 私はある日突然病気が発症しました。血液の性質が他人と異なっていたのです。余命三ヶ月。そう告げられました。確か発狂したんじゃないですかね。当時の記憶がそろそろ無くなってきているんですよね。永遠の世界に一歩を踏み入れてからの記憶は鮮明に残っているのですけどね。

 私は、もうどうにでもなれと思ってこの洋館に訪れました。夜に訪れた理由は簡単です。誰も止めようとしない、止められないからです。患者が呪いの洋館に立ち入った。しかし今いくと呪われるぞ。そんな葛藤が医師の中であったはずです。それを見極めて私は真夜中にここに訪れました。
 なぜ吸血鬼に頼ろうとしたのか、今の私には分かります。私の命を蝕んでいたのは、血液なのです。吸血鬼は、その根源を取り去ってくれる。そう考えたんですよ。しかして、予想は当たりました。私の病気はきれいさっぱり消え去りました。代償を、この身に残して、ね。

 その日の満月は、美しかった。自分の死が目前に迫っていたからでしょうか。自分の人生と対照的に、悠久に光り続けるその姿がぽっかりと浮かんでいるのがとても羨ましくて、ついつい見入ってしまいました。腐った木の扉を開けると、ムッとした、それでいて腐った空気が雪崩出てきたのです。
 何もいない。そんな雰囲気が立ち込めていました。呪いもそうですが、小動物が動いているような気配もなかった。その代わり、小さな小さな光の粒が、いくつも瞬いていました。なぜこの時、これに命を感じなかったのだろうか。鏡の前に立った時にはそれを酷く疑うことになる。
 足を踏み入れると、ドアはその重みで独りでにしまった。ぎぃぎぃと悲鳴を上げて、バタンと一声、大きな断末魔。閉鎖した空間に響くその音は、私の心の中で大きな不安の種を蒔いた。
 恐怖で足がすくんでしまっていたのに、どうして私は引き返そうとしなかったのか、未だに自分にも確固たる答えは出ていない。せいぜい、前に進もうが引き返そうが地獄が待っているとか、本能的に悟ったのでしょう。

 床が抜けてしまいそうな階段を、落ちないようにゆっくりと昇る。腐った木の軋む音が、暗闇の中で反響した。暗闇の中手探りで、手すりだけを頼りに昇るとそこにあったのは、大きな扉。
 そしてここからが、魔法の世界の始まり。私が重たそうな扉の正面に立つと、その扉は自分からその口を開けたの。こんな重そうな扉、私の腕力では無理だなと思っていた矢先の出来事。疑念よりも、好奇心の方が上回っていた。

 その部屋には、鏡が一台置かれていただけだった。鏡を覗きこんでも、暗すぎて何も見えない。しかし次の瞬間、その鏡の中に二つの深紅が光を放っているのを私は目にしたんです。
 振り返ると、そこには一羽の蝙蝠。羽を打ち付けて、そこらを飛び回っていたのです。不意にその姿は変わりますーーーー人間のそれへと。
 少女の姿でした。見目麗しい、まるで絵画に描かれたかのような、上品なお人形のような。血の気の感じられない真っ白な肌、対照的にルビーのように美しい瞳。艶やかな紫色のルージュ。女だというのに、私はその姿に見とれていました。
 その少女は、私に近づいてきました。無意識のうちに、私も彼女に近づきます。しゃがんで身長を合わせて、そっと彼女を抱き締める。彼女の首筋が、目の前に見えた。二つの孔が穿いていました。まるで、大きな注射針を突き刺したような。
 チクリと、鋭い痛みが私の首筋を貫いた。いきなりのその痛みに、苦悶の吐息が漏れでる。私の命が吸いとられている。そんな思いでした。私の体温が奪われている。ゆっくりと、生から遠ざかっていく。
 ふとした瞬間に、彼女と私の抱擁は終わりました。彼女から離れた私は目眩のためにその場に臥してしまいました。まだ、どくどくと私の命が漏れでていました。どろどろと私の熱が首筋から流れ出て、私の体を生ぬるい体温が覆って、命を吸いとられて冷たくなりゆく私の体を包み込んでいた。
 これで終わりだ。そう思った私は間違いではありません。ですがそれは、始まりでもあったのです。この、新しい世界での暮らしの。

 私を死へと走らせていた赤い奔流は全て消え失せました。そして私は死にました。死んで、その永遠を手に入れたのです。
 これが私の昔話。どうでしたか?
 そう告げた彼女はひたひたと私へと詰め寄ってくる。そして、蔓が巻き付くように、するするとその腕を私の体に巻き付けた。無造作に上の服を引き裂き、胸元を露にする。
 そして鎖骨のあたりに牙を突き立てた。鋭い痛みが一瞬走り、次の瞬間には、死の、そして生の象徴を啜り始める。薄れゆく意識と、それを覚ますような寒気が私の体を支配する中で、私は彼女の声を聞いたのだ。

 今夜は、何て綺麗な満月なのでしょう。