Re: 袖時雨を添へて、【小説練習】 ( No.149 )
日時: 2018/03/14 00:01
名前: フランベルジュ (ID: FtQFSgJU)

 手紙は何日も前から書き始めていた。何度も書き直したのだ。
 ピンク色の折り紙の裏に、4Bの鉛筆で書いた文字は、何度書き直したってフニャフニャと不格好で、汚くて。消しゴムをかけるたびに破いてしまって、その度に新しい折り紙を出した。去年の冬にお母さんが買ってくれた、100枚入り折り紙のピンク色だけ底を尽きて、仕方がないから金の折り紙と銀の折り紙を犠牲にして、マッキーやつくもにピンク色を分けて貰っていた。
 そんなこんなで3月14日、朝。散らかった勉強机の上に置いた、ピンクの折り紙を手に取って、おれはニヤリと笑う。大分マシな字が書けるようになったような気がする。バレンタインにさいとおに貰った手紙の返事。飽きるほど書き直した“おれもさいとおのことが好きです”の文面は、我ながら上出来だと思う。と、同時に凄く恥ずかしくなってきた。

 丁度1ヶ月前、放課後の廊下でさいとおに呼び止められたのを思い出す。白いマフラーに埋めた顔がりんごみたいに赤くて、それ以上に赤いランドセルの中から、小さな小包と、ハートのシールで封をした手紙を取り出して「おうちで読んでね」と一言だけ伝えると、走り去ってしまった。廊下は走っちゃ駄目だと、さいとおがおれに何度も注意していたくせに。家に帰って小包を開けたら、チョコレートが入っていた。学校にお菓子を持ってきちゃ駄目だと、さいとおが何度もおれに注意していたくせに。手紙を開いてみたら、小さくて丸い、さいとおの字。内容を読んで、おれは固まってしまった。

 “ずっと前からはやての事が大好きでした。”

 いよいよ訳がわからなかった。おれが意地悪するたびに「はやてなんて大ッキライ」とさいとおは何度も言っていたくせに。訳がわからなくて、どうしようもなく体が暑くって、心臓がうるさかった。そのことについてマッキーに相談したら「俺はチョコ6個貰った」とか言って自慢してくるし、つくもに相談したら「ぼくもハヤミさんに手紙貰ったけど、バカって書いてあった」とか言いながら泣き出すから、マッキーと一緒に爆笑していたっけ。

 しみじみしていると、1階からお母さんがおれを呼ぶ声が聞こえてきた。そういえばまだ朝ご飯も食べていなかった。
 慌ててパジャマを着替えて、手紙を黒いランドセルに詰め込んで、1階のリビングに向かう。
 朝食はスクランブルエッグの乗ったトーストだった。パンは食べづらいからあまり好きではない。でも、胃の中に入れてしまえば全て同じである。
 おれはトーストに齧りつき、牛乳で流し込むようにして胃に押し込んだ。
 いつも何か食べるときには、おれは凄い巨大な怪獣で、食べ物は逃げ惑う人間共だと想像している。成す術無く、おれに食い殺される食べ物達をイメージすると、例え嫌いな人参やピーマンが歯向かってこようとも、おれのほうが強いって思えるから、大体の物は食べられるのだ。だからおれは給食を一度も残したことはない。超強い。
 スクランブルエッグトーストを食い殺したおれは、ちゃっちゃかと他の準備も済ませると、ランドセルを背負ってリビングを飛び出した。

「っし! いってきまー!」
「颯! リコーダー忘れてるわよ!」

 お母さんがリビングの机に置かれた緑色の細長い袋を指差して、呼び止めてくる。

「べっ、別に忘れてねえし! うっせーなババア!」

 いや、忘れていたけど。でも、なんとなくそれを素直に認めてしまったら負けだと思った。
 リコーダーを取りに机に近寄ると、今起きたばかりなのか、お父さんが隣の部屋からにゅっと顔を出した。……鬼の形相で。

「コラァ颯ェ!! お母さんに向かってなんだ、その口の聞き方はッ!!」

 今日は晴天のはずなのに、家の中には雷が落ちる。お父さんは雷神なのだ。怒らせてはならない。おれは逃げるようにリコーダー袋を引っ掴んで、玄関に駆けていく。

「ごめんなさい! いってきまーッ!」

 勢い良くドアを開けて、外に飛び出した。まだ少しだけ外の空気は冷たい。それでも太陽の暖かさが春の訪れを感じさせる、清々しい朝だった。



「さいとお。学校終わったら、下駄箱の前な」
「え?」
「下駄箱の前! いいな!?」
「う、うん……」

 教室に入るなり、挨拶をするのも忘れてそう伝えた。あまり、さいとおの側にいたくなかったのだ。顔を見ていると、体中が熱くなるし、近くにいたら心臓の音を聞かれてしまいそうで。

 その日の授業は、何をしていたかよく覚えてない。いつもちゃんと聞く気のない先生の話は、いつも以上に頭に入って来なかった。でも給食の献立は覚えている。デザートにチョコプリンが出た。さいとおはいつも少食だから食べきれないとかで、おれにデザートをくれる。今日も何も言わずにぽん、と机の上にチョコプリンを置いてくれた。
 掃除の時間は、ぼーっとしすぎて、つくもが投げた雑巾が顔面にブチ当たったり、マッキーが投げた雑巾が顔面にブチ当たってきたりした。

「ハヤテ避けるの下手クソかよ。将来の夢、ヒーローだろ? そんなんじゃヒーローなんかなれないぞ」

 マッキーが雑巾を拾い上げながら言った。それには流石にムッとして、おれも言い返す。

「なれるし! 超なれるかんな!」
「雑巾避けられないくせに?」
「なれるもんはなれんだよ! 今日にでもな!」

 掃除が終わったら、帰りの会をして、そして帰るだけなのだ。その前に、さいとおに……。
 ふと、気がついたが、おれがやるのは、下駄箱の前に呼び出したさいとおに手紙を渡すだけじゃないか。それって、ヒーローか? と。何をすればヒーローなのかは分からないが、少なくとも自分の気持ちを紙に書かなきゃ伝えられないなんて、格好悪い気がする。それなら、どうするべきか?

「…………」

 おれは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。



 下駄箱の前では、既にさいとおが待っていた。他の女子より少し小柄なさいとおにはやたら大きく見える真っ赤なランドセルと、肩に少しつく程度まで伸ばされた色素の薄い髪の後ろ姿が見える。
 「さいとお」と、控えめに名前を呼ぶと、さいとおは少しだけ不安そうな顔で、ゆっくりと振り返る。既に頬が微かに染まっている。さいとおは無言で首を傾げておれを見つめた。

「さいとお、えっと……」

 背後に隠したままの両手には、あのピンクの折り紙が握り締められている。つくもに教えてもらってハート型に折った手紙。まだ帰らずにその辺で駄弁っている他の生徒の視線が気になって、渡すのを躊躇してしまう。いやきっと、戸惑う理由はそれだけじゃないのだ。
 何日も前から書き始めて、何度も書き直した手紙。たった一言程度の内容。でも、それを渡すことは、何かから逃げているみたいに思えた。なんだか格好悪くないか? おれは、格好良いおれを、さいとおに見てもらいたい。
 だから。
 ゆっくりと、後ろに回していた両手をさいとおにも見えるように前へ出す。さいとおが、おれの手に握られた折り紙をじっと見つめた。けど、おれはそれをさいとおに差し出しはしなかった。
 右手と左手の指先で摘んだハート型の折り紙を、それぞれ勢い良く上と下に引っ張る。真逆の方向から力を加えられた折り紙はベリベリと悲鳴を上げながら引き裂けて、容易く真っ二つになった。
 え、と。目を見開いたさいとおが短く声を上げた。構わず更に細かく破いて、千切って、手紙はただの細かい紙切れになった。
 それから、目の前で固まるさいとおの目をじっと見つめた。おれは深く息を吸い込む。――さいとおが好きなら、自分の言葉で言えよ、つばきはやて!

「おれっ……さいとおのことが好きだッッッ!」
「ひぇっ!?」

 胸の前で両手を合わせて、さいとおがちょっと後退る。周りの視線が集まる。めっちゃ見られてる。でも、構わず続ける。

「教科書忘れたら貸してくれるし、給食のデザートくれるし、おれが怪我したらバンソーコーくれるし! あと可愛い! だから好きだッ! さいとお!」
「えっ……え、ひぇぇ」

 放心していたさいとおの両目からボロボロと涙が溢れ出る。おれはぎょっとして周りを見回した。至るところから責めるような視線が突き刺してくる。今のやり取りでおれの何処が悪かったのだろうか。

「な、なんで泣くんだよ!? 今日は意地悪してないじゃんか!」

 さいとおは慌てて自分の袖で涙を拭うが、止まらないらしい。

「先生ー、ハヤテが斎藤さん泣かせましたー」
「ちょっ……マッキーチクるなよ!」

 まだ帰ってなかったのか。マッキーが近くにいた高橋先生に告げ口している様子が見える。まずい。おれが泣かせたみたいな流れになっている。

「うっわー、椿くん最低ー」
「椿、ありえないー」

 まだ帰ってなかった女子生徒からも酷い避難の嵐。やはりおれが悪かったのだろうか。でも泣かせる要素があっただろうか。

「さいとお……泣くなよ、ほ、ほら……」

 慌ててポケットから取り出した花柄のハンカチを差し出す。
 両目に涙を貯めたまま顔を上げたさいとおが、ハンカチを見て言う。

「それ、わたしのハンカチ」

 確かにそうだ。以前借りて、返してなかったものだ。

「先生ー、ハヤテが斎藤さん泣かせた上に前に借りたハンカチ借りパクしてたそうでーす」
「マッキーうるせぇな!」

 小さく笑って、さいとおはハンカチを受け取った。

「泣きだしちゃってごめんね……ビックリしちゃって。はやてが急にお手紙破きはじめるからふ、フラレちゃうのかと思って……。えっと、嬉しかった……」
「あ、それで泣いたのか。ごめんな」

 小さく首を振る。それから涙に濡れた顔を上げて、ニッコリと笑う。

「わたしもね、ハヤテのそういうとこが好き。大好きだよ」


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小説は何日も前から書き始めていました。この日に合わせて投稿するために温存しておりました。
このあと二人はお手手繋いで一緒に帰るのでしょう。小学生の手紙は折り紙の裏か、ちっちゃいメモ帳を手紙折したやつっていうイメージです。