「問おう、君の勇気を」
「……どうしたの? 大丈夫?」
僕こと剣軒一差(けんのき/いっさ)の目の前には、ハエたたきでこちらを指す幼馴染みのりんちゃんこと李川花音(りかわ/かおん)がいた。名前の最初と最後を取ったあだ名の彼女の真剣な眼差しが、段々と歪み遂にはため息を着いてしまう。
「もうノリが悪いなぁ剣軒君は……」
「それよりどうしたの? りんちゃんそんなキャラだっけ?」
そこまで言って、僕は重要な事に気がつく。そう言えば僕らは現在中学二年生。りんちゃんが例の流行り病にかかってもおかしくない……はず。
「ねぇ剣軒君。何か勘違いしてない? してるよね?」
しまった。表情に出ていたらしい。慌てて首を振ると彼女は暫くしてため息を着いた。ふっ、流石のりんちゃんでも僕のポーカーフェイスを見破ることは出来なかったようだ。
「……バレバレなんだよなぁ……」
りんちゃんが何て言ったか分からないや。
「で、何があったの?」
「単刀直入に言うね。部屋にゴキブリが出たの」
タントウチョクチュウとかいう言葉の意味は分からないけど、とりあえず僕は何気なく自然な動作でリビングから出て玄関へと行きそのまま李川宅を出ようと
「はいストップ。逃げない」
「離してりんちゃん……! 僕は行かなきゃ……!」
「私の部屋にね……!」
「嫌だ! ゴキブリの居る部屋ならとにかく、ゴキブリをわざわざ見に行って退治するのは嫌だ!」
「だから言ったでしょ! 問おう、君の勇気を。って!」
「それは勇気じゃない! えっと! ……なんて言うんだっけ?」
「蛮勇?」
「そうそれ! それは勇気じゃなくてバンユーなの!」
「まあそんなことはどうでもいいの! 剣軒君。ほら! 早く行こうよっ!」
「どうでもよくないやい!」
結局僕は力負けしてしまい、りんちゃんにズルズルと引き摺られる事になる。僕より力が強いりんちゃんはどうして自分でゴキブリを退治しようとしないんだろう……。
「嫌だぁ! 誰か助けてくれぇ!」
「足掻いても無駄だよ剣軒くん。大人しく付いてきて」
りんちゃんがただの悪役なんだけど……。
ズルズルと引きずられて身を呈して廊下掃除をさせられる僕。幸いな事に李川宅は掃除が行き届いているのか、そこまで汚れることは無かった。いやそういう問題じゃないけど。
「付いてきてって言うならまず引きずるのをやめ痛い痛い痛いぃ! 僕を引きずったまま階段を登るのは止めて!」
そのまま僕は引きずられて──いや流石に階段からは自分で歩いたけどさ──必死の抵抗も虚しくりんちゃんの部屋の目の前に立たされている。『花音』とりんちゃんの本名が可愛らしく書かれたプレートがぶら下がる扉も、今では魔王の部屋の入口にしか見えない。なんか扉が凄く威圧感を放っている(気がする)。
「問おう、君の勇気を」
「分かってるから! 急かさないで!」
そのセリフがりんちゃんのマイブームであることを頭の片隅に入れつつ、その魔王の部屋のドアノブに手をかけ、回す。特に重圧感とか無い扉はすんなりと開き、逆に僕に心の準備をさせる暇を与えなかった。
「こんな所に罠が……!」
「いや罠とかじゃないからね!?」
「そもそも僕がりんちゃんの家に来た時点で僕は罠にかかっていたのかも……?」
「そうじゃな……いや……そうかもね……?」
そこは僕的に否定して欲しかったと心の中で叫びつつ、開かれた入口から部屋の中を覗く。
ぬいぐるみとかピンク色の時計とか可愛い系のものがある一方で、分厚い本とか辞書とか僕が見たら発狂しそうなものが沢山並んでいる。個人的に本はあまり好きじゃない。
そして部屋を暫く息を殺して見回していると、遂にソレの姿を目の当たりにする。ツヤツヤと光る背中を持った、ゆらりゆらりと先っぽの細い触覚を揺らす、例のアレことゴキブリである。見た瞬間、ゾワッとしたものが背中に走る。
「でかっ!?」
全長約10cm位あるソレが、かなり綺麗に整理整頓された、薄い色のピンクのマットが敷かれた、ちょこちょことぬいぐるみがある部屋の、丸テーブルの下あたりに、触覚を揺らしながら佇んでいた。その姿は見るだけで嫌悪感を抱かざるを得ない。というか普通に気持ち悪い……。
「剣軒君、これ」
りんちゃんから渡されたのは、薄ピンク色の棒の先に、穴が等間隔に空いた正方形がくっついた形のもの。つまりは、
「なんでハエたたき……」
「これしか無かったの!」
「新聞紙とかなかったの……?」
そう言いつつも、りんちゃんからハエたたきを受け取り、ゴキブリに気が付かれないように、慎重に慎重に足を出す。ゆっくりゆっくりと上げ、バレないようにそーっと下ろす。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が続く中、足を床に付けた瞬間だった。
その黒光りするソレが疾走。いち早く気が付いたりんちゃんがそれを言うがもう遅い。僕が慌てて少し跳ぶようにして距離を詰めて、ハエたたきを床に叩きつけるが、大きな音が小さな部屋に響くだけで、ゴキブリは相変わらず疾走を止めない。
「くそっ! ちょこまかと!」
まさかこんな悪役みたいなセリフを言う日が来るとは思わなかった。などと思いつつ、一心不乱にハエたたきを振り回す。それはもう、人生の中で一番ハエたたきを振るったと思えるくらい振った。
それから何回かソレにハエたたきで打ち込もうとするが、コレがなかなか当たらない。ところで異性の幼馴染みの部屋でゴキブリを追いかけ回しながらハエたたきを床に叩きつけまくる僕って一体なんなんだろう……。
なんて考えていたスキに、ゴキブリが何を思ったのか、入口の方に逃走経路を変えた。その先にいるのは──泣きそうな顔のりんちゃん。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
僕が急いで追いかけて、ハエたたきを振り下ろす。一際大きい音が響くが、黒いソレはそれをひょい、と回避してそのままりんちゃんの方へと走る。正確には、りんちゃんを通って逃げようとしている。
「来ないでぇ!」
無意識の行動だったのだろう。自分に迫る外敵を倒そうとする、動物の本能的な何か。だから多分、仕方ないことだったと思うんだ。
りんちゃんが、目を瞑ってその足をゴキブリの方に出したかと思えば、もう僕が声を挙げた頃には遅かった。
その足が、着陸すると同時に、何かが潰れるような、そんな音がした。
「──あ」
僕の無意識に漏れた声に、りんちゃんが振り返ろうとして、カクカクとした、まるで整備が行き届いていない機械のように、首をガタガタを回してこちらを見た。
「け、けんののきくんん、ど、どうしよう……やだ……え……?」
「りんちゃん落ち着いて! まずは現状を確認しよう!」
「無理無理無理! 絶対無理! 直視できない!」
両手で目を隠して、座り込んで無理無理と弱音を吐き続けるりんちゃん。さっきまでの僕を引きずっていた強いりんちゃんはもうどこにもいない。いやほんとどこに行ったんだろう……。
何か声をかけようとするが、なかなか言葉が見当たらない。こんな時に何を言えばいいんだろうなんて、使い慣れていない頭を必死になってこねくり回していると、ふと、先ほど頭に入れたばかりの言葉が頭に浮かぶ。
この時、僕はどうかしていたと思う。なぜなら、りんちゃんが気に入っている言葉を言えば、元気を取り戻してくれるはず。なんて思っていたのだから。
僕は深呼吸をして、りんちゃんを真っ直ぐに見る。そして、こう言った。
「問おう、君の勇気を」
「うわぁぁぁぁぁん! 剣軒君のバカぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
*投稿させて頂きました!
皆様が深い話とか暗い話とかシリアス系が多い中でこんな話を投稿するのは多少気が引けましたが、うるせぇ私はほのぼのを書くんだ精神で投稿させて頂きました!
他の方にも後ほど感想を投稿させて頂きます!