Re: 【第5回】絢爛を添へて、【小説練習】 ( No.172 )
日時: 2018/04/14 11:42
名前: 浅葱 游◆jRIrZoOLik (ID: BTbf0jIY)

「フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ」

 ファミレスでそう零していた、隣のボックス席に座る彼ら。可愛らしい姿をしていた。ひとり寂しく安っぽいコーヒーを啜っていた私には関係の無い子達だったが、愛らしいなと思ってしまう。あれは近所の中学生だろうか。見覚えのある制服に思えた。
 あの時代は自分達だけが全てだったなと、コンビニでタバコを買いながら感じる。楽しい事を気の合う仲間たちと好きなだけやれた。多少怒られることはあったとしても、次にどんなイタズラをしようかと話している時は、幸せだった。

 薄ら寒い路地を歩けば、路地裏へ続く細道の隙間に吐瀉物が落ちていたり、酒がこぼれた空き缶が落ちているのが目に付く。きれいな街を作りましょうと声高々に言うお偉いさん達は、人が集まる大通りにしか目が向いていない。この街の全てへの管理が行き届きさえすれば、よりよい街として生まれ変わる可能性だってある。
 先ほどコンビニで買ったタバコは、もう二本目に火をつけていた。暗い道にタバコの煙がくゆる。まだ未使用のタバコが入った小さな箱を捨てたとしたら、翌日には無くなっているのだろうか。運良くこの道を通った生活困窮者――その中でもとくに金のないホームレス――が、拾っていくのだろう。運が良いと下品な笑みを浮かべていそうだ。

 あの子達は無事に家に着いて、幸せそうに笑っているのかもしれないなぁ。若かったな、見た目も、考えていることも。フビライハンとエビフライの違いなんて、改めて考えるほど大した問題じゃないはずなのに、そうした答えの分かる問いも面白おかしく考えてしまっている。
 今の私にはできなくなってしまった。老いるって何だか狭苦しいのね。自分の言葉を取捨選択するようになってから、素直な気持ちや考えを伝えられなくなった。大人になれば好きな事をできて、今より自由になると私の親は言っていたし、今もたまに言う。間違っている訳ではないと思うけれど、その言葉が合っているとは思えなかった。

 側溝に吸い終わったタバコを隠し、タバコを吸いながら当てもなく歩く。仕事を辞めたいと思いながら働くことに疲れていた。私生活が脅かされる気持ち悪さを感じてから、タバコや酒に逃げる生活が続いている。今だってそうだ。やるべき事、やらなくてはいけない事、自分がすべき事が溜まりに溜まっている。
 そこから逃げていた。今だって、尻ポケットに入れた携帯が通知で震える。昔は誰かに必要とされることが嬉しかったけれど、今は億劫で、放っておいてほしいと思う。不自由さで雁字搦めになっている。また側溝にタバコを隠して、最後のタバコに火をつける。

 自宅近くの公園のブランコに座り、ゆらりと前後に揺れる。携帯には上司からのメールや、大切な人からのメッセージがたくさん来ていた。少し緩慢な動きをする指で、一つ一つ確認していく。上司からは矢張り怒っているような内容のメールが来ていた。普段はいい上司だけれど、たまにクソみてぇだなと思ってしまう人だ。今日はたまたま嫌いが振り切った日だった。
 最後の文に「無事なら連絡をしなさい」と一言あり、思わず笑みがもれた。明日は出勤するという旨の返信を済ませ、彼からのメッセージを開く。男らしいところが好きで付き合ったけれど、束縛癖や管理癖があるとは思わず、一方的に連絡を絶ってから数日間、毎日メッセージがきていた。

 既読はつけない。けれど、日に日に怒りと懺悔とが混ざりあったメッセージは、私を疲弊させるのには十分すぎた。タバコを深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。まだ丑三つ時には届かない時間帯。昼間とは違い静まった夜は、疲れた私を唯一癒してくれる。

「……重すぎでしょ」

 短くなったタバコを足で潰して、夜の空気をめいっぱい吸い込む。彼に伝えたい言葉なら、もう決まっていた。ただそれを打ち込むには、自分の覚悟も勇気もない。そのあとにどんな言葉が来るか、その予想だけで怖がっている。
 既読マークを付けてから、悶々とその返信をどうするか悩んでいる。彼は諦めて寝ているだろうか。寝ているなら、今返信をすることはやめるべきか。いっそもう返信なんていらないんじゃないか。小さな罪悪感の芽が出ても、見ない振りしていたせいで、こんなにも今、踏み出す一歩が怖い。もう一本タバコを吸ってから。そう決めて箱を漁るも、一本も残っていなかった。

「……あー。やるかぁ」

 どうせ黙っていても変わらない。それなら決めていた答えを伝えるために、彼を叩き起したっていいじゃないか。そう開き直ると人は早い。コールボタンを押して、彼が出るまで待つ。

『もしもし? ……由紀?』
「もしもし、浩平が起きててよかった。少し伝えたいことがあったから、それだけ言わせてね」

 程なくして出た彼に説明すると、間をあけて「分かった」と返事があった。申し訳なさを感じているのか、情けない声色をしている。

「昔だったら、それこそ中学生とかくらいの。その時に浩平と会っていたら、どんなに束縛されても平気だったと思うよ、私」

 薄く雲がかかる空を見て、今までの思い出を思い起こす。デートで手を繋ぐのも、待ち合わせで会うことも緊張してしまって、この人と一生を過ごしたいと思い続けてたあの日々。将来の話だってしていた、子供の数、住みたい場所。結婚式場だって、目星をつけていた。

「でも社会に出されて働き始めて、浩平とも会う時間が限られてさ。色んなことが嫌になっちゃったんだよね」
『それって』
「私ね」

 ああ、なんだか涙が出そうだ。浩平に抱きしめられて寝た夜。浩平と寝ぼけながら微睡んでいた休日の朝。そこには笑顔があったと思う。幸せだけが満ち溢れていた。
 ばいばい浩平。心の中で、ひと足早くお別れを告げる。可愛くない私だけれど、浩平の中に残る私がキレイでいられるうちに、いなくなりたかった。

「今日見た中学生の子達みたいに、何でもないような、簡単に答えが分かっちゃうような問いを、浩平と笑顔で話せる自信がないの。だからごめんね、もう二度と会わないから、……さようなら」

 言い切り、通話を終了する。浩平のアカウントをブロックし、カメラフォルダに残っていた浩平との日々を一つずつ消していく。心は少しだけ軽くなった。安心と、拠り所を拒絶した自分が恐ろしく、少しずつ目頭が熱くなる。
 溢れ出る涙で、携帯が使えない。さようなら、ごめんなさい。私が弱いばっかりに。けれどもう、私は浩平と笑えない。あの子達のように、くだらない答えを探すことなんて、もうできやしなかった。