Re: 【第5回】絢爛を添へて、【小説練習】 ( No.171 )
日時: 2018/04/13 14:47
名前: 腐ったげっ歯類 (ID: D.pxqK62)

「フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ」
静かに、およそ疑問とは思えない言葉を綴った唇は更に難解な言葉を続けた。
「しかし、それを侮ってはいけないよ。君たち一人一人の思想は誰にも侵害されてはならないのだから、もっと尊大に、大仰に、自信を持つべきなのさ」
草臥れたスーツ姿の教師は微笑を浮かべてそう言い切ると、擦れかかった眼鏡を持ち上げる。ついでに白髪混じりの髪をかき揚げて、ゆっくりと教壇から降りた。
自信と言われても、はて、何に対しての自信なのか私にはさっぱり理解が出来なかった。そもそも、疑問を侮ると言う表現こそ、こちらの落ち度を臆面もなく認める事と同意義であり、そしてそんななおざりな生き方は私とは無縁である。一体、彼は何を伝えたいのだろうか。
フビライハン、エビフライ…。私はその両方を頭の中に描いて行く。方やモンゴル帝国の偉大な皇帝、しかし方やポピュラーな一般的な料理である。エビフライこそ私にとって深い馴染みはあれど、フビライハンともなるとその人となりすら知ることは余程の偉人愛好家で無い限り皆無ではないか。残念ながら、私にはそのような高尚な趣味の持ち合わせはなく、どちらかと言えば好ましいのはエビフライの方である。非常に。その両方の違いは筆舌につくしがたい程に明確であるのに、彼の物言いはあたかもそれらには違いは合ってないような物なのだと言っているように私には感ぜられたのだ。
だから、この初老の教師が一体何を私に伝えているのか。実の所、理解が及ばないばかりか、愚かなことに痴呆と言う言葉さえ、彼に投げ掛けそうになっていた。
「もう少し、紐解くとしよう。君は雲を、空に浮かぶ雲を眺めて、羊だ、などと考えたことはあるかい?即ちそれなのだ。なに、羊に限ったことではない、その誉れを決して損なってはならないと私は言いたいのだよ」
そこで、チャイムの音が彼の言葉を遮った。まだ何かを言いたいような朗らかな笑みだけを残して、初老の教師は素直にそれに従い教室を後にする。
私はふと、真っ新なノートを取り出し一本の線を書き下す。つらり、と引いた線は黒々しいばかりで品性の欠片もない拙い弧を描いたものだった。しかしこの線に込められる、遠く理解の及ばない理論を識らなければ、私はきっと彼の言葉を受け入れることはない、そんな気がしてならなかった。
正解のない疑問は更に私を苦しめ続けた。だがそれでも、教師の伝えたかった言葉はついぞ私の心には灯ることはなかった。