小さなパン屋の中にしばし沈黙が訪れる。
カイザーはその女性を見下ろしながら、その挙動を伺っていた。彼女は両手をくびれた腰の前で合わせたまま動く様子はない。
(仕掛けてくるか?だが...なんだこいつは、次の動きが、読めない)
女性は一切武器などを所持してる様子はなかった。強いていうならフリフリの素手の中やスカートの中に暗器を仕込むことは出来るだろうが、それでも大した武装は施せそうにない。
ソルを始めとする最初の5人のヴァルキュリアは、その"存在こそが兵器"というコンセプトで作られてる。むしろ彼女たちにとってはその身体そのものが武器である以上、これ以上のものは要らないのかもしれない。
(なにも見えない、予知や予言には写らない、つまりは"秘蔵"を得意とするヴァルキュリア...この女、こいつが...)
カイザーの思考を読んだように、突然女性が右手の人差し指をピンと立てた。
「ピンポーン!ズバリ、正解です!要は"強行偵察"ですわね!」
「......君がこれを立派な"作戦"と認めた以上、ここから生きて返すわけにはー」
ポン...
何者かが背後からカイザーの肩に触れる。そして彼が振り向くよりも早く、なんと先ほどまでカイザーの"前"にいたあの女性が、後ろから声をかけてくる。
嘉元はまるで手品のような光景に思わず目を見開く。
「まぁお聞きなさいな、わたくしは貴方の"敵"ではありませんことよ?」
コツコツとハイヒールの靴音を店内に響かせながら、女性は再びカウンターの前までやってくる。そして「ご無礼をお詫びいたします」とスカートの裾を両手で摘み、軽く膝を折って見事な敬礼をカイザーへ返す。
(ありえん!私にはこの女が後ろに回り込む動作が一瞬も見えなかった!これはソルや他のヴァルキュリアのレベルのスピードではない!
なにかのトリック...いや、これがこの女の能力なのか!?)
カイザーは直ぐにでも彼女から距離を取るべき状況だった。カイザーはおろか、嘉元にすら彼女が動いたのを見ていないのだ。なにか分からないが、この女性にはとんでもなくヤバイ能力があるのを、2人は本能的にそれを感じ取っていた。
...が、その女性はそれ以上なにもしてこなかった。袖から財布を取り出すと、そこから「ひーふーみー...」とお金を数えながらカイザーの前に並べていく。そして数え終わったお金をカイザーの方へ流す。
「...成る程なぁ、シャドウが君のことを"最も警戒すべきヴァルキュリア"だと言ってたのを改めて理解した」
「ヴァルキュリア...この人が!?」
カイザーの言葉に、嘉元は身構える。しかし女性は彼女に背を向けたままなにおする気配はなかった。
「...? 買いかぶりすぎでしょう」
女性はその見た目と能力の割には意外と謙虚だった。カイザーからパンの袋を受け取ると、「ふふっ♪」と笑みを浮かべる。
「可能ならば、君とは敵対したくなかったよ。色んな意味でね」
「それはわたくしも同じ。"私達の本当の敵"は"空"にいます、それと...レシートはお返ししますわ」
女性はカイザーに一枚の紙切れを手渡す。そしてそれを受け取る際、カイザーと女性の目が合った。
紅の瞳。その奥からは底知れぬ力が漂っていた。
★
女性が店を出て行った後、嘉元がカイザーの元に寄って来た。彼は女性から受け取った紙を見つめていた。
「うちに、レシートを出せるレジは無いんだがね」
「...?」
嘉元がカイザーの手元を覗き込む。
そこには、レシートの裏に書かれた、大量の数字の羅列があった。