「問おう、君の勇気を」
そう言って、微かに目を伏せると、ミスティカは手を差し出す。その上に、跪いていたセルーシャが、己の手を重ねると、ミスティカの薄い唇が弧を描いた。
「葬樹(そうじゅ)の森の長、セルーシャよ。その命を捧げることで、古代樹は浄罪の力を取り戻します。さすれば、清らかな精霊の息吹は、この穢れた大地に降り注ぎ、世界は再び甦ることでしょう。終わりなき世の流転のため、自らの魂を贄(にえ)とすることを選んだその勇気に、心からの感謝と恭敬を……!」
途端、周囲に立ち並ぶ木々が、さわさわと揺れ始めた。まるで、歓喜の旋律を奏でるように。葉を擦り合わせ、枝を振動させながら、祝福の詩を歌う。
しかし、その瞬間。何処からともなく、悦びの雰囲気には似合わぬ、焦燥した声が響いてきた。
「待て……!」
木々の合間を縫って現れた黒煙が、セルーシャの真横に落ちて、人の形を象っていく。やがて黒煙は、長い黒髪を持った中性的な姿を取ると、セルーシャに詰め寄った。
「セルーシャ、馬鹿な真似はやめろ! お前が命を捨てる理由など、どこにあるというのか……!」
怒気を含んだ口調で、問いかける。ミスティカは、忌ま忌ましげに顔をしかめると、鋭い声で言った。
「葬樹の精霊、エイリーン……。精霊王、グレアフォール様の御前で、無礼であるぞ。ここは、目通りを許された者のみが立ち入れる聖域、『古代樹の森』。そうと知っての狼藉か……!」
エイリーンは、その橙黄の瞳を動かすと、ミスティカを睨み付けた。
「《時の創造者》ミスティカよ。我らが長、セルーシャが古代樹の肥やしにされるのを、黙って見過ごす訳にはいかぬ! 我々葬樹の勇気を問うというならば、この我が戦場に立ち、人間も獣人も、滅ぼして見せよう! 精霊族に仇なす種族、その全てを、必ずや我が──」
「──ならぬ」
エイリーンの言葉を遮って、低く、威厳のある声が響く。瞬間、騒がしく揺れていた木々が動きを止め、辺りが静かになった。
声の主は、この精霊の国ツインテルグを治める王、グレアフォール。広間の中心に聳え立つ巨木──古代樹の根に腰を下ろすグレアフォールは、その黄金の髪から覗く、瑠璃色の目をすっと細めると、エイリーンを見た。
「人間も、獣人も、滅ぼしてはならぬ……」
エイリーンの長い耳が、ぴくりと動く。古代樹に鎮座するグレアフォールを見上げて、エイリーンは、怒鳴り声を上げた。
「一体、何を躊躇うというのか! 森を灼き、大地を腐らせ、世界に穢れを広めたのは人間や獣人ではないか! 何故その代償を、我ら精霊族が払わなければならぬ!」
グレアフォールは、眉一つ動かさず、答えた。
「世界の流転には、繰り返される嘆きの歴史もなくてはならない。その絶望を生む他の種族を、滅ぼすことは許されぬ。古代樹に捧げるべきは、お前たち、葬樹の魂……。死をもたらし、闇を生きる咎(とが)であるお前たちこそが、然るべし古代樹の糧となる……」
エイリーンの顔が、歪む。己の中で、みるみる盛り始めた怒りの炎を抑え込むように、エイリーンは俯き、拳を握りしめた。
「何故だ……何故なのだ、精霊王……」
震える声で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「千年前、我が一族を竜族から救ったそなたが、何故……! 裏切るのか……? 我らは、そなたこそが真の王だと、そう、信じて──……」
そこまで言って、エイリーンははっと口を閉じた。そして、大きく目を見開くと、言った。
「まさか、このためか……?」
信じられない、といった表情で、グレアフォールを見る。エイリーンは、込み上がってきた激情に身を任せ、叫んだ。
「このために、我らを竜族から救ったのか!? 最初から贄に捧げるつもりで、我ら一族を救ったのか──!?」
刹那、エイリーンの足元から、どす黒い煙が巻き上がった。
煙に舐められた周囲の草木が、生気を失い、一瞬で色を変えていく。懸命にもがき、大気を掻くように枝葉を震わせ、枯死していく草木を見て、ミスティカは小さく舌打ちした。
「これ以上は許さぬぞ、エイリーン! 今すぐ聖域から出て行け、さもなくば──」
エイリーンの前に手を翳し、ミスティカが魔力を高める。しかし、その唇が開く前に、セルーシャがエイリーンの腕を取った。
「やめろ、エイリーン」
エイリーンが、はっと我に返って、セルーシャを見る。立ち上る黒煙が掻き消えるのを見届けてから、セルーシャも、エイリーンを見つめた。
「遅かれ早かれ、我らは滅ぶ一族だった。じきに、葬樹の森も朽ち果てる。故郷の森が逝くなら、私も逝く……」
静かな声で言って、目を閉じる。それから微笑みを浮かべると、セルーシャは言い募った。
「そなたは生きよ。私は、ただ朽ちるのではない。この魂を以て、古代樹と一つになり、大地を浄化するのだ……」
「…………」
凍てつくような、絶望を瞳に浮かべて、エイリーンが押し黙る。そうしてしばらく、エイリーンは何も言わずにいたが、ややあって、唇をくっと噛んだ。そして、無造作にセルーシャの手を払うと、黒煙に姿を変え、宙に飛び上がった。
風のように軽く、広がった枝葉を撫でながら、鬱蒼とした森を抜ける。聖域から飛び出し、やがて、一際高い大木の枝に座ると、エイリーンは、再び人の形をとった。
仰いだ夜空には、満月が煌々と輝いている。闇に渦巻くように散った、星々の光も相まって、天はひどく眩しかった。
「レクエス……」
ふと、同胞の名を呼ぶ。
すると、エイリーンの座る大木の幹から、めきめきと幾多の枝が生えてきて、絡み合いながら、小さな馬のような姿になった。枝で出来た四肢を確かめ、隣に跳び移ってきたレクエスを一瞥すると、エイリーンは口を開いた。
「……聴こえるか。全てを喰らい尽くす、光の音が」
月明かりに目を細め、エイリーンが続ける。
「何故我らは、精霊族の陰として在らねばならぬのだろう。ただ、誇り高き葬樹のままで、生命の流れに寄り添っていられれば、それで良かったのに……」
エイリーンは、冷めた口調で言った。しかし、その瞳には、深い哀しみと苦痛の色が浮かんでいる。
「……大地に根を張り、枝を伸ばし、葉を繁らせ、ただ、そこに在る。そして、魂の抜けた器を喰らい、それらをまた、大地に還す。我らは本来、そういう一族だったのだ。グレアフォールに、『自我』などというものを、与えられるまでは……!」
語尾を強めて、エイリーンが眉を寄せた。レクエスは、何度が足踏みをして、エイリーンに向き直ると、その頭を垂れて、呟くように言った。
「今が、時ではありませぬか。我が闇精霊の王よ」
虚を突かれたように、エイリーンが瞠目する。訝しげにレクエスを見ると、エイリーンは、低い声で尋ねた。
「……王? 今……闇精霊の、王だと言ったのか?」
「はい、そう申しました」
顔を上げて、レクエスは首肯した。
「光と闇……。精霊王、グレアフォールを光とするならば、その陰を生きる我らは闇。貴方様は、その王に相応しい」
「…………」
エイリーンの、僅かな心の動きも読み取りながら、レクエスは問いかけた。
「精霊王、グレアフォールが示すのは、永遠に回帰する死と再生の運命です。そのような物語に、何の意味があると言うのでしょう。彼の予言に従って、我ら一族に、一度でも希望がもたらされたことがあったでしょうか……?」
橙黄の瞳が揺れて、エイリーンが息をのむ。レクエスは、はっきりとした口調で告げた。
「我らは我らの、誕生と終焉を迎えるのです。今こそ、その運命を掴みとる時。長い歴史の中で、我らの内に燻ってきた憎しみの炎で、このツインテルグを、灼き滅ぼすのです……」
月光に照らされ、浮き上がった木々が、ざわざわと不穏な音を立てる。夜風に揺さぶられて、一斉にざわめきだした森の声を、エイリーンは、ただじっと聴いていた。
…………
お世話になっております!
なんとなーく、ちょっと昔のHNで書いてみました(笑)銀竹です。
自創作の世界観をそのまま持ち込みまして、説明していない部分が多いので、初めて見た方は意味不明だと思います。
まあ、ファンタジーな雰囲気だけ感じて頂ければ……程度の気持ちです(^^)
このスレには、感想を書きに来よう、来ようと思いつつ、結局全作読み込むまでに至っておらず……!
でも個性的な短編がそろっていて、「問おう、君の勇気を」というたった一言から、こんなに毛色の違う物語が沢山生まれるんだなぁと、楽しく拝見しております。
運営等大変かと思いますが、浅葱さん、ヨモツカミさん、素敵な企画をありがとうございました(*^^*)