Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.98 )
日時: 2018/01/23 15:04
名前: あるみ (ID: R8Ast8HU)

「問おう、君の勇気を」


 誰とも判別のつかない声。幻聴である。

 周囲に僕以外の人は居らず、僕は視界に映らないものの声を受信するような特性を持たない。機会音声が勝手に喋りかけてくる携帯電話はいつもの如く携帯し忘れ、今ごろは家の充電器で充電完了のライトを光らせながら寂しく留守番をしていることだろう。

 僕の傍にある意味のあるものは、プロポーズされたら買う分厚い結婚情報誌と、先日自室で首吊りを決行した婚約者の写真ばかりである。誰が遊ぶのか分からない小山の上にある公園のベンチに恭しくそれらを並べ、僕自身は乾いている土に尻をつけて三角座りをしながら、その二つをじっと見つめ続けている。

 その残骸たちは僕に何かを訴えはしない。物は何があろうと物でしかない。何も感じず、何も思わず、ただ人間に使用されるため佇んでいるだけ。どれだけ大事に扱おうと、どれだけ大切な人間が写し込まれていようと、そこに気持ちは宿らない。号の古い雑誌はゴミでしかなく、故人の写真はインクの模様でしかない。記憶も思いも留められていない。付喪神など信じてはいないけれど、もし付喪神という概念が真実であろうと、十数年は神を生む期間とするには短過ぎてお話にもならないだろう。

 僕の耳は何も聞いてはいないのだ。僕の頭が誤解をしている。存在しない何か特別なものを作り出そうと躍起になっている。

 母はこの雑誌と写真を捨てようと言った。手元にないものをいつまでも覚えている事はできないから、時間という薬がちゃんと効いて僕の傷が治るよう、親らしい心配からの提案なのだと僕は理解している。だけれど何故か、僕は母を突き飛ばして家を飛び出してしまったのだ。その行動は、僕が婚約者を忘れる事を受け入れられないでいる事をはっきりと示している。

 求められている勇気は、忘れる覚悟か、あるいは。あるいは何であるのか、僕はうっすらと感じ取っていて、けれどそれに気が付いてしまう事を躊躇っている。


「問おう、君の勇気を」

 二回目の幻聴は女の声に似ている。似ているというのは、まだどこか不明瞭で、それが女の肉声のようでもあり無感情な機械の声のようでもあり、一部分は虫の羽音のような気持ち悪さを感じる音ですらあって、ただ一つだけに決まらないでいるからである。
 僕の気持ちが曖昧であるからか、幻も明確な形を取る事ができず苦しそうだった。

 婚約者の自死の本当の理由を僕は知らない。遺書はなかった。知りたくとも、もう彼女に尋ねる術がない。けれど僕きは一つだけ心当たりがある。答え合わせのできないそれは、僕を着実に追い詰めていく。――あの日、僕がもし、あの男に彼女を紹介しなければ、彼女は今も生きていたのではないだろうか。
 忘れる覚悟か、あるいは……。

 僕は彼女の写真を胸ポケットにしまい、公園の時計を見上げた。時刻は午後五時二十分を指している。僕は尻の土汚れを払ってベンチに腰を下ろし、雑誌をコートの影に隠した。元々それなりの重量ではあるものの、少しばかり細工をしてある雑誌はもっと重い。覚悟が決められないと悩んでおいて準備は万全なのだから、僕の答えはもう決まっているのかもしれない、と自嘲気味に唇の端を吊り上げた。


 公園に続く山道から、男が此方へ向かってくるのが見える。時刻は五時三十分ジャスト。

「何の用?」

 男はニタニタと気色の悪い笑顔を浮かべ、粘っこい声で僕の用件を問う。僕の用件は察しているのだろう。その様子は僕がどう彼を責めるのか、どこまで感情を露にするのかを楽しんでいるようでもあった。

「問おう、君の勇気を」
 三回目の幻聴は女の声。男は何も気にしていない様子だから、やはりこの声は僕の幻聴なのだろう。

「ききたい事があって」
「ふーん」
「座れよ」
「話ってさぁ、お前の女の事だろ? 自殺したんだって?」

 男はベンチに腰かける事なく、「懐かしいなぁ」と声を弾ませながら公園の奥へ足を進めた。仕方なく僕も立ち上がり男の後を追う。コートのなかで雑誌を握りしめたまま。

 この公園は階段を出てすぐ古い遊具とベンチがあり、その向こうにはタイヤの積み上がった通称『タイヤ山』があって、その奥の小道を進むとちょっとした展望台がある。僕と男はこの町が地元であり、元気をもて余した小学生の頃はよくここまで登ってきて遊んだものだ。今となっては輝かしくも愛おしくもない記憶だけれど。

 男はご機嫌であれこれと思い出話をし、僕の婚約者の話など忘れたような調子で笑っている。僕を苛立たせるため、わざとこうやって時間を使っているのだろう。男の目論見通り、あまり気の長くはない僕は苛立ちを覚えている。
 けれどその不快感は男の望む方法で爆発はしないだろう。僕の頭のなかは酷く冷えていた。冷静な訳ではない。冷静なのではなく、むしろその逆で、どこか壊れて歯止めがきかなくなっているような感覚だった。

 展望台の手すりに腕をのせて無駄話を続ける男。

「……私のためならなんでもできる?」
 四回目の幻聴は、感情の読み取れない彼女の声だった。

 ――できるよ、なんでも。
 心のなかで返答をして、僕はずしりと重たい雑誌を振り上げた。





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 初めまして、どうしてなのか結果として結婚情報誌で婚約者の無念を晴らす男の話になりました。
 楽しく皆さんの作品を読ませて頂きました。書き手としても読み手としても楽しめる、とても素敵なスレッドですね。
 お邪魔しました。