>>86
???……一体何もなのでしょう? かお君だと二文字の筈ですが、新キャラショタなら大歓迎です!
*私も前者が良いかと思いますね。貴方と似たような理由で。前建てた方は閉鎖して、新しいスレッドを建てる体で行きましょうか。
あ、前は私が建てたから今度は君が建ててくださいね?
個人的な感覚では、萃香さんとか辺りと同等……霊夢より若干強いかな、くらいの実力と考えています。まぁ、結果霊夢が勝っているわけですし、逆に霊夢より少し弱いってほうがしっくりくる気もしますが。
何にせよ神様全体では上の下位はありそうなイメージです。
リフィーディング現象は、人間と同じ体構造だったら絶対起こすと思うの私(笑
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えっと、年始めの知識集めです。今回は軽めのものを。
今回は日本の元号、です。えぇ、「平成」とか「明治」とかっていうあれですね。
*元号とは
特定の年代に年を単位として付けられる称号である。年号(ねんごう)とも呼ばれることもあるが、元号のみならず、紀年法の名称(西暦や皇紀など)を「年号」と呼ぶ場合もある
*総説
元号は紀年法の一種であるが、西暦やイスラム紀元、皇紀(神武紀元)などの無限のシステム(紀元)とは異なり、皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも随意に行われる変更(改元)によって再度元年から数え直され(リセット)、名称も改められるという、有限のシステムである。元号の元年は「1年」に当たる。英訳すると、年号は「era name」というのに対して、元号は「finite era name」や「regnal year」となる。
君主が特定の時代に名前を付ける行為は、君主が空間と共に時間まで支配するという思想に基づいており、「正朔を奉ずる」(天子の定めた元号と暦法を用いる)ことがその王権への服従の要件となっていた。
元号が政治的支配の正統性を象徴するという観念は、元号を建てることにより、既存の王朝よりも自らの正統性が優越しているか、少なくとも対等であることを示すことができるという意識を生んだ。そのため、時の王朝に対する反乱勢力はしばしば独自の元号を建てた。また、時の政権に何らかの批判を持つ勢力が、密かに独自の元号を建てて使用することもあった。このように、後世から公認されなかった元号を「私年号」と呼ぶ。
中国王朝の政治制度を受容した周囲の王権は元号制度もともに取り入れているが、これも同様の発想に由来する。中国王朝から見れば、中国王朝を真似て、しかもこれと対等であることを示すために建てられた周辺諸国の元号は、やはり「私年号」であり、使用は許されないものであった。一方で周辺諸国の王権は中国王朝から冊封を受け、周囲の競争勢力に対する自らの正統性の保障としたが、冊封の条件の一つが「正朔を奉ずる」ことであったため、独自元号の使用と冊封は両立しない要素であった。この矛盾の均衡点は中国王朝と冊封国との力関係によって決まっており、地理的に近く何度も国土を占領されている朝鮮半島では独自元号が少ないのに対し、地理的に遠く中国王朝との戦争に勝っているベトナムでは1945年まで独自元号が使用されていた。そして、海を隔て後には冊封すら受けなくなった日本では独自元号が今も使用されている。
元号は漢字2字で表される場合が普通だが、まれに3字、4字、6字の組み合わせを採ることもあった。最初期には改元の理由にちなんだ具体的な字が選ばれることが多かったが、次第に抽象的な、縁起の良い意味を持つ字の組み合わせを、漢籍古典を典拠にして採用するようになった。日本の場合、採用された字はわずか72字であり、内21字は10回以上用いられている。一番使われた文字は「永」で29回、二番目は「天」「元」のそれぞれ27回、4番目は「治」で21回、5番目は「応」で20回である。「平成」の「平」は12回目であり、「成」は元号の漢字として初めて使われた。「昭和」の「昭」は1回「和」は19回、「大正」の「大」は6回「正」は19回、「明治」の「明」は7回使われている。
独自の元号が建てられた国家には、以下の項目に挙げる他、柔然、高昌、南詔、大理、渤海がある。また遼、西遼、西夏、金は中国史に入れる解釈もあるが、いずれも独自の文字を創製しており、元号も現在伝えられる漢字ではなく、対応する独自文字で書かれていた。
日本の元号一覧を掲載しようとしたが、思いの外多く、更に二分割せねばならないことがわかったので、割愛。