「問おう、君の勇気を」
狭い独房に谺する、芝居の様に大袈裟な声。
「女王陛下はこう仰っている。『哀しき叛逆者よ。絶望の淵を抜け出し、私の手を取りなさい』と。果たして君には、女王陛下の御手を取る勇気が……」
「もういい、下がれ」
一兵士の朗々とした語り掛けを遮り、闇の中から軍靴の音が響く。漆黒を縫う様にして現れた男は、これまた漆黒の軍服を纏い、瞳には針の様な光が浮かんでいた。兵士の慌てた敬礼に見向きもせず、冷たい眼差しで牢の中の『それ』を睨め付ける。
「しかしカートライト中佐、この者は……」
「下がれと言っている」
「……はっ!」
小走りに去っていく兵を横目に、カートライト、と呼ばれた男は溜め息を吐いた。彼の目の前で、壁に繋がれた何かが動く。全く頑固だな、と『それ』を嘲る様に言う。
「拷問と説法を繰返し……いや、説法も拷問の一つか? まあいい。お前もよく気が狂わずに居られるものだ」
男は喉の奥で低く笑う。そして、気分はどうだい? と問うように『それ』の顔を覗き込んだ。
チャリ、と鎖が擦れる音。男の目の前に佇む『それ』をきつく拘束している鎖は太く、黒々と光っている。その鎖に喰い込み音を立てる体は、部分によって赤黒い谷が出来ていたり、酷いケロイド、或いは幾つもの注射痕、内出血して紫の花が咲いていたりした。無惨に、露になった『それ』の上半身。傷こそ大量だが、まるで柳の様にしなやかな体をしていた。
更に、項垂れて表情は見えないが、顔は青くない程度に白く、その身体から想像できる壮絶な拷問の数々がまるで嘘の様に血色が良かった。薄く開かれた唇は些か荒れてはいるが、綺麗な紅色をしている。
『それ』を舐めるような目付きで暫く観察した後、男が口を開いた。
「……成る程。貴様の担当者が拷問内容に全く紳士的ではないやり方……つまり性的虐待か。それを勝手に追加したのも頷けるな。中々いい男じゃあないか」
それにしても紳士的な拷問か、と呟く男の声が心なしか弾んでいる。血の臭いが充満するこの空間が楽しいとでも言うように、にやりと笑って腕を組んだ。
「あれは悪かったな。彼だけでなく、軍人は皆飢えているのを忘れていた。しかし安心しろ、貴様の『元』担当者は、きっと今頃異動になっているだろう」
全く悪びれる様子の無い口調。『それ』は何の反応も示さない。
「それにしても、貴様は大変な頑固者だ。これだけ虐げられても、口を割ろうとしない。自白剤を投与しても何一つ答えないというのは、流石に頑固の域を越えているがな」
不意に男は腕組みを解き、つかつかと『それ』に近寄った。鼻を突く血と薬品の臭い。血溜まりを踏みつける黒い踵。男が近付いても、『それ』は未だ微動だにしない。男は口角を上げたまま『それ』の髪を掴んだ。無理矢理に上を向かせる。ぼうっとした虚ろな濡葉色が、男を捉えた。
「アルフレッド・スミス。歳は25。腕の良い靴屋の後継ぎ息子。両親は諸事情により既に離婚、別居……どうだ、合っているだろう?」
呆けた様な視線が男に向けられる。何の感情も持たないその目を無視し、男は『それ』の左耳__正しくは最早只の穴__に顔を寄せ、低く呟いた。
「女王陛下に叛逆さえしなければ、呑気に靴を作っていられたのにな?」
「…………」
掠れた笑い声。
……それは男の笑いでは無かった。男の得意気な顔が一瞬固まる。耳障りな雑音の様な、まるで声なのかすらも判別が難しい音が、男の鼓膜を震わせる。その声は、目の前の『それ』の発したものだったのだ。荒れた紅い唇の間から笑い声は絶え間無く漏れる。さも可笑しそうに。男の言動を、嘲笑うかの様に。
男は反射的に『それ』の腹を蹴った。鈍い音がし、石のように硬い腹筋にべっとりと赤い足跡が付く。しかしそれをものともせずに『それ』はまだ笑っていた。
「……何が面白い」
さっきまでの余裕とは一転して、不機嫌になった声が乾いた笑いに刺さる。
「……俺は……女王陛下に、叛逆、など……していない」
男の顔に深い皺が現れた。彼が何か言いかけたのを遮る様に、途切れ途切れの、しかししっかりとした声色で『それ』は喋り続けた。
「今の……女王、陛下は言わば……人形だ。お前達の意のまま、に動く……傀儡人形……そう、だろう?」
「……間違ってはいないな」
不意に『それ』が激しく咳き込むと、周囲に鮮血がほとばしった。男の軍服にも点々と跡を残す。男は舌打ちをし、『それ』の腫れ上がった右頬を殴った。床の赤色を、赤色がまた塗り重ねていく。
『それ』は大きく息を吸い、再び話し始めた。
「……陛下は、囚われている。国を良くしようと……そういう、思念に。しかし……彼女にそんな事が、出来る筈無い。政治の『せ』の字も知らない、温い湯の中で育った、若い彼女には……」
男は険しい表情で『それ』を見ている。
「お前達も……陛下を、下に見ている。力も、頭も無い只の女……唯一有るのは、先代が彼女に遺した巨大な玉座……つまり血筋。それ、のみ」
「……確かに、そうだ」
肯定の呟き。『それ』はじっと男を見ているが、まるで何処か遠くを透かしている様な、空虚な目をしている。男は一呼吸置いて、うってかわって平然とした声で語り始めた。
「貴様の言う事は殆ど正しい。今の女王など、大き過ぎた玉座に潰された只のでくのぼうだ。しかしな、それが……」
男は息を吐いた。
「……貴様が、女王を殺そうとした理由なのか?」
『それ』は呟く。
「……違う、な」
『それ』は奇妙に貼り付いたような無表情を崩さなかった。男の冷ややかな視線が注がれる中、口に溜まった血液を唾と共に地面に吐き出して続ける。何か白いものが同時に溢れ落ちたが、『それ』はやはり気にも留めなかった。
「……俺が、陛下の暗殺を企てたのは……彼女が無能だからじゃない。彼女が……『囚われていた』……から、だ」
「…………」
「国を良くしようという思想、だけじゃなく……お前達の糞みたいな思想にも絡め取られている……それに、自分自身が判断、し、国を導いているという幻想にも……」
男の眉がぴくりと天井へ近付く。
「俺は、彼女を解放するため……彼女から伸びている、ぐちゃぐちゃに絡まった、思惑……と言う名のピアノ線を……断ち切る為に」
『それ』は息を吸う。
次の瞬間、初めて、『それ』の瞳に感情が灯った。底でぎらぎらと光る、射抜く様な感情。男の心臓がどくりと脈を打ち、目を瞬く。『それ』の唇は明らかに震えていた。
「俺は陛下を敬愛している」
一旦切らせて頂きます。
『それ』は苦しげな、ざらざらした声で話し続けた。瞳の光は未だ消えず、虚空ではなくしっかりと男を捉えている。
「国の主、というものは……遥か崇高であるべき、だ。俺は幼い頃、先王の勇姿を、目にしている……先王は、偉大な方だった」
「……あぁ」
「戦争では敗北を知らず、民に、親身になって寄り添い、政治も至極真っ当なものだった……俺の、永遠の崇拝対象なのだ。彼は……」
『それ』は腫れた片頬をひきつらせ笑った。自嘲を込めた笑みであり、どこか影のある笑みでもあった。その笑みが『それ』の内心をうっすらと象っていく。
「俺は傾倒した。先王に、先王の愛したこの国に……無論、陛下の為なら何だってする、つもりだ。陛下は既に他界されたが……陛下の際の言葉を、お前は覚えているか?」
「『娘を愛してくれ』……だろう」
「そうだ……俺はその言葉にしがみついた……キリストの信者にとって、の、聖書の様に。俺の、言わば芯だ、この言葉は……」
消えかかった語尾を補完する息継ぎ。それを最後に、『それ』は押し黙る。男と『それ』の立てる音以外を、薄暗い牢の静寂が否定している。男は首筋を強く掻いた。そうでもしないと、この沈黙に耐えられなかった。『それ』の続きを急かす様に、男は右足に体重を移す。
暫くして、『それ』は漸く口を開いた。
「……さっき、兵士が何時もの説法で、俺の勇気を問うてきた……先王の愛した、女王陛下を解放する為、彼女を……手に掛ける事を選んだ。それは、勇気なのだろうか」
咄嗟に口を開こうとする男を、『それ』は素早く遮る。
「否、なんだろうな。しかし……その理由が俺には解らない……俺はただ、愛する陛下と、その娘に……傾倒し尽くしただけ……なのに、な」
『それ』は今度こそ口を閉じた。頭を垂れ、ただゆっくりと呼吸を繰り返す。男は目を細め、『それ』の静かに上下する後頭部をじっと見詰める事しか出来なかった。しんとした空間に、足早に近付き、遠ざかっていく靴音が響く。衣擦れの音がやけに煩く感じる。
沈黙の後。男は息を一気に吐き出し、言い放った。
「……まさか……最初から正気を失っていたとはな」
男が静かに告げる。
「彼女の解放など口だけだ……お前はただ……失望した。それだけだ」
元の冷たい目に戻った男を一瞬見上げ、何も答えずに『それ』は口角を上げた。
「……俺は、死刑だろう?」
「ああ。既に殺しの理由も聞き出せた。貴様の様な大罪人には、女王が直々に死刑執行の号令を出す」
「……ははっ」
『それ』はゆっくりと、顔を上げた。再び光を無くした瞳が男を見据える。切れた唇を歪ませ、感覚の無い頬を動かし、鋭く、冷ややかに言い放った。
「聞け」
男のはっとした視線を他所に、『それ』は囁く様に口を開いた。
「俺がかつて振り絞った勇気は……ただ、己の失望を埋める為のものだった」
「……ああ」
「今この瞬間、俺は再び勇気を問われている」
肩の傷から、じわじわと新しい血が滲み出してきた。『それ』が吐息と共に身じろぎをし、鎖が小さく音を立てる。
「……公衆の憐れむ視線と……陛下の血が流れたあの女王の軽蔑の視線に射されながら……人生を終えるのだけは、御免だ」
「……命乞いか?」
「馬鹿な」
『それ』はにやりと笑った。傷だらけの身体を震わす。
「俺が死んだら……彼方の陛下は、俺を赦して下さるだろう?」
「……もし、赦されなかったらどうする?」
「愚問だ。陛下は赦して下さる……俺は、死して償うのだからな」
男は舌打ちをし、声を荒げた。
「俺を馬鹿にしたいのか」
「……とん、でもない……俺は、一刻も早く、陛下に赦されたい……それだけ、だ」
『それ』が声を上げて笑った。纏う雰囲気が一変している。さっきまでの影の様な暗さは最早其処には無く、何処までも突き抜けた感情。吹っ切れた、とでも言えば良いのだろうか。一種の爽やかさが、場違いながらあった。
「赦しを望むなら……そうだな、ただ死を待つだけでは、生温い。陛下に捧げる、死は、もっともっと崇高なものでなく、ては」
唐突に伸びる男の腕。男が『それ』の髪を再び掴んだ。ギチギチと音がし、頭皮が強く引っ張られる。男の顔には笑いではなく、驚愕と怒りが混じった様な、そんな表情が激しく浮かんでいた。荒くなる鼓動。息を飲み、半ば詰まった声を発する。
「お前、まさか……」
『それ』は……アルフレッドは、たっぷりの嘲りを込めて犬歯を剥き出した。
「その為の、勇気だ」
敬虔なる崇拝者は、男に向かって大きく『舌を出した』____
はじめまして、some bundleです。
私は短編そのものが苦手なので、こういったスレッドはとても勉強になります。
そしてこれまた苦手な台詞運びを多くした事で、ちょっと急展開になってしまったなと反省しております。
読んでくださった方はありがとうございました。またお邪魔させて頂きます。