手紙は何日も前から書き始めていた。書き始めの一文を決めるのに一日かかり、あまりにもよそよそしかったので二日目で破棄。三日目、肩の力を抜いて書いた文は蟻の行列のように終わりがなくて、またくしゃくしゃにして捨てた。そんなことを何度も何度も繰り返して、なぜ彼女は手紙なんて古風な手段を取ろうと思ったのか、そもそも僕は返事を書く必要があるのか、便箋とにらめっこしながら考える。何枚目かの便箋が真っ白なままその日も結局書き上げることができなかったので、いい加減自分の情けなさを認めざるを得なかった。
手紙というものは難しい。電子機器が発達し、お金と時間をかけずとも一瞬で地球の裏側まで繋がってしまう現代において、この手段はあまりにも手間がかかる。便箋を揃え、文章を考え文字を書き、切手を貼り郵便ポストに投函する。学生時代から進歩のない、この汚い字を書き並べるのすら恥ずかしくて、読んだ相手に笑われそうだと思うととても書き進められない。何分書き慣れていないからなのだろうが、一つひとつに時間がかかる。もちろん、手紙を貰う嬉しさも読む楽しさも人並みに経験があるが、とても自分には向いていないと感じる。
そんな訳で、彼女から手紙が送られてきた時は途方に暮れた。薄いきいろの花が描かれた可愛らしい便箋に、祖母に仕込まれた美しく力強い文字で率直に「私はあなたのことが好きです」などと書かれては太刀打ちできない。おまけに、鉛筆で書かれた文章の最後、彼女の名前が何かで擦ったようにぼけているのが悲して、その日はどうも涙が止まらなかった。
「付き合おう」と言い出したのも「結婚してください」とプロポーズしたのも彼女からで、結局「さようなら」を言い出したのも彼女の方が早かった。僕が情けなさに打ちひしがれながら、辛うじて「はい」と返事をするのをみて笑っていたから、彼女は僕に先手を打つのが大好きなのだろう。ある日、家に帰ったら玄関で「私は余命半年。今のうちにしておきたいことはある?」と聞かされた時も、彼女は僕が頭に疑問符をいっぱい浮かべて固まっているのをにやりと笑った。
「旅行に行きたい、ふたりで」
「きっとこれからもっと具合が悪くなる。動けなくなる前に行こう」
と、ふたりで念願のエジプへ旅立ったのはその二週間後だった。山ほどの写真とお土産を持って帰ってきて、荷物が片付かなくて困った。酔ったノリでハンハリーリ市場の商人から買った怪しげな壺は、今も家に飾られている。
それから、エジプトに熱を上げた彼女が居間を古代エジプトの宮殿のような空間にリフォームしたのも、一日中怪しげなダンスミュージックが流れているのも、晩ご飯がフールメダンメスばかりなのも、僕はたのしくて仕方なかった。
ちょうど半年後、彼女がもう息を引き取るという時にまでこの怪しげな音楽を彼女が聴きたがるので、僕は泣けて泣けて、泣きながら笑っていた。笑った僕を彼女は寝ぼけたような瞳で一瞬見つめて、笑いながら心臓の鼓動をやめた。
「馬鹿、いい加減にしろ、笑っちゃうだろ」
泣きながら笑って、また泣いて、ぐしゃぐしゃのどろどろになった気持ちのまま、彼女の手を握った。たった一人で彼女の死に向かう時、このエキゾチックな音楽がなかったら、きっとその場で首を吊ってた。間違いない。
そうして、何日か経って彼女から届いた例の手紙には、末尾に「お返事待ってます」と添えてあった。彼女の死に際して行わなければならない面倒なあれこれを終えて、いざ書こうと筆取ればこのザマだ。
手紙は何日も前から書き始めていたのに、僕は涙で袖を濡らすばかりでまだ手紙が出せない。これは予感だが、死ぬまでずっと彼女に手紙は出せないだろう。
三途の川の向こう側、君が僕を出迎えてくれた時、沢山お土産話を聞かせられたらいいだろうと思う。手紙は苦手な性分なので。