Re: 添へて、【小説練習】 ( No.213 )
日時: 2018/06/11 17:33
名前: 神瀬 参 (ID: A2xj5MuI)

 名前も知らないのに、私達は夫婦になった。

「こんなに急いた結婚ってあるんですね」
「そう、ですね」

 ぎこちない敬語の応酬。もしこの光景を第三者が見ていたなら二人を夫婦だとはつゆほども思わないだろうが、道路上を歩くのは私と彼だけで、車もバイクも不気味なほど全く通らない。代わりに、じっとりとした空気とビル群、それに重そうな雲が私達を見下すように取り囲んでいる。

 なんとなく、ぺトリコールという言葉を思い出した。雨を予感させる匂いとは今嗅いでいるこんな感じなのだろうか。エモーショナルなイメージを持っていたのに、それに反して少しかび臭いような気がする。雨が降りそうですねと声をかけようとしたら、一歩先に相手が息を吸う音が聞こえたので私は慌てて口を閉じた。

「すいません、いきなりこんな……」
「いいえ、いいんです。でも少し驚きました。初対面でプロポーズなんて」
「そ、そうですよね」

 すいません、ともう一度男性は言った。八の字に垂れた眉が目尻にひっつきそうだ。何度も謝る気弱そうな横顔を見ていると、本当にさっきプロポーズしてきた人だろうかと疑わしくなる。もっとも自分の記憶ははっきりしているし、状況を見てこの男性以外には有り得ないことも分かっているのだけれど。

 最初の言葉はたしか、こうだ。

「僕とこれからずっと一緒にいてくれませんか」

 私を見つけて一瞬固まったと思ったらものすごい速さでこちらに寄ってきて、そこから間髪入れずにこの一言。私は当然驚いていたのだけど、その理由は彼の言葉以外にもひとつあった。

 まさか、この町で人と会うなんて。

 少し前、私の住むK町でとある事件が起きた。町中の人々が私を残して一斉に消えてしまったのだ。まず起きると同居している母がいない。家を出ると、いつもは庭の掃除をしているお隣さんがいない。出社すると、早く来ているはずのマツダさんとハヤシさんがいない。これはおかしいと思って外に出ても、人とすれ違うことがない。加えてこの町は島のような形態で、内地とを繋ぐ電車のレールは海上を浮く形で設置されている。駅に行っても電車は動かないので遠くを確認することも出来ない。

 閉じ込められた、と直感的にそう思った。前夜にテレビ番組で聞いた言葉のせいだろうか。

『選ばれた人間だけが新しい次元に行ける』

 消えた人々は選ばれて新次元への扉を開けたのかしら。ぼんやり考えた後で、笑いが込み上げてきた。影響されやすいな、私。

 家に戻ってから、窮屈なスーツを脱いだ。これからどうしようか考えながらテレビのリモコンを操作してみると、電源はつくものの画面には何も映らなかった。もしかしたら、世界中でこの町のような現象が起きているのかもしれない。テレビ局に誰もいないのなら、番組が流れていなくて当たり前だ。

 三日目から水道の供給が止まった。うちは自家発電で電力を賄っていたが、外を見るとコンビニなどの明かりは消えてしまっていたので電力の供給も同じく止まったのだろう。それから、水はコンビニの棚に陳列されているものを失敬して使い始めた。人々が急に戻ってきたら窃盗罪で捕まるのかしらと少し怖かったが、結局は精算をせずに店から持ち出した。

 そうやって暫く独りの生活をしていたが、五日もすると流石に寂しくなってきて、外に出る頻度が増えた。もしかしたら私以外にもまだ人がいるかもしれない。その想像を現実にするためだけの外出だった。

 何日も独りで歩き回ったが、人と会うことはおろか、野良犬猫や鳥までも見つけることすら出来ずにいた。外に出ると、ああ自分は独りなのだと思い知らされる。何故私だけここに存在しているのだろうか。私は何者なのだろうか。そんな自問をぐるぐる繰り返すのは気が狂いそうだった。そして、今日見つけられなかったら諦めよう、終わりにしようと決めた矢先に、件の男性と出会ったという訳だ。

「あの、すいません。どうかしましたか」

 彼が細い声で言った。気づかないうちに困り顔をじっと見つめてしまっていたようだった。焦ってすいませんとしか言えない私に彼が何故か謝り返して、それに私がまた謝って……を何度か繰り返しているうちに、二人とも可笑しくなって同時に吹き出した。

「なんだか僕達、波長が似てるみたいですね」
「ですねー」

 暫く歩いていると右手にコンビニが見えた。私が水を貰った所とは別の会社だった。三色でデザインされた看板が元気なさげに立っていて、駐車場には白いバンと電動自転車が一台ずつ停まっている。彼らの持ち主はコンビニ帰りにそのままユートピアへ行ったのだろうか。悲しそうに佇む二台は、私たちと同じく取り残された側のもの達だ。

「何か買いませんか? 」

 男性が看板を指して言った。私はそうですねと返しながら、爪が少し伸びているなあとかくだらないことを考えていた。自分以外の手を見るのは、とてつもなく久しぶりな気がした。

 もはや手動と化したドアを過ぎると、薄暗い店内でレジロボットだけが作動しているのが見える。私達はその前を通り過ぎて、壁際のドリンクコーナーを物色した。

 私は少し悩んでから、青リンゴサワーを手に取った。水彩っぽいタッチで描かれた女性向けのパッケージが可愛らしい。彼はというと別のメーカーのチューハイを手にしていて、そのぼこぼこしたフォルムの缶にはやっぱり青リンゴが描かれていた。

 レジロボットの前に缶を並べると、カメラがバーコードを認識して金額を算出する。

「1056円です。カードもしくは携帯端末をタッチしてください。1056円です。カードもしくは……」

 彼はおもむろにズボンのポケットからポーチのようなものを取り出し、中身をチャリンチャリンとロボの前に置いた。

「あら、硬貨? 」
「うん。こういうの持ち歩くの結構好きで……今誰もいないから使えるかなーと」

 今はどこの店でもほとんどカードや端末決済で、現物のお金を見るのは久しぶりだった。子供の頃に戻ったような感覚を覚える。
 カードをタッチしてもらえないロボはずっと同じ文言を繰り返していた。私達は硬貨と引き換えにチューハイを持つと、ロボを無視して店を出た。これからの目的地は私の家だ。

*

 家に着いてから、テーブルに向かい合って座り缶をそれぞれの前に置いた。彼が座ったのは、かつて私の母が座っていた席だ。
 彼がプルタブをかしゃりと引いて、缶をこちらに傾ける仕草をしたので、私も同じように封を開けて乾杯をした。サワーはぬるかったけれど、喉を通り過ぎる感覚は心地よかった。若い果実の味がする。

 彼との結婚は楽だった。市役所に婚姻届を出す必要も無いし、口座等の名義変更もしなくていい。ただ二人だけの、しかも口頭の約束で夫婦が成立してしまうのがロマンチックだ。ただ、書類が必要ないことで生じる問題があった。私は、彼の苗字を知らない。

「あの、あなた」
「うん? 」
「苗字を教えて」
「僕の苗字は……あ、ええと、カヤシマ。名前はユウタです」
「私はハラダ アカリです」
「アカリさん、か……えっと、いい名前だね」

 ユウタさんが少し照れたような顔をしているので、私もつられて恥ずかしいようなくすぐったいような気持ちになった。サワーをまた一口喉に通す。

「私ね、結婚したら旦那さんの苗字名乗るのが夢だったんですよ。昔はそれが当たり前だったみたいだけど」
「そうなんだ。そしたら、カヤシマ アカリさんだね」

 ユウタさんの口から出た『カヤシマ アカリ』という言葉がとてもしっくり来て驚いた。まるで昔々からカヤシマという姓だったような気さえしてくる。こんな感覚的なことで運命を感じられる私は単純だなと思った。幸せ者だなとも思った。

 どれくらいの時間が経ったのかというとき、何ものかが屋根をまばらに叩き始めた。ぱち、ぱちぱち。音はどんどん多くなり大きくなり、あっという間もなくザーというノイズめいたものに変わった。

「雨だ」

 窓の外はすっかり夜の色になってしまって、しかし月明かりは無く室内灯だけが二人の目を助けている。

「まるで世界に二人だけみたいだ」

 ユウタさんが呟いた。私は頷いた。雨の音は依然鳴り続いていて、私達はいずれ眠るのだろうと思った。






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