彼女はいつもと変わらない、甘い匂いをまとっていた。彼女の身体は、花で覆われていた。細いつるは彼女の脆弱な体躯ををからめとり、四方からは濃紺の花が綻ぶ。彼女から摘み取った花を煎じれば、妙薬となった。みなが彼女を愛おしむ。だから、僕は彼女を厭わしいと思った。
父さまがとおつ国に旅立たれた日、僕は冠をいただいた。齢15になる妹の蒼白な泣き顔や、母さまのひっそりとした黒いドレス。何もかもが腹立たしかった。ゆえに僕は一人きりになりたくて、夜の庭園に躍り出たのだ。星々は夜の天幕を飾り立て、つめたい夜風は身を打ちつける。冬の庭園は、物寂しい。けれどもそこに似つかわしくない、したたるほどの花の匂いを感じて、僕は後ろを振り向いた。
「王子さま、どうかお力落としなさいませんように」
彼女だった。肢体に瀰漫したつるを隠すために、ゆったりとした装いをしていた。それでも袖から零れ落ちる蔓を見やれば、うっすらと花を咲かせている。彼女は切々とした表情を浮かべて、こうべを垂れた。拍子に、はしばみ色の髪が揺れる。
「もういい、お前が慰めたところで、どうにもならない」
うんざりと吐き出した声に、彼女は面を上げた。ひどく鬱屈とした調子だった。
「どうして、父さまは亡くなったのだろう」
「王さまは、長患いでしたから」
「違う、そのようなことではない」
かぶりを振ると、彼女は痛々しげに目を伏せた。祈りをささげるように、胸のあたりで手を組む姿は、ある種のひたむきさを感じた。その振る舞いに、何か美しいものを見い出した気さえする。
「お前にまとわりつくものは、万病に効くのだろう。ならば、なぜ父さまは」
「王子さま、それは大きなあやまりでございます!」
彼女は珍しく声を荒げた。髪と等しい色をしたまなこは、大きく見開かれ、僕に注がれていた。そのことに、僅かばかりの優越感に浸る。国中が欲してやまない娘を、この夜ばかりは手中に収めているのだ。いまいちど、彼女に目を凝らす。木の枝ほど痩せ細った体躯だけれど、顔立ちは悪くない。何よりも、あちこちを這う蔓は、一層彼女を儚くさせていた。
「わたくしの花弁は、痛みをやわらげ、死期をのばすものです。しかし、病を絶つものではございません」
「だから自分を責めるなと、そう言いたいのか」
「そのようなつもりは、決して」
「お前は、本当に浅ましい娘だ。父さまの寵愛を、その身に受け止めておきながら」
彼女ははっとしたように、口を薄く開いた。そうして楚々とした足取りで近づくものだから、僕は思わず後ずさる。
「王子さま、王子さま。きっと、さみしかったのですね。貴方さまのお父上は久しく床に伏して、共に語らうことなどついぞ叶わなかったから」
「わかったような口を聞くな!」
力任せに叫ぶが、彼女はひるまなかった。それどころか、彼女はそうっと僕の手を取ってみせる。
「わたくしは、この国に身をささげたいのです。ですから、王子さま。わたくしにできることがあるのならば、この花弁をいくらでも差し出しましょう」
彼女はそう言って、指のあたりに咲いた、あでやかな花弁を摘んだ。そうして僕の手のひらにのせるのだ。ひとひらの花弁は深い青色をしていて、先端の方にかけて淡く白が滲みでている。
「お前の奇妙な花は、心にまで働きかけるとでもいうのか、馬鹿馬鹿しい」
「そうです、王子さま。もとより、花の香は心を和らげてくれます」
訝しげにとった花片を、顔の近くまで持ってくれば、抗いがたい欲求に襲われた。蠱惑的な香りがして、酩酊とした心地に陥る。僕は衝動のままに、それを口に含んだ。砂糖の味がした。
父さま、この国を統べた王さまよ。何故、彼の人は僕をおいて旅立たれたのか。父らしいことを何一つせず、この眼前に佇む甘やかな娘に縋った。僕は彼女が嫌いだ。しかし、今ならわかるのだ。砂糖菓子のような甘美な味を咀嚼し、飲み込んだ時。魔性めいた力が働き、僕を虜とする。
「本当ならば、ジャムなどにして召し上がるのが良いのですけれど。ねえ、王子さま、泣かないで」
彼女に言われて、はじめて頬を垂れる露に気がついた。それを乱暴に指で拭う。
「僕は冠をいただいた。夜が明ければ、王となる。お前は、僕に忠誠を誓えるのか」
この問いかけに、彼女は瞳を数度またたかせ、そうしてしとやかな笑みを見せた。
「それが、わたくしの至上の望みです」
堕ちていくのだ、と思った。彼女が身に宿すものは、妙薬などではない。毒だ。僕を、堕落させる。幼い頃から求めて止まなかった父さまの背を追懐し、皮肉なものだと自嘲した。たまゆらの彼女と、いつかとおつ国に招かれるその日まで、花の香に浸ろう。
*
はじめまして、凛太です。
面白そうだなあ、と思い参加しました。
匂いにまつわる話を書くのははじめてだったので、すごく新鮮で楽しかったです。
個人的には、壱之紡さんの話が好きでした。
儚げな雰囲気と会話のテンポに惹かれます。
それでは、ありがとうございました。