「問おう、君の勇気を」
「……良く聞こえなかった。“フォーマルハウト”、もう一度言ってくれ」
「YES、マスター。復唱します――問おう、君の勇気を」
「おいおい……勘弁してくれ。俺はもっと具体的な答えを聞きたいんだが?」
或る問いに対して戦術AIの吐き出した答えに、男は頭を抱えた。
対マルクト級電子戦用AI“フォーマルハウト”。並列処理によってスーパーコンピュータ数百台分もの演算をこなす高機能AIは、しかし並列化したデバイスによって演算結果が多少人間味を帯びすぎることが難点だった。今回の並列先はどうやら無類の空想好き、言い方を変えればロマンティストの気があったらしい。面倒なものである。
事態はあまり楽観視出来るものではない。既に展開中の防御壁、『熾天使の翼』とコードの振られた六枚の壁は、既に四枚が突破され、残る二枚も四方八方から襲撃を受けている。完全突破されるのも時間の問題であるし、そうなれば男に残された手札は汎用破壊AIと、リミッターを外せば何をしでかすか分からない『砂漠』の管理AIだけだ。どちらも制御が難しい札である。なるべく切りたくはない。
頭を掻きむしりながら、男は己よりも高い位置にまで広がるモニタに目を向け、展開される熾烈な電子戦の様子――可視化の為にアバターを設置しているから、見た目は天使と触手の化け物の争いに見えるのだが――を見渡す。次々と二枚翼の防御AIの脚が触手に絡めとられ、衣を毟り取られ、見るも生々しく蹂躙される様に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、男は手元の端末に素早くプログラムを打ち込んだ。
選んだのは一段上位の防御AIの投入。二対四枚の翼を持った天使がモニタ上に出現し、無尽蔵に湧き出る触手を手当たり次第に武装で叩き切っていく情景が映る。だが、戦術AIの反応は思わしくない。
「NOですマスター。留められません」
「チッ……Sランクの攻撃AIを序盤で投入すんじゃなかったな。だが……」
みるみるうちに劣勢へ傾いていく光景を前に、男の脳裏で一つの選択肢が浮かぶ。
管理AIのリミッタ解除。今でこそ辺境の大人しい管理AIだが、元々は最高級の破壊AIだったものだ。高速度の侵食と不可逆な破壊はまさしく破壊AIの最高峰と言って過言ではないが、いかんせんもたらす破壊は敵も味方も問わぬ。出すならば、戦場から一旦全てのAIを撤退させねばならない。防御AIはそれなりにコストがかかっているのだ、道連れに全て破壊されては堪らない。だが、撤退されれば残り二枚の防壁は持つまい。
少しく考えて、男は“フォーマルハウト”に問う。
「OK“フォーマルハウト”。“アケローン”を投入した時のシミュレートと、“メルキセデク”を突入させた時のもくれ。後者は撤退させた時と撤退させないとき、どっちもだ」
「YES、マスター。演算には十秒頂きます」
「一秒でやれ」
「YES」
果たして“フォーマルハウト”は己のマシンパワーを以って忠実に任を果たし、男の端末にシミュレート結果が送信される。結果は惨憺たるもの。男が持ちうる最高峰の切り札は確かに獅子奮迅の活躍をしはするが、伸びてくる触手の対応が間に合わず結局蹂躙された。もう片方の切り札は、どちらの場合でもありとあらゆるものを破壊しつくして終わった。後にはあの触手も防壁も何もない、それだけが残る虚無だけだ。支払うコストの巨大さはどちらも同程度。要するに、破滅的かつ天文学的だった。
男は深く溜息をつく。お手上げだ。手の打ちようがない。これはこの気色の悪い触手――“ネフィリム”にこの場を明け渡すのもやむなしか。そう男が結論を出しかけたとき、聡明なるAIは再び問うた。
「問おう、君の勇気を」
「またそれか。まさか、勇退禅譲の勇気を出せと言う事か?」
「NOですマスター。貴方の勇気とは敗北の為にあるのではありません」
「勝利のため、か。クソッ、一体どんな蛮勇だってんだ」
「YES、マスター。全ての防御AIを展開したまま、“アケローン”“メルキセデク”両AIの同時投入を提唱します」
ふざけるな、と激高しかけた男を、AIは続く提案で黙らせた。
「“アケローン”は最高級攻撃AI、すなわちこの場に於ける指揮官を担い得ます。それは“メルキセデク”にとっても同様のはず。手綱のない犬を手懐ける程度の強制力は持っているはずですが?」
「……やけに詩的なこと言ってくれるじゃねぇか、あぁ? 一体どうしちまったんだ今日の並列デバイスは」
「YES、マスター。サイエンスフィクションのエキスパートです」
やっぱりか。
男の心中に納得と、同時に悔しさがじわりと滲む。空想家の妄想に活路を見出すしかないとは情けない。こちとらこうした攻防戦のプロだと言うのに。だが、最早時間もなければ手札もない。賭けるしかなかった。空想家に。空想家から想起された戦術に。それを是として提案した、己よりはるかに高知能のAIに。
撤退か、撃退か。全ては己が決断に委ねられた。
「これで負けたら俺ァ内臓を全部切って売らなきゃならんな……!」
「NOですマスター。出来の悪い冗談ですね?」
「事実さ」
緊張と恐怖を紛らす軽口を叩き、男はいつもよりも心なしか早く、震えた手をキーボードに叩きつけた。
***
御題:「問おう、君の勇気を」
題名:"Siege!"
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蔓延る堕天使どもを屠り滅するは
電子の海を舞うプログラムの天使
これは、それらを操る“神”の話
***
「内臓は護られましたね? マスター」
***
閉会が間近に迫っているとのことで、図々しくももう一篇置かせていただきに参じました。