手紙は何日も前から書き始めていた。俺は口下手だから、顔を見ても伝えられないことはきっと沢山ある。けれども。どうしても、伝えたいことがある。
迫る鋭い蹴りを避ける。上段、下段、また下段。鍛え抜かれたその脚技は死神の鎌のように俺の首を刈らんとする。強くなったもんだなと、目の前のガキの成長が何だか誇らしい。衰えつつある体に鞭打ち、その猛攻を受け、避け、また避けた。
こいつに指導を始めたのは、まだまだこいつが幼い頃だったな。目に怒りと涙とを湛え、実父の棺桶の前で立ち尽くすこいつの姿を、俺はまだ覚えている。軍の下らない派閥争いに巻き込まれて、こいつの父は殺された。そして俺は、殺された男から見て、敵対派閥の幹部だった。
全員ぶっ殺してやる。初めて聞いたこのガキの言葉がそれだった。俺は自分の部下がわざわざ殺めた男がいかなる人材か知るべくその葬儀に参列した。派閥こそ違えど、同じ軍に属することには変わりない。それに、男はかなり遠い階級にいたとはいえ、俺の部下でもあった。
正確には、部下の部下のそのまた部下。接点など何一つ無い。しかし、その正義たるや、俺にまで聞こえるほどだった。だからこそ、その顔を拝める最後の機会は逃したくなかったのだ。そして出会った、己の持つ全てを伝えるに値する者と。
だから俺は、復讐を望むその言葉に触れて自ら近づいてしまった。歪められた正義を薪として、黒ずんだ煙をあげる憎悪の炎に。誰が父を討ったかは、幼い子には分かる由も無い。だから決めたようだ、父の敵だった者全て切り捨てる、と。そんな激しい感情に魅入られた。
「何で、何であんたが……!」
その目はいつぞやの目と同じで、やはり怒りと涙に満ちていた。悔しいだろうな、ずっと教えを請い、師事してきたその男が実のところ仇と呼ぶに相応しければ。こいつが泣くのも理解できた。けれども俺にとって、こいつに戦う術を叩き込んだのは侮蔑でも無く、かといって贖罪でもなかった。惚れ込んでしまったのだ、その目に。
青白い光を放つ半透明な刃を避ける。大振りな攻撃は控えろと教えたはずなのにな。成長したとは言え、まだまだ頼りない弟子に俺は嘆息する。踏み込み、脚に力を溜める。肉体強化の異能、それにより大砲のごとく高められた膝蹴りをその腹部に叩き込んだ。苦しそうな悲鳴を漏らし、そいつの体は真っ直ぐに吹っ飛んだ。
お互いにぶっきらぼうだった俺たちは初めての教育からして障害だらけだった。父が死んで精神は荒れ、跳ねっ返りの生意気な子供。俺も大概大人の言うことなんて聞かない悪ガキだったとはいえ、もう少し聞き分けがあった。教えるのは思ったことを素直に述べるのがこれ以上無く苦手な俺。無口な似た者同士だったが、相性は最悪だった。
けれども。俺たちはどうしてだか、一度(ひとたび)その剣さえ交えれば、その間だけ雄弁に語り合うことができた。だからこそこの師弟関係は続いたと言える。俺たちは己に秘めた異能力のみならず、戦闘様式も初めからよく似ていた。
吹き飛び、壁に叩きつけられたあいつが立ち上がる。蹴りの瞬間に腹部の耐久力を上げたのだろう。意識するより早く、攻撃を食らうと思った時には反射的に気張れ。その教えは体に染み付いてくれたらしい。
そうこなくては。終わらぬ闘争に高揚する。これまで戦う術を授ける際に数えきれぬ程その刃は受け止めてきた。けれども、押さえきれぬ殺気が振るう本気の一太刀は、それら無数の手合わせを飯事と思わせるほどに格別だ。口内を切ったのか、血の混ざった唾をあいつは吐き出した。それは、これから再び踏み込むという合図。読まれかねない悪癖は早いところ矯正しろとかつて言ったが未だ直っていなかったのか。
床を蹴る音、狭い廊下を駆けてくる。もうその目からは動揺も怒りも躊躇いも消え、使命感に燃えていた。そうだ、それでいい。父の敵討ちこそが、お前の生きてきた目標なのだろう。先程までの情けない眼光が嘘のように肝の据わった顔つきだ。
「お前の父を殺したのは俺だ」
今朝ようやっと、弟子に宛てる手紙をしたため終えた俺は、そう伝えた。それは同時に、ガキが軍へと入籍する日でもあった。本当に、ギリギリだった。実のところもっと早くに打ち明けるつもりだった。こいつが軍に入れば、派閥のことを知るのは間違いない。親父の仇が俺と知るのは時間の問題、それまでに決着させなければならなかった。
けれども。俺は本当に臍曲がりで、手紙でだって中々正直になれなかった。照れ隠しばかり書いた紙切れを、何度も何度も破り捨てた。時にぐしゃぐしゃにしてゴミ箱へ投げ、何本もペンのインクを空にした。自分にとってそれだけ、真っ直ぐな気持ちを言葉にするのは困難だった。だが、余すこと無く書ききった。これまで伝えてこなかった全ての事を。
奴は一度、この戦闘のリズムを変えようと刀を引っ込めた。より近い距離で息吐く間も無い攻防を望むらしい。より速い展開を広げた方が勝機はある。なるほど確かに間違ってはいない、なぜならこちらは全盛期をとうに過ぎた齢五十の体だ。
させるかと、手にした刀を向かってくる影に振り下ろす。俺の刀はあいつのと違い自在に消すなどできない。白銀に煌めく鋼鉄の刃が走った。神速の一閃、俺の斬撃をそう言わしめたのは昔の話。だが、それでもなお鋭い一太刀を造作もなく避ける。本来の調子が戻ってきたようである。そうだ、お前を鍛えたのはこの俺なのだから、そうでなくてはならない。
戸惑い硬直するガキに対し、先に刃を向けたのは俺の方だった。何を言っているのかと、悪い冗談を嗜めるようあいつはひきつった笑みを浮かべた。その言葉に真実味を持たせるため、俺はゆっくりと剣を抜いた。何でもいいから斬りかかる理由を作るために、「やはりお前の存在は邪魔になった」と言って。監視カメラに見せつけるように俺から斬りかかった。
数分前、初太刀を何とか凌いだあいつは喚いた。ようやく、父の仇は俺だと言う言葉を飲み込み始めた。事実としては俺の部下が手にかけた訳だが、俺のせいと言っても過言ではない。嘘をついてない風に繕えたと思う。「何でここまで育てたんだよ」の声が、父を奪われた日の「全員殺してやる」と、重なった。それが何だか、俺の心を打ってならなかった。
仕方ない。単なる好奇心から指南を始めたガキに愛着が湧いてしまったのだから。そして若い剣士が、復讐に囚われてその刃を曇らせるのは、同じ剣の道に生きる者として妨げねばならなかった。
自国にも、敵国にも、様々な異能力者が溢れている。炎を操る者、雷を操る者。テレポーターに、未来予知。そんな様々な兵が無数に居る中、俺たちが得た力は単なる肉体強化だった。シンプル故に伸ばしやすく、シンプル故に強力無比。しかし、シンプル故に迷いが浮き彫りになる。曇った精神が、その者を弱らせる。
俺が持つのは己の体と、手にした武器を強化する能力。ガキの持つのは、体内で練った気を己の体に注ぐことでその分肉体を強化する能力だった。微妙な差異はあれど、とどのつまりは身体能力の向上が主。あいつの師に、俺以上の適任はいなかった。
このガキは、全盛期の俺をも凌ぐだけの可能性に満ちている。未来ある男だ。そんな男が、復讐なんかで燻ってはならない。こいつの親父を目の敵にしていた連中を地方へ飛ばしたり処分したりし、用意を万全にしてから俺はその派閥を抜けた。幹部の座を盟友に託して。なぜわざわざ抜けるのか、問われはしたが、しつこく引き留められはしなかった。俺は元々戦場を塒(ねぐら)にするような男、派閥争いなんて頭痛の種は要らんとだけ答えた。その後はただ、弟子を育てて戦場で暴れるだけ、心労も溜まらぬ暮らしを過ごした。
俺のことを最も慕っていた部下一人は「恭哉さん、辞めないでくれ」と何度も言っていた。けれどもその頃にはもう、肉親が一人もいない俺にとって、あいつは息子も同然だった。
過去を振り返る俺に、自身と瓜二つな体術が降りかかる。右正拳から左目潰し、首を反らしたその隙に足払い。闘気迸る重撃が脛に入る。しかし、岩のように強固に活性化された俺の足は崩れない。ただ、痺れるような衝撃が走る。
今度はこちらの番だ。あいつは表皮を強化することで気を纏い、鎧のようにしている。青白く体表から漏れている光がその証だ。まずはそれを削ぐ。
足払いまで済ますと、一瞬奴は目の前で動作を止めた。それが甘いと言うのに。一度攻めれば畳み掛けないと、反撃の危険性がある。知らしめるために俺は形勢を一転させ反撃に移る。
ただただ、楽しくて仕方が無かった。己が育てた最高傑作、それと拳を、そして剣を交えるのが。次第に我が弟子の一挙手一投足が速くなる。各行動の間隙は短くなり、その攻め手は秒を追う毎に激しさを増す。剣を重ねるごとに、その衝撃は重くなる。
ふとその顔が目に入った。泣きたいようで、笑いたいような般若の顔。そうか、お前も同じか。
そして俺はごちゃごちゃと考えるのはやめにすることにした。最後の授業を始める。もし俺が生きお前が死ねば、それはそこまでの男だったというだけだ。
一度距離をとったガキが、拳を開いて手刀の形をとった。流し込まれた気が指先から伸び、刃渡り一メートルほどの剣となる。青白く、透き通る、硝子のような。だがそれは鋼鉄の剣に劣らぬほど強固な剣。それはまるで奴自身の意志のよう。
俺の刀と奴の剣、交わる度に火花散る。一度、二度、三度四度。どちらから斬りかかっている訳でもないような不思議な感覚。相手ならそこに剣を置くであろうという信頼から次の一振りを己もそこへ置く。まただ、ピタリと噛み合う刃が牙を打ち鳴らすように唸って。斬り結ぶ度に火花が彩る。
別に由緒正しい剣の道ではない。戦火にまみれながら覚えた喧嘩闘法。だがどうして、俺たちにはこれが似合う。
斬って、斬って。斬って斬って刃を重ねた後に奴が切っ先のみをこちらに向けて踏み込む。唐突な突き、しかし対応する手立てが無い訳は無い。
避けるのが通常なら安全策だが、ことこいつの相手に関してはそうではない。一キロ先の針の穴を弓で射抜くような精密さ、それほどの集中力を持ってして、迫る高速の刺突に己の刀の切っ先を合わせる。ナノメートル単位で誤差無く衝突した互いの突きは、ぶれることも弾かれることもなく邂逅した。
普通突きの後には剣を戻すモーションが求められる。しかしこいつの剣は自在に消すことが可能。剣を引き戻す隙など無く、むしろその隙を突く攻撃に合わせカウンターを入れられる。
押し合う最中、手応えがふと途絶えた。警戒していた唐突な納刀。ほんの少し俺の体は前へと傾く。先刻の仕返し、そう言わんがばかりに腹部に鈍い痛みが走る。腹筋を引き締めて能力でさらに堅牢なものとする。それでも抑えきれぬ威力で、後方へと押しやられた。
追撃。俺がよろめいた隙に、余計な行動は必要ない。ただ一直線で攻め入るのが正義。勝ちを確信したのか踏み込みが甘い。
俺の方から踏み込んだのが驚きだったようで、あいつは驚きの色を浮かべた。老体だからと侮ったのか拳骨をまともに顔に受けて奴は後方へ飛ぶ。壁にもう叩きつけられぬよう、剣を地に突き刺してブレーキをかけ止まった。互いの足が止まる。
「あんたじゃないんだろ?」
「いや、俺だ」
先に戦闘を中止したのは奴の方だった。そしてその言葉の意味は聞き返さずとも分かった。父の仇が、ということだろう。しかし俺はあくまでも自分だと主張する。
「だったら、ここまで鍛えることもなかったはずだ。あんたなら軍への入隊も裏から潰せたはずだ」
「今日は普段より饒舌だな」
「俺を焚き付けこっちから剣を抜かせるんじゃなくて、自分から斬りかかったのは何でだ、まるで全部、俺のため」
「黙れガキが」
今までずっと否定してきたものを、自分以外の口から放たれるのは聞きたくなかった。それが例え、ずっと俺を師事してきた弟子だとしても。
それに俺の本音は全て、もう残してある。きっとこれが互いの顔を見て交わす最後の対話だろう。そう思った俺は、残した言葉の存在を匂わせる。
「いつも俺が酒を隠してる戸棚」
「それが何だ」
「そこに全てを置いてきた」
だからこれ以上ごちゃごちゃ抜かすなと俺は言外に告げる。口下手な俺を誰より理解するガキは、それに素直に頷いた。俺は自室へ置いてきた、手紙の中の一言を胸の内に復唱する。復讐なんぞ、俺を糧に捨てていけ。
本当にお前は、強くなった。老いてさらばえるしか無くなった俺が、この先誇れる最後の一刀。俺はこの十年、一度も呼んだことの無い、愛弟子の名を口にした。
「こい、龍馬」
「はい、柳先生」
それに応えるように、俺のことをおっさんとしか呼ばなかった龍馬も俺の名を呼ぶ。生意気な。
小細工は要らなかった。開いた距離を最速で駆け、真正面から俺たちは互いの剣を振りかざす。残る力を全て込め、想いをぶつけるように剣を交わした。激しい衝撃が腕を震わせる。
互角、ではなかった。俺は両の腕で受けるに対し、龍馬は一刀、すなわち片手だけの力。なら、空いた左手は。
天井へ向けてその手を伸ばす。二本目の刃が現れた。そして拮抗する剣戟、その局面に斬り込む。
音もなく、長年使ってきた俺の刀は両断された。刀身を失い、軽くなってしまった柄だけが己の手に残る。折られた刃は地を転がり、甲高い声を上げた。
そして龍馬はさらに踏み込む。迷いなど無く、その目は俺のその先を見据えていた。あぁ、そうだ。俺など越えてその先へ進め。
駆け抜けるそのすれ違いざま、俺の体に切創走る。血潮が溢れ、吹き出して。深紅の池に俺は浸かった。
何て目を、してやがる。その目は悲しみに揺れていた。初めて会った頃不意に見せた、父を亡くした子の目と同じだ。
あぁ、俺のことをそう見てくれるのか。視界が滲むのが、血を失ったからか俺も泣いているからか分からない。
ふと、真っ白になった光景に、大人びた姿の龍馬が映る。今後こいつが、こんな風に育ってくれるといいなと、願った。
ゆらゆらと、焼けるような痛みも溶けるように和らいでいく。そしてそのまま、龍馬がこれから歩む道程を夢に見るように俺は眠った。
★★★★★★
「止まるんじゃねぇぞ……」
☆☆☆☆☆☆
しがない家電製品です。
春休み、暇してたら面白そうなものを見つけたので参加しました。
おじさんの散り際を書きたかったのですが、分かりやすく書けたのかとても心配です。
楽しかったので、同じテーマでまた違ったものも投稿させていただくかもしれません、その時はよろしくお願いします。