*題名に意味などない、生きることに意味がないのと同じように。そう、ただ感じるんだ……私を
……感じなくて良いけどね?
私を感じていいのは、私だけだって話です。他の誰も、その領域に入ってくるなよ……舐めあいで良いじゃないですか……深いなんて、不快。
今日はちょっと、色々語るよ←いつもあほみたいなことばかり語っているじゃないですかぁ?
日本に置ける数字の単位
兆までは、だれでも知っていると思うのでカット
兆の上から、lady-go!!!
京(けい)、垓(がい)、秭(し)ないし𥝱(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議、無量大数(むりょうたいすう)
どれ位知ってました? 私は、穣まででした。後半のほうは、文字数が多いのもあって、何かしら調べれば意味もあるのでしょうね。
ということで、恒河沙から、不可思議まで、調べてみました!(もしかしたら、その前の単位にも意味などあるのかもですね)
*恒河沙
恒河沙はもとは仏教用語である。「恒河」はガンジス川を意味する梵語 गङ्ग "Ganga"を音訳したものである。すなわち、「恒河沙」とはガンジス川にある無数の砂の意味であり、もともと無限の数量の例えとして仏典で用いられていた。例えば法華経の「堤婆達多品(だいばだったほん)」の中に「恒河の砂ほど多くの衆生が仏の教えを聴く」といったような形での用例がある(なお仏典においては、大乗起信論のように「過恒沙」と表記する例もある)。
数の単位としての初出は、元の朱世傑による数学書『算学啓蒙(中国語版)』であり、それまであった載よりも上の位として、極以上の他の単位とともに登場した。極以外は全て仏典からとられたものである。当時はすでに中数が使用されており、恒河沙は極(1088)の万万倍で1096となる。
日本にも、平安時代には既に中国から非常に大きな数を表す概念として「恒河沙」という語が伝えられていたようであり、一例として、平安時代後期に成立した説話集である『今昔物語』に、数え切れないくらい多くの国の例えで「無量無辺不可思議那由他恒河沙の国土を過ぎ行きて」といった用例が見られる(おそらくは仏典に由来するもの)。
*阿僧祇
阿僧祇は元は仏教用語で、梵語の असंख्येय "asaṃkhya"を音訳した「数えることができない」の意味である。意訳では「無数」となる。仏典では、成仏するまでに必要な時間の長さである「三阿僧祇劫」という形で用いられることが多い。『倶舎論』の「世間品(せけんぼん)」では、この「三阿僧祇劫」の「阿僧祇」は1059とされている(該当個所の記述が複雑なため、誤って1052と読む学者もいる)。また、『法華経』の「見宝塔品(けんほうとうほん)」や「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」には、「無量千万億の阿僧祇の世界」「百千万億那由他阿僧祇劫(の時間)」といったような用例も見られる。『華厳経』の中では、10の7×2103乗を阿僧祇、10の7×2104乗を阿僧祇転としているが、これらは実用のものではない。なお、那由他は10の7×22乗=1028であり、阿僧祇よりも小さい。
数の単位としての初出は、元の朱世傑による数学書『算学啓蒙(中国語版)』であり、それまであった載よりも上の位として、極以上の他の単位とともに登場した。極以外は全て仏典からとられたものである。当時はすでに中数が使用されており、阿僧祇は恒河沙(1096)の万万倍で10104となる。
*那由他
那由他は元は仏教用語で、梵語の"nayuta"を音訳した、「極めて大きな数量」(新村出編 『広辞苑』第三版)の意味である。法華経の「化城喩品(けじょうゆほん)」や「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」などに、「五百四十万億那由他劫、大通智勝仏の寿命は五百四十万億那由他劫」「百千万億那由他阿僧祇劫、百千万億那由他阿僧祇劫の時間」といったような用例が見られる。「万億那由他」「百千万億那由他」は上数の用法である。なお、『華厳経』の中では、那由他は10の7×22乗=1028としているが、これは実用のものではない。また、それでは10の7×2103乗を阿僧祇、10の7×2104乗を阿僧祇転としており、那由他よりも大きい。
数の単位としての初出は、元の朱世傑による数学書『算学啓蒙(中国語版)』であり、それまであった載よりも上の位として、極以上の他の単位とともに登場した。極以外は全て仏典からとられたものである。当時はすでに中数が使用されており、那由他は阿僧祇(10104)の万万倍で10112となる。
*不可思議
不可思議(ふかしぎ)は漢字文化圏における数の単位のひとつでもある。単位の場合は「不思議」とは略さず「不可思議」と長い形で用いる。
不可思議が具体的にいくつを示すかという問いは、時代や地域により異なっており、また、現在でも人により解釈が分かれる。一般的には1064を指すと考えられている[要出典]が、1080とする人もいる。
語源は名のとおり、思ったり、議論したりすることが不可なほど大きい数字、という関係から名づけられた。
不 可思議は、元の朱世傑による『算学啓蒙』において極以上の他の単位とともに初めて登場した。不可思議は仏教用語からとられたものである。当時はすでに中数が使用されており、不可思議は那由他(10112)の万万倍で10120となる。
あれ、これそろそろ、4000文字超えるんじゃ(汗