笹の葉から垂れ下がる細長い紙面を見て、私は思う。
この短冊の主の事を、もっと知りたいと。
それは、何処にでもいそうな少女だった。歳は十代といったところか。みすぼらしく粗末な服。手入れの行き届いていない黒い髪。その姿は到底、美しさのようなものとは結び付かない。
だが、一度彼女に触れれば分かる。宝石の様に澄み切った輝きを持つ精神と、赤子のように無垢な笑みに、気が付けば私は魅了されていたのだ。
彼女に問うた。何故ここに? 彼女は答える。お家が無いの。私が問うた。親はどうした? 私に答える。お星様よ。
ほんの僅かな会話しか経ていないにも関わらず、彼女の環境が不当に不遇、強烈に劣悪である事は、初めてこの場で出会った私にすら容易に把握出来ることであった。
私は言った。君は幸せか? 彼女に言われた。幸せよ。彼女は言われた。本当に? 私は言われた。本当よ。
彼女の言う幸せとは、なんだろうか。彼女は日々の食物にすら困っていると言っていた。衣食住の内の二つは既に削がれ、一つも風の前の塵に同じだと言うのに、それでも尚、彼女は言い張るだ。自分は幸せであると。
星々の煌めく空の下。コンクリートに埋め尽くされた街の中。作り物の物の笹の元。願いを込めた短冊達に内包された世界に、彼女はただただ微笑んで膝を抱える。
その姿は何よりも汚れているというのに、その中は誰よりも清くいる。そんな彼女の在り方に、私は美しき汚さを感じた。
それから彼女と幾度と言葉を交わし、合意を得た上で、彼女を引き取った。独占欲と崇拝心に掻き乱された選択だが、間違いでは無い事は明白だった。
彼女との日々の中、私は幾度となく語り掛けた。そして彼女もまた、幾度となく答えた。彼女の在り方は、以前として変わらない。どんな日々であろうとも、毎日を幸せと過ごす。彼女は私にとって、余りにも輝かしい存在だった。
十二ヶ月と二十四日という、長くもあり短くもある月日が過ぎ去った頃に、彼女は私の元から消えて行った。めでたい事だ。彼女にも生涯のパートナーが見つかったのだ。私の友人で義に厚く信頼の置ける、富豪の男だった。恐らく彼女が生活において、困惑する事は何一つ無いだろう。
その日は普段は手も出せそうにない高価な酒と肉で祝ったものだ。彼女の居ない部屋で、一人彼女の幸せと平穏を願った。そして自分の友人に嫉妬しつつも、これからの二人の幸福に想像を馳せた。
居た筈のものが欠けた、長い長い一週間を過ごした後、私は再びあの場所へと赴いた。彼女と出会った、あの場所で。
そして、彼女はそこに居た。やはり変わらぬ美しさのまま、彼女はそこで微笑んでいる。
私が問うた。幸せか? 彼女は言わない。何も言わない。彼女に問うた。本当に? 私に言わない。何も言わない。
冷たい彼女の手の平の中、そこに入った一枚の短冊。謝罪をしつつも引き摺り出す。
そこに綴られた、一年前と同じ願い。
彼女はきっと言うのだろう。今でも私は幸せよ。と。彼女はきっと笑うのだろう。私はずっと幸せよ。と。
彼女に非があったのか。それとも私の友人が外道畜生の類だったのかは知る由もない。ただ、そこには一つの結果が転がっているに過ぎない。
その体をゆっくりと持ち上げて、そのまま胸に収め込む。一瞬であろうとも、その顔が見たくなかった。このような結末であろうとも、幸せそうに微笑む彼女の顔を。
私は願う。彼女の願いが、絶対に叶わない事を。この願いは、叶ってしまってはいけないのだ。清く美しきこの彼女に、この終末を与えた世界には、この願いは許されないのだ。
『世界中の人が、幸せでありますように』
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慣れないジャンルに挑戦しました、波坂です。久々の投稿なので緊張しました。