Re: 【第5回】絢爛を添へて、【小説練習】 ( No.163 )
日時: 2018/04/06 09:57
名前: 羅知 (ID: t5PG.DHI)

「フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ」
 
 君がそう言ったのは小学校五年生の遠足で僕がお弁当のエビフライを食べようとした、その瞬間だった。やけに真面目な顔で僕のエビフライを凝視しているなと思ったら、唐突にそう言ったのだ。突然のことで、その言葉を理解できなかった僕は、まずそのまま掴んでいたエビフライを、口に放り込み、もぐもぐと二、三回、咀嚼した後、ごくりと飲み込んだ。そして言葉が脳味噌に辿り着いた次の瞬間には僕は大声を上げて笑った。何を可笑しなことを言っているんだと腹がよじれるほど笑った。食べたエビフライが腹から戻ってきそうな程だった。君は僕のそんな態度が不服なようで、むすっとした表情で抗議する。
 
 
「何がおかしいんだ」
「あははっ!何がって──全てだろ?お前急にどうしたんだ?」
 
 
 エビフライは食べ物で、フビライハンは歴史上の人物だ。あまりにも違う。違いすぎて何が違うのか言い尽くせないくらいに違う。
 
 
「思ったから、思ったことを口にしただけだよ……何でそんなに笑うのさ」
「それは勿論面白いから笑うのさ」
「僕は真面目に言ってるんだぞ!」
「君が真面目にしてるからって、僕が真面目にならなきゃいけない理由なんてないからね」
 
 
 僕がそう揶揄うと君はうぐぐと悔しそうに呻いた後、言葉にならない怒りをぶつけるみたいに自分の食べようとしていたミニトマトをぐちゅりと潰した。トマトからは赤い汁がみるみるうちに溢れていって、お弁当の箱はどんどんそれで満ちていった。見るも無惨な姿になったミニトマトをしゃくっとフォークで刺すと、君はひょいとそれを口の中にいれて苦虫を潰すような顔でそれを飲み込んだ。僕はその一連の流れを楽しい気持ちで見ていた。君を見ていると、僕はいつだって楽しい。君は昔からよく突拍子もないことを言う。そのどれもが僕の考えてることとは何処かズレていて、でもそんな僕の見えない世界を見ている君は素敵だった。
 
 単色の世界は、つまらない。
 色はあれば、あるほど面白いだろう。
 

「……僕は"おかしい"のかな」
 
 
 トマトの汁でぐちゃぐちゃになった弁当のおかずを食べながら君は、ぽつりとそう言った。まあ"おかしい"だろう。僕がそう返すと、君はほんの少しだけ悲しそうな顔をした。
 
 
「でもそれが君だよ。僕の好きな君だ」
「…………」
「君が変わってしまったら、"変わっている"のを止めてしまったら僕は悲しい。そうやって自分を殺して生きる君を僕は見たくないよ。ずっとずっと変わらないでいて。僕が何処かへ行っても君を見失わないように」
「……君は何処かへ行ってしまうの?」
「分からない。……でもずっと一緒にはいられないよ」
 
 
 まだ十年しか生きていないのだ。分からないことだらけだった。僕と君はいつか離ればなれになってしまうのかもしれない。僕はいつか君を忘れてしまうのかもしれない。将来のことを考えると不安になる。君のいない世界で僕が生きること。君のいない世界で息をすること。それは想像もつかないことだった。
 
 だけど、そんな世界はきっと泣きたくなるだろう。
 
 
「大丈夫、きっとずっと一緒だよ」
 
 
 君が僕を励ますように笑った。そうかな、そうだよ、そうだよね。何となくそう思えるような気がした。先生の呼ぶ声がして、僕は残っていたお弁当を急いで口に掻き込んだ。
 
 
 
「ずっと、一緒にいようね」
 
 
 ぐしゃぐしゃになったエビフライからは、青臭い匂いがしていた。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
『シネ!!』
『帰れ!!ゴミカス!!』
『学校来んな』
 
 
 机に書かれた罵詈雑言を君は唇を噛み締めながら見つめている。泣きそうになりながら、それでも堪えようとして、血が出る程に唇を噛んでいる。教室の誰もが君を無視していた。いないものだということにしていた。僕はそれを何も言えずに見つめていた。君が恨みがましそうにこちらを見る。助けてよ、辛いよ、何で僕がこんな目に合わなきゃいけないの。そう目が訴えていた。その目を見るのが辛くて、僕は君から目をそらした。
 
 
「うそつき」
「僕は変わらなかったのに、君は変わっちゃったんだね」
 
 
 君がそう言っているような気がした。教室の皆と同じように、僕は君を無視したのだ。
 
 
 
 
 
 それから程なくして、君は死んだ。
 そして、僕は、この学校を転校した。
 
 
 
 僕が、君を殺した。
 
 
 
 君の亡骸をここに残して、僕は逃げ出したのだった。
 
 
 
 
 中学二年生の、秋のことだった。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 僕は大人になった。
 あの日のことは今でも忘れない。
 君と過ごした日々を忘れたことなんて一度もなかった。
 
 
 
「約束守れなくて、ごめんね」
 
 
 
 ずっと一緒にいるって言ったのに。
 守れなくて、ごめんね。
 
 
 君のいない世界で僕はまだのうのうと生きている。大人になって案外君がいなくたって生きていけることを知った。大切なモノを亡くしても、人は生に固執してしまうことを思い知った。就職活動をする為に、都会に出た僕は独り暮らしをすることに決めた。まだ引っ越してきたばかりで、物は届いておらず、部屋がとても広く感じた。
 
 
「…………」
 
 
 物がなさすぎて、とにかく時間が余っているので、今のうちに就職先への履歴書を書いてしまおうと思った。
 
 
「…………」
 
 
 ペンを持つ。
 
 
 
「…………」
 
 
 
 時間が経った。
 
 
 
「…………」
 
 
 
 何も書けなかった。
 
 
 
 
 書けるはずがなかった。
 
 
 
 
 あの日、自分(きみ)を殺してしまった僕に、僕が語れる訳が、なかったのだった。
 
 
 
 
 
 ぼろぼろと涙が溢れて、履歴書がぐしゃぐしゃになっていく。
 
 
 
 
 
 大人になって向かい合った僕は、この何もない部屋みたいに空っぽで、すっからかんだった。
 
 
 
 
 
 僕は君がいなきゃ、駄目だったのに。
 
 
 
 
 

 死んだ君は、もう二度と帰ってこない。
 
 


*

*青春は一瞬で二度と帰ってこない。
*イマジナリーフレンドの話