「フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ」
「いきなりどうしたんだ?」
パソコンのマウスを鷲掴みにして妄言を吐いたタカシに、僕はどうしたものだろうと目を丸くした。
ここは我らが文芸部の部室。我らがとは言っても部員は僕とこのタカシしかいないんだけど。部室棟4階。割と眺めは良く、野球部がグラウンドで所狭しと駆け回ってるのが見える。女子テニス部員の汗に濡れたTシャツと短パン姿を目で追ってる時の出来事だった。
「いやさ、ほら聞きたくなって」
「どんな心境だよ」
僕達2人が放課後にダラダラと駄弁るのには大きすぎる部室。その端っこにかなり古い型のデスクトップのパソコンが所在無さげに置いてある。これは視聴覚室から勝手にパクってきたものだった。このパソコンで僕達は小説を書いてウェブ上にアップしたり、ユーチューブで適当な動画を見たり、時には18禁のサイトとかをヨダレを垂らしながら検索している。ほぼ帰宅部状態の僕らの文芸部だ。
「ほれ、マサちょっとこっち来いよ」
タカシがそう言ってパソコンのディスプレイの上から手だけ出して僕を呼ぶ。「なんだよ」と僕は窓から離れてタカシの方まで歩いて行く。折角テニス部の可愛い娘が頑張ってたのに。
「ほら、これ見てみ」
パソコンの画面をタカシは僕に示した。そこに映ってるのは、僕らが気まぐれに小説を投稿している小説カキコというサイトの見慣れたページ。
「どうした?お前の書いてるクソみたいな小説が賞でも取って頭おかしくなったの?」
「クソみたいって言うなし。大体今は大会の時期でも無えだろ。──ほら、添へてだよ添へて」
「あーなるほど」
添へてとは、サイト内のある個人が運営する小説練習用のスレッドである。不定期にお題が変わっていって、そのお題の一文から始まる短編を書くというものなんだけど。
「今回のお題さ、『フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ』なんだけどさ、マサなら何て書くよ?」
「うっわ難しいね」
僕はしばらく考える。フビライハンとエビフライの共通点とかあっただろうか?
「こんなんはどう?」
「おう、どんなんだ」
「モンゴル統一の旗を挙げるのがフビライハンで、油で揚げるのがエビフライ」
「面白くねえわ却下」
「なんでだよ」
僕は軽くタカシの肩を小突く。痛え痛えと大袈裟に彼は笑ってるけど、多分全く効いてない。こいつは実家が八百屋で、その手伝いをしてる内に文化部の癖に変に筋肉が付いてるのだ。実際僕の拳がジリジリと痛む。
「じゃあタカシならどうすんの?」
「そうだな、権力にまみれてるのがフビライハンで、タルタルソースにまみれてるのがエビフライって感じだな」
「お前も面白くねえじゃんか」
僕の言葉にタカシはカハハと乾いた声で笑った。やっぱり僕達は物書きにはあまり向いてないみたいだ。文章力だってまだまだ稚拙。そんなものだ。もともと僕は小説を読むのは好きだったけど国語の点数だって赤点ギリギリの低空飛行だ。タカシに関しては10点台。このスレッドに先に投稿してる人たちみたいに上手いこと書けたら良かったのに。
「うおっ、もう5時じゃん!帰らねえと!」
腕時計を見たタカシは驚いたような声を上げた。僕は首を傾げる。
「ん?まだ5時だぞ」
いつもは6時過ぎまでこの部室でダラダラ駄弁って、日が落ちる頃に2人で帰路に着くんだけど、どうしたのだろうか。
「今日さ、家族と一緒に外食に行く予定だったんだよ。お母がジンギスカンが好きでな」
「ジンギスカンか、美味しそうじゃん。じゃあ僕ももう帰るか」
「おっけおっけ、そうしようぜ」
言って、タカシはいそいそとディスプレイの右端の赤いバツまでマウスポインタを動かす。カチリとクリックの音。小説カキコの画面が消える。それからスタートを開いてから、パソコンをシャットダウンした。
「マサも何か良いの出来たら投稿しようぜ。俺も飯食いながら考えっからさ」
「うん、オーケー。どっちが上手いやつ書けるか勝負しよう」
「んじゃ帰んぜ」
タカシは床に置いてある学生カバンとリュックを掴んで立ち上がった。僕も彼に続いて、窓際に置いてる自分の荷物を持って部室を出た。
そしてその日の夜。
風呂上がりに携帯の電源をつけて、小説カキコの雑談掲示板を見たら、『絢爛を添へて、』の最終更新の欄に見慣れたハンドルネームを見つけた。無論、タカシのものだ。もう出来たのか、早いなと思ってスレッドを開く。
「ん?」
スレッドの1番下にタカシの文章を見つけた。1000文字ほどの短いSSたが、どこかに違和感。どこかがおかしい。そして気付いた。彼の文章の一文目はこうなっていた。
『チンギスハンとジンギスカンの違いを教えてくれ』
「改変しちゃダメだろ……」
僕はタカシのアホな顔を頭に思い浮かべた。