今日、全てのテレビ番組がある話題について報道していた。
近頃は目立った事件も無ければ、派手な事故も楽しい政治家の不祥事も無かった。きっとニュースを作る人達は、砂漠にオアシスを見つけたような気持ちでいただろう。
すっかり同じ内容に染まってしまった昼間のワイドショーは、静寂を紛らわせるほどの価値しか残していなかった。
真面目腐ったコメンテーターが考察という名の妄想を垂れ流す。こんなものすら退屈を持て余す人間には面白く感じるのだと知ったのは、いつからだったろうか。針を刺す赤い天鵞絨に、懐かしい日々が映る。どれだけお高く小難しそうに見せても、結局のところ他人の人生を覗き見る全ては井戸端会議や下世話な噂話となんら変わらない。
蜜に集る虫を潰して楽しめなくなったのは、いつからだったのか。幼い頃に外を歩くと見えた小さく精巧な世界は、幻だったのだろうか。
ふと気が付くと、揺蕩う天鵞絨を進む銀色の針はもう港に着くところだった。糸を丸めて針を抜く。広げてみれば、そこには綺麗に波打つフリルが出来上がっていた。
自分の手で作り上げたものにしては、なかなかの出来ではないだろうか。少なくともそこら中に売られている、誰の手が触れたとも知れない服よりはずっとマシだ。
そっと箱に入れて、リボンを結う。余り布から作った、柔らかな帯が箱に掛かった。
箱を持って部屋を出る。耳障りな声で騒ぎ立てるテレビに、もう用は無かった。
扉の前で、ノックを二つ。
「入るよ」
ポケットから鍵を取り出して鍵穴へ。ゆっくりと回せば、奥で錠の開く音を手が聞いた。冷たいドアノブを回して、扉を押す。
開いた隙間から風が吹いて、思わず目を細めた。部屋の中には薄い幕のような光が満ちて、窓にはカーテンが踊っていた。
カーテンと戯れる小さく細い指先が、色鮮やかに舞う何かを捕らえた。
「ちょうちょがね、あそびに来たの」
ソプラノが囁く。
烏揚羽は白皙に糸のような足でしがみ付いて、ゆっくりと翅を動かしている。その黒の表面を、青い光が撫ぜた。
「でもこの子は、ここの子じゃないから、かえしてあげなきゃいけないね」
「……そうだね」
頷くと、徐に指を曲げて蝶を手の檻へと閉じ込める。何が起きたのか分からない蝶は檻の中から抜け出そうと、翅を震わせて藻掻いていた。
何をするのだろうと見ていれば、桜貝の爪が忙しなく動く黒い翅をそっと摘まむ。
歌うような声だった。
「きれいなちょうちょ。いちまいくださいな」
その爪が、そっと付け根にかかって。
大きく痙攣した瞬間、翅は小さな掌の上で黒く碧く輝いていた。
背筋を何かに撫で上げられた感覚がした。胎の中で何かが焼けて暴れるような感覚も。
「きれいだね。ありがとう、ちょうちょさん」
そう言って掌を窓に向けて広げても、蝶は片輪の翅を動かすばかりで飛ぼうとしない。
首を傾げて爪先にとめてみたりつついたりするが、蝶は一向に外へと戻っていかない。
一対の硝子玉が、こちらを向いた。
幼い頃、フライパンで炒って罅を入れたビー玉を思い出した。落として割ってしまった、綺麗なビー玉。
「かえってもらわないといけないのに、こまったね」
「そうだね」
「ねぇ、あとで、お外に出してあげて」
「……良いよ」
片輪の蝶は、白木でできた机の上に導かれた。
動かない蝶にそっと触れて弄ぶ彼女の前に屈んで、箱を差し出す。
振り向いた拍子に、栗毛が光に透けて輝いた。
「お洋服、新しいのが出来たよ」
「ほんと? あけてもいい?」
頷く前から、その手はリボンの端を握っている。
良いよ。そう言えば、リボンは滑るように解けて床へと落ちた。
蓋を開いたその頬に、薔薇が咲いた。
「わあ、かわいいねぇ。すごい!」
空になった箱が床に落ちる、乾いた音がした。
ドレスを広げて、踊るようにその場で回る。白い絹の肌着の裾が、真紅と触れ合って舞っていた。
「着てみる?」
「うん!」
手を差し出せば、そこにドレスが掛けられる。軽く畳んで屈んだままの膝の上に置いた。
小さな手が、肌着の裾を掴む。レースとフリルで飾られた幕が少しずつ上がっていく。
白磁の如く輝く腹は、柔らかく上下し腕の動きに合わせて緩く反っていく。
その下には普段は分からない肋骨が微かに透け、見えない胎内を思い描かせる。
幕は更に上がっていき、曲線の少ない胸元が露わになった。段差の少ないまま、薄い肩、細い首へと繋がっていく。
そして体の割には大きな頭がくぐり、布は床へと落ちた。
伸ばされる手にドレスを差し出す。
雪の白さが、赤に包まれた。
「大きさとか、合わせたつもりなんだけど……どうかな。きついところとか痛いところとか、無い?」
「うん、だいじょうぶ」
裾を掴んで落としてみたり、袖を見ようと腕を伸ばしてみたりと忙しない。くるくると回れば、スカートが広がって脹脛が垣間見えた。
「確認したいから、ちょっと触っても良いかな」
「いいよ」
跪いて裾に手を当て、力を込めれば折れてしまいそうな腰に触れ、そうして袖へ。
ふと、柔らかな手が微かに黒く輝いていることに気が付いた。気付いてしまうと、そこへ視線が吸い寄せられる。
先程の蝶の鱗粉か。
「……甘いのかな」
思わず、そんな言葉が零れた。
「わかんない。にがいかも」
頭上から、笑い声が聞こえた。
「なめてみる?」
その言葉に誘われるまま、口元が小さな手へと近付いていく。袖口を掴んだままの手は震えているのに、頭はどうしてか冷たかった。凍っていたのかもしれない。
吐息が肌に触れ、舌を出せば届く距離。それでも口は開かず、その手に触れたのは濡れた肉ではなく渇いて罅割れた唇だった。
蝶は外へ出る前に潰れて死んだ。