Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.83 )
日時: 2018/01/22 17:16
名前: 透 (ID: v2UlAotQ)

「問おう、君の勇気を」
「なんだよ突然」
「ほらここ。『問おう、君の勇気を』って読めるじゃん」

 そう言って、蓑田(みのだ)はカタカナと横線の羅列の一部を人差し指で示す。さかむけのある指が紙上を滑るのを、俺は黙って見つめた。
 トオ——ウ—キ———ミノ—ユウ——キオ。
 問おう、君の勇気を。
 無理がある気もするが、確かにそう読める。と言うよりは、それ以外の部分が日本語として成立していないので、そう『読む』しかないのかもしれない。

「勇気を、問われてんのか?」
「勇気を問われてるみたいだよ」
「……なんでだよ」

 なんでって言われても、と、蓑田は困った顔をした。蓑田の中では、この謎はもう解決したらしく、呑気に布団なんか敷き始めている。渡岡(とおか)、と、この島の名前を柄にした、この島で一件だけの宿屋の浴衣を着て、いつもの様に浮かれている。
 蓑田が畳の上を歩く音が煩い。窓の外の、暴風雨の方がやかましいのに、なぜが彼が出す乾いた音が癪に障った。

「適当なこと言うなよ」

 蓑田は何も答えなかった。いや、答えたかもしれないが、声が小さ過ぎてよく聞き取れなかった。
 俺は舌打ちをして、持参したメモ帳をまた睨みつける。普段は動画のネタだったり、噂の心霊スポットだったりを書き込んでいるそれに、今は暗号めいた文字列——ただ、大半は横線だから記号列とした方が正しいかもしれない——が、記されている。それは、俺が昨日書いたものだった。
 始まりは三日前だった。気が付くと、俺の携帯に留守電の音声メッセージが入っていた。知らない番号からだ。音声を再生すると、ノイズ音がスピーカーから流れ始めた。テレビの砂嵐にも似た、けれど確かに違うノイズ音。それが三十秒間、一度も途絶えることなく続き、最後はプツッと切れた。その音声メッセージを再び確認することは出来なかった。着信自体が、履歴から無くなっていたからだ。
 一昨日もまた、知らぬ間に留守電の音声メッセージが入っていた。同じノイズ音の謎の音声に、今度はちゃんと耳を澄ませてみた。別の音がある。それは言葉のようなものを言っていた。音割れが酷いのか、声では性別や年齢を判断できない。雑音に邪魔されて、言っている内容すら分からない。そうしてきっちり三十秒後、それはやはり切れた。
 次は正体不明のメッセージを録音しようと考え、昨日、同様に携帯に残されていたそれを、ボイスレコーダーに録音した。それから、聞き取れた分だけを文字に起こしてみた。ノイズがかかっている箇所は横線で表した。すると、実は、俺は半分くらいは聞き取れていたらしかった。
 —オカ—ウ——ケ———ノダ————キ———テ—トオ——ウ—キ———ミノ—ユウ——キオ——テ—ト—カト——ケン—ミ—ダ—ウ——キ—ツケ——ト——トウ—キケ——ミノ——ウ———オツ—テ。
 可視化したところで、何も前進しなかった。寧ろその奇怪さが増すだけで、近寄り難く、見ているだけで気分が悪くなるようものが姿を表してしまったようだった。禁忌に触れる前の動揺らしき物が、身体の内部に居座っている。こんな感覚は、どんな心霊スポットでも感じたことのないものだ。

「それは、動画にはしないの」

 蓑田が突然に話しかけてきた。俺は思わず肩を震わせてしまう。「しねえよ」、今までで一番強く言い返すと、蓑田は怯んだのか、俺みたいに肩を動かした。けれど、そこから動こうとはしなかった。畳の上でメモ帳を見る俺を、蓑田は立ったまま見下ろしている。

「でも、チャンネル登録者数増えるかもしれないよ。再生回数、今よりずっと増えるかもしれないよ」

 蓑田の肩越しに、円形の蛍光灯が見える。蓑田の細長い身体は、陰にすっぽりと包まれてほとんど真っ黒だった。表情など窺い知ることはできない。その地味な顔が、凹凸がある黒い頭部にしか見えなかったのだ。

「しないって言ったらしない、これはそーいうもんじゃねえの。というかお前機材は確認したのか。充電は? メモリーの容量は? こっちのこと気にする暇があんなら自分の仕事をちゃんとやれよ。帰りの新幹線の切符も買ってねえくせによ」

 俺は強がって捲し立てた。役立たず、そう吐き捨てて窓辺に寄った。蓑田の影から逃れた瞬間、ハッと息を吐き出せた。バタバタと、雨粒が窓ガラスにぶつかって強風に流されていく。風は甲高く、女の未練の泣き声のようにも聞こえる。しかし、何故だろうか、窓の外側の闇ばかりの世界の方が、明るい此方よりもずっと穏やかで安心できる場所のように錯覚した。
 
「……明日、撮影出来るといいね」

 蓑田は突っ立ったまま、窓の向こうの、東側辺りを見ていた。東には崖がある。自殺の名所、だそうだ。
 蓑田はそのまま、おやすみも言わず自分の布団に潜り込んだ。
 今は何時だろうか。携帯を確認するのも億劫だ。なのに眠る気にもなれず、俺はメモ帳の文字列を眺めた。そして唐突に、あっ、と、心臓が跳ねた。

 —オカ—ウ——ケ———『ノダ』————キ———テ—トオ——ウ—キ———『ミノ』—ユウ——キオ——テ—。

 ——『ノダ』————『ミノ』————。

 ——『ミノダ』。
 文字列の中で、その名前が浮き上がって見える。あの声はミノダと言っていたのだと確信した。俺は僅かに乱れた呼吸を整えながら、もう一度文字列を追っていく。どうやら声は、同じことを四度も繰り返し言っていたらしい。だから、ノイズ音で聞こえなかったところを、別の部分から補うことができた。
 トオカトウ、『渡岡島』。今まさにいるこの島だ。
 キケン、『危険』。
 ミノダユウ、『蓑田悠』。これは蓑田の名前。
 キオツケテ——キヲツケテ、『気を付けて』。
 蓑田! 俺は蓑田に向かって叫んだ。蓑田は動かない。白い電灯の光が、白い布団を照らしているが、それが動かない。俺は掛け布団を無理矢理引き剥がした。蓑田は目を瞑っていたが、やがてゆっくりと目を開けた。瞼と下瞼の隙間に黒い目玉が現れ、俺を睨みつけた。

「電気消して」
「蓑田、明日の撮影はやめようか」
「消してよ」

 蓑田が天井を指差す。節くれだった指。青白い肌。蓑田は気味が悪くて、生気がない。まるで幽霊みたいなやつだ。どうして俺はこんな奴と、インターネット動画マンなんてしているんだろう。答えは単純だが、俺はそれを自覚するのを拒んでいる。
 蓑田に少し命令されただけで苛立った俺は、蛍光灯から垂れ下がった紐を乱暴に引っ張った。
 暗転する。俺はまだ布団を敷いていなかったが、手探りで掛け布団にくるまると、その場に寝転んだ。冷たい布団だった。それが肌に張り付いてくる感覚も、布団からはみ出た肌を、古い畳のささくれが突き刺してくる感覚も、不快だった。

「大丈夫だよ。明日こそ、上手くやるから。いい映像、ちゃんと撮るからさ」

 暗闇の中から蓑田の声が聞こえる。明日、蓑田に何か起こるのだろうか。渡岡島、危険、蓑田悠—、気を付けて。
 ——おかしい、何かが足りない。
 蓑田はまた喋り始める。

「本当は帰りの新幹線の切符も買ってある。一枚だけだけど。だから、役立たず、なんて言うな」

 どうして一枚しか買ってないんだ。心臓が騒ぎ始める、喉が一気に渇く。声が出なかった。
 足りない文字は、「に」だ。
 渡岡島、危険、蓑田悠に、気を付けて。
 俺は口を開ける。それだけで精一杯で、舌の上をずり落ちていく自分の呼吸は浅かった。喉奥から声を絞り出した。

「俺、ちゃんと帰れるよな」

 蓑田は何も答えなかった。
  *

 はじめまして! 透と申します!
 以前から参加したいなーと思いつつ、形にできないままでしたが、今回ようやく文章にすることができました。
 楽しく書かせていただきましたので、ぜひ、読んで楽しんでいただければと思います!