「フビライハンとエビフライの違いを教えてくれ」
ビブリオバトルの火蓋は、その言葉で切って落とされた。固唾を飲んで見守る観衆。祈る部員。長いようで短い五分間。誰が一番、自分の好きな本を薦められるか――。
そんな大袈裟な前フリを挟み、テレビがCMへと移行する。
「いやー! 意外とスウジ取れるもんだねぇ!」
頭の禿げあがったおっさんが、小汚い笑みを浮かべて話していた。すごい醜い。脂ぎった肌はテカテカ光ってるし、歯はヤニで黄ばんでる。太った体型には似合わない、アルマーニのスーツのボタンが今にも弾け飛びそうだ。
こんな大人にはなりたくないなぁ。そう思いながら、「放送中」と赤く点灯したカメラのランプを見ていた。
さっき流れたのは、予選大会でのVTRだ。決勝はこの後、生放送でおこなわれる。隣にいるこのおっさんは、番組のスポンサーらしい。有名なメーカーのお偉いさんらしいけど、僕はそこまで興味がない。ただ、この人は汚い。そう感じた。
「お! 君、これから決勝戦でプレゼンするの? 楽しみにしてるからな!」
ほら、心にも思ってないことしか言わない。あんたが気にしてるのは視聴率とCMの宣伝効果と、プレゼンターに就任したアイドルグループだけなのは知ってるし。たまたま僕が単行本を手にしていなかったら、目にすら入らないんだろうな。
大きく息を吐き、目を閉じてプレゼンのシミュレーションを始める。この本は、最近発売されて話題なわけでも、有名な作家が書いたものでも、ベストセラーとなった本でもない。本屋の単行本コーナーで表紙が見えるように置かれていたのでもなく、題名が面白そうだったから買ったら、面白かっただけだ。でも、僕にとっては初めて自分の金で買った本でもあり、たとえ現在は棚に並んでいなくても大事な本だった。勝つのではなく、本当に薦めたい本を紹介する。僕はこの決勝大会で、敢えて、原点に立ち返った戦いがしたかった。
最近爆発的な人気を生み、電子書籍化が進みつつあった出版業界に歯止めをかけたのが、このビブリオバトルだ。元々、創作好きな人とか読書好きの人たちが仲間内で遊んでいたものを、高校の文芸部の有志が集い、学校対抗のイベントにしたところPTAに大ウケした。各学校で奨励され、あっという間に全国区の大会となり、文芸部の学内地位もかなり押し上げた企画に成長。
そこに目を付けたのが、この番組のプロデューサーだ。全国大会の予選から決勝までをテレビ放送し、決勝戦は生放送。話題のアイドルMysherryをイメージソングで起用し、知名度も国民レベルへ。各所で話題を集め、ビブリオバトルで登場した本はたちまち重版。書店から忽然とその棚だけ姿を消す現象を巻き起こしている。
正直、このイベントが企画された四年前は、ここまで大ごとになると思っていなかった。近くの公立や私立関係なく、部誌の交換以外で関われないか、という軽い感覚で姉たちが始めたものだったからだ。僕が高校に入学して企画が有名になるにつれ、本当に勧めたい本より、勝てる本を選ぶ傾向は強くなり、ここ最近は勝ちやすいジャンル、作家が確立されつつある。
だから尚更、自分の一番大事な本で勝ってみたかった。高校三年生の夏、引退の時はこの本を、どんなに小さな規模の大会でもプレゼンすると決めていた。図らずして、一番大きな大会で、テレビで生中継、という豪華なおまけがついてきたのには笑ってしまったが、最高の舞台だと思う。
勝つことが当たり前だった予選と異なり、程よい緊張感が全身を帯びた。指の先にまで走る焦燥と高揚。相反する感情が背筋を舐め、ブルっと身体が震える。
――CMが流れ終わった。
「ではここで改めて、ビブリオバトルのルール説明をしたいと思います。今から、それぞれの高校の代表一人が五分間のプレゼンテーションを行います。その内容は、一冊の本の紹介。五分間の中で、その本の魅力や自分の好きなシーン、セリフなど、好きに語ってもらいます。本は単行本、文庫本、絵本など、出版されている本であればジャンルは問いません。ただし、雑誌やネット小説は除きます。それぞれのプレゼンテーション終了後、今回スタジオにいる審査員十五名により、どちらが紹介した本がより読みたいか投票していただきます」
「一冊の本のプレゼンをして、より多くの人に、その本を読みたいと思わせた方が勝ち、ということですね!」
「その通りです。通常、審査員は七名ですが、今回はゲスト審査員としてMysherry五人、芸人相撲部三人の八名を合わせて十五名という特別ルールになっています」
進行役のアナウンサーがフリップを手元に出して説明する。結構ややこしいルールだと思うんだけど、大丈夫なのだろうか。
「それでは今回対決していただく、二校の選手たちを紹介していきます」
知の祭典にふさわしく、露出は少ないながらも煌びやかな衣装をまとった女子がこちらに来た。派手、というとりは上品かつ繊細。そんな印象を与える人だった。
「Mysherryの守谷です」
マイクが拾わない、でも目の前にいる僕の耳には届く大きさの声で、そっと名乗ってくれた。わざわざ名乗らなくても、知っているのに。
「はい、それではお聞きしたいと思います。清和(せいわ)高校文芸部部長、佐藤くんです。今回の決勝戦の意気込みを教えてください」
「……勝つことより自分の本当に勧めたい本を選びました。もちろんその先に多くの観客が読みたいと感じてくれることは望んでいますが、誰か一人の心に刺さるだけで良い、それを最優先して挑みたいと思います」
スタジオのライト、観客の視線、カメラ。今、この場所の中心に立っていたのは紛れもなく僕だった。何を言おうか考えてあったのに、全部吹っ飛んで、鼓動が速くなった。拍動が胸の中で暴れている。テレビに映るというだけで、普段の大会ではありえない、何倍ものプレッシャーを味わっている。自分の一挙一動に誰もが注目しているのに、彼女たちはそれが日常であるように、笑顔で話していた。
――彼女は、今なんと返したのだろう? 自分が話すことで精一杯だった僕は、守谷静穂が返答した言葉全てを聞き流していた。
ふと意識を戻した時には、煌びやかな衣装が背中を向けていた。番組のフロアディレクターが、控え場所はこっちだと、急かすように手招きしている。
「ねえなんでインタビュアーが守谷なの? 星野ちゃんにしろって言わなかったっけ?」
「いや……番組としてはインテリキャラで売ってる守谷さんの方が、映りが良くて……星野さんはキャラじゃないというか……」
「はぁー? 金出してるの星野ちゃんが映ること前提なんだけど? 今からスポンサー契約白紙にしてもいいんだよ?」
そんな会話を耳に挟んだ。星野さんのガチオタは民度が低いという噂を聞いたことはあったが、それは本当のことらしい。こんなおっさんに笑顔で握手するのも、精神にくるんだろうな。
「はい、次に文学学院高校の園田くんにお聞きします。今回の意気込みを教えてください」
「しっかりとしたプレゼンで、本の魅力をアピールできればと思います」
「楽しみにしています。頑張ってください」
眼鏡をかけた色白の男子生徒が、笑顔で受け答えていた。これが、僕の対戦相手である。持ち前の頭の良さで分析した作品を、的確なスライドと論述が織りなす方程式へと導く。もちろん、その先に待っているのは勝利。彼は勝てる作品しか選ばないし、その勝ち方を知っている。確かここ一年の成績は、負けなし。今回も勝ちにこだわってくることは、予想できていた。
「それでは、大変長らくお待たせいたしました。これより、全国高校生ビブリオバトル決勝戦を開始します。先攻後攻は、事前のくじにより決定されており、先攻が園田くん、後攻が佐藤くんとなっています。それでは先攻の園田くん、準備ができたら教えてください」
一瞬で雰囲気が変わった。緩んでいた糸を、誰かがピンと伸ばしたようだった。今、このスタジオには園田がスライドを準備するために操作する、パソコンの稼働音しか聞こえない。騒いでいたスポンサーも、小声で話していた雛段芸人も、豪華な照明でさえも、黙っていた。自分の呼吸音が周りに響いていないかと息を潜め、始まりの瞬間を待つ。手指にはしる震えは甘美だった。許されたものにだけ与えられるプレッシャー。上の大会に行けば行くほど、ますます甘く、蠱惑的に、失敗しろと誘ってくる。極限まで張りつめた静寂が生み出す、挑戦者への問いかけなのかもしれない。
お前はこの煌びやかな場に、相応しいのか?
「できました。始めてよろしいでしょうか」
「では、開始いたします。五分間のプレゼンテーションを始めてください」
スタジオの真ん中に置かれた電光掲示板が、カウントダウンを開始した。
「自分が今回、紹介したい本はこちらの『リグレット・スタート』です。今年の三月に発売され、話題となったことから記憶に新しいでしょう。『虚構』で日本ミステリー大賞を受賞した作家の描く、異世界ファンタジーのお話です。ミステリー作家が全くジャンルの違うファンタジーを書いたとき、何が生まれるのでしょうか?……」
彼のプレゼンを頭から追い出すべく、これから話す内容を頭の中でもう一度反芻する。題名、あらすじ、アピールポイント、世界観、キャラクター、エピソードトーク。基本的な構成通りに語るならその流れ。でも初めて出会ったときの感動と、救いをどうにかして観客に届けたい。その想いで書きあげた最後の台本は流れを全部無視した。最近は彼のようにソフトでスライドショーを作成している人が多いが、友達に薦めるように、全て言葉で語ろうと思っていた。
ブーと大きな電子音をたてて、カウントダウンが終了する。五分間は話すと長いが、待つにはあまりにも短い。プレッシャーが僕を舐めているのが分かる。
震える足で、スタジオの真ん中に設置された段へと登る。カメラが一斉に僕を見る。ライトがすべて僕を照らす。
生放送の今、僕だけに注目が集まっている。スタジオも、テレビ越しも、僕の一挙一動を見ている。
「……準備はありません。いつでも始められます」
園田が驚いた顔を見せたのが、視界の端に映った。でも、もう関係ない。僕は、僕が言いたいことを言うだけだ。
「では、開始いたします。五分間のプレゼンテーションを始めてください」
大丈夫、緊張になんか、呑まれない。
「僕が今回紹介するのは『移ろう花は、徒然に。』という短編集です。きっとみなさん、この本がどんな本なのか、ご存じないでしょう。なにせ、現在は書店で取り扱ってません。運よく、在庫があれば取り寄せできるでしょう。有名な賞にノミネートされたことも、ベストセラーになったこともありません。それでも、この本を薦めたいと思いました。なぜなら、この本と出会ったからこそ、この場所に僕が立っていられるからです」
いったん言葉を切った。二十秒。少し早口で喋っている。
「この本と出会ったのは、高校一年の夏でした。当時僕はいじめを受けていて、毎日、本を読むことが楽しみだったのに、それすら苦痛になっていました。何をしても楽しくない。どこにいても息苦しい。生きているだけで、どうしてこんなに辛いんだろう。そう思いながら過ごしていました。あの日は、とてもよく晴れた休日でした。行く当てもなく、ただ息苦しくて、街をふらふらと歩いて、たどり着いたのが書店でした」
今でも鮮明に思い出せる。考えるだけで胃が痛くなる。でも、今は語らなくてはいけない。五十三秒。
「黒い背表紙に印刷された題名。それは、暗い色のグラデーションにホログラムの加工がされた装丁でした。どうして惹かれたのかは分かりません。でも絶望していた僕にとって、それは美しく、心惹かれるものでした。久々に、面白そうな本を見つけたというワクワク感を味わった気がしました。ずっと、忘れていた感覚です。単行本で、値段は一二〇〇円。当時はお金がなくて、きっと違う時に見つけていたら買っていなかったでしょう。でも、あの時は不思議と即決でした。気がついたらお会計が終わっていて、袋片手にまた街をさまよって、家に帰って、本を開きました」
一分三十ニ秒。練習通りに言えている。
「どれも、人の感情を綴った物語ばかりでした。人の心に棲みつく仄暗い感情を、繊細に描写した世界観にあっという間に呑まれました。そして、痛みを抱えた語り手に共感したんです。あぁ、僕と同じだって。作者は僕のことを見ていたのだろうかって。どうしようもなく、吐き出せもしない胸の痛みを、今すぐに無理に治そうとして余計に傷つかなくてもいい。もっと楽にしていいんだって思ったんです。登場人物たちが必ず救われるわけでもありません。ただ、彼らの悲痛な心の痛みと叫び、想いが伝わってきます。かと思えば、揺れる恋心が綴られていたり、幻想的な神話の世界が描かれていたり、時折、ふと明るい感情に気付かせてくれるようなお話も収録されています。誰もが心に抱える暗い部分を浮き彫りにして物語を描くから、きっと人は選ぶけど支持する人も多いのでは。この本が全然知られていないから、読まれる機会が少ないだけで、もっと評価されていい作品だと思います」
まっすぐ前を見つめて、語りかける。全員に届く必要はない。僕と同じように、心に闇を抱えた人に届けばいいんだ。三分五秒。
「こう聞くと、病んでいる人が楽しめる作品なのかな、と感じる方も多いと思います。ですが、純粋に作者の描く世界観を楽しみたいという方にも強く薦めます。物語は心情描写と情景描写が中心の一人称で構成されたものが殆どで、するりと物語の中に落ちていく感覚が味わえます。まぁ正直、この本がどれだけ多くの方に刺さるかは、僕も分かりません。でも、ビブリオバトルというのは本来、自分が好きな本を人に薦めるという目的で始められたものです。最後の大会ぐらい、本当に自分が誰かに読んでほしい、薦めたい本を紹介してもいいかな、と考え、勝てる本は選びませんでした」
三分四十秒。もうすぐ終わりだ。
「『花。それは煌めく感情の物語。』この本はそんな扉言葉で始まっています。読み終えた後に、もう一度、その言葉の意味を考えてみてください。これだけじゃなく、短編それぞれの冒頭一行には、作者の考えが詰まっています。読んだ後に、作者が何を考えてこの物語を描いたのか。彼はそれを考えることを追想像と呼んでいるそうです。どうか、この本が誰かの心に刺さりますように。以上で、僕の紹介したい本『移ろう花は、徒然に。』のプレゼンテーションを終わります。ありがとうございました」
一歩下がり、深々と礼をした。残り時間はまだ四十秒近く残っていた。いつもだったらまだ何か言えることはないかと、言葉を探すだろう。でも、この本はもうこれで良かった。言いたいこと、伝えたいことは全部言い終えたのだから。
相変わらずスタジオは静寂に包まれていた。豪華絢爛、というよりは厳かな煌びやかさだった。誰もが待っている。この対決の勝者はどちらなのかと。
「お二人ともありがとうございました。それではCMのあとに、結果発表と講評に移りたいと思います」
その言葉で緊張が一気にほどかれた。スタジオの中にフワッと柔らかな空気が流れ込み、張りつめた空気があっという間に緩むのを肌で感じていた。ふーっと大きく深呼吸をする。晴れやかな気分だった。勝敗とか最早どうでもいいんだなって感じている自分に少し驚きを覚えつつ、部員たちがいるスペースへ戻った。
「外いってくるわ」
「結果発表これからだよね? いなくちゃいけないんじゃないの?」
「知らねーよ。僕がいてもいなくても結果は変わらないんだしさ。まぁ人が探し回ってたら連絡して。戻るから」
ごちゃごちゃ騒ぐ副部長を置いて、スタジオから出る。そのまま非常階段の扉を開けて、外の空気に触れた。不気味なほど深い青空が見えた。ほんのり憂鬱を香らせる青だった。でも、それを跳ねのけるほど僕の心は軽やかだった。ポケットに入れたスマホが振動していることとか、大会はまだ終わっていないこととか、生放送は収録中だとか、何もかもがどうでもよかった。
これから、何をしようか。少なくとも準優勝の景品で図書カード一万円分がもらえるはずだし、目についた本を片っ端から買ってみようかな。装丁だけみて買ってみるのも楽しいかもしれない。園田が薦めてた本もまだ結局読めていないから読みたいけど、それは借りればいいかな、とか終わった後のことばかりずっと考えていた。
ふと視線を奥にした。向かいのビルの大きなモニターが、ちょうどあの番組を放送している。もう結果発表は終わって、審査員の講評に移っているようだ。五分ほどしか、まだ時間は経っていなかったらしい。やっぱり、プレゼンの五分間って長いんだなと思った。話しているとあっという間に終わるけど。
「そうですね、佐藤くんの言葉を聞いて、世の中にはまだ私の知らない物語がたくさん眠っているのだなと、改めて思いました。たくさんの方と関わらせていただいていますが、私の言葉で誰かが不快に思っていないか、傷ついていないか、不安に押しつぶされそうになることもあります。そういった気持ちは吐き出せず、ため込むうちにある日突然プツンと切れてしまう。物語というのは、一時的にそんな暗い感情を忘れるために浸る世界であると、私は考えています。敢えて、暗い物語に救いを求める、という発想は少なからず感じていたことで、この本にはそれに近いものがあるのかなと、興味を惹かれました。ぜひ、読ませていただきたいです」
守谷さんだ。車の通行音や人の話し声、都会のノイズで溢れかえった空間で唯一クリアに聞こえてきた声だった。誰かに向かって話すことを意識している人の声は、聞き取りやすいと聞いたことがある。
良かった。僕の言葉は、薦めたかった本は、誰か一人には届いたらしい。
「最後になりますが、改めて、優勝おめでとうございます」
――図書カードは五万円分もらえるようだ。
*
なぜか自創作を作品内で宣伝するという鬼畜構成になりました。内容を半分ぐらい捏造してます。ごめんなさい。
なんで宣伝しやがってんだこの野郎という意見は運営に確認済みなのでしないでくれよな。
執筆にあたり、三森電池様のキャラクターをお借りしました。こちらも本人公認なので(ry
普段より砕けた言葉選びを意識しました。そのぐらいかなー。ではこの辺りで。