Re: 第8回 一匙の冀望を添へて、【小説練習】 ( No.271 )
日時: 2018/08/15 23:30
名前: N◆ShcghXvQB6 (ID: KYD.GhRk)

初投稿です(大嘘)
久々に。




 平成最後の夏、僕こと矢野碧(やの あおい)は、親友の中山水樹(なかやま みずき)を殺した。
 とあるネット小説の一文なのですが、そうですね。この後に続く殺人描写というのが、物凄く浅く、血の生臭さがないんです。言うなればチープの一言でした。美学もなく、ただただ殺しただけです。サイコキラーを演ずる訳でもなく、動機も些事。本当に衝動的に、ですね。まるで私のようじゃないですか。


 今、私は嘗て犯した罪の残滓を眺めております。
 あの日は強く、激しい雨が降っていて、それが朝から晩まで続いていました。晴れていたのなら、私達、人間という生き物は蚊に刺され、次の朝には痒さに苦しめられるものでしょう。
 一九九八年八月十五日。午前九時頃、私は幼く、浅はかな子供でして……そう、矢野碧のような愚かな子供でした。私は衝動的に殺人を犯したのです。かれは怒りに身を任せ、石を拾った私に頭を殴り付けられ、拉げた頭からは白骨が顔を覗かせていました。殺してしまってから、私は元々の弱い気を取り戻してしまいまして、思わず取り乱してしまったのです。なんて事をしてしまったんだ、この死体をどうしたら良いんだ、警察に行った方が良いか、行かない方が良いか。そうやって悩んでいた頃、かれの身体がびくり、と跳ね上がったと記憶しております。〆たばかりの魚のようにです。それに伴って、短く悲鳴を上げる私がそこに居た事もしっかりと覚えております。事を委細、語ったなら際限がないというのも正直なところではあります。
 時刻は既に正午へ至ろうとしていた頃、雨は石を穿つところか岩すら貫き通しかねなくなってしまい、暗く淀んだ空は呻き声を上げ、稲光を一筋、二筋と輝かせておりました。相変わらず私はどうするべきか、と頭を悩ませていたのですが、悪魔が耳元で囁くのです。咎は隠せ、罪は隠し通せると。早くその血と肉を隠してしまえと、笑いながら背を押すのです。

 同日十五時頃、私は雨に殴り付けられながら、かれの死体を空家の倉庫へと運び込んでいました。扉の鍵を蝶番から壊し、開けたならそこは長い間、使われていないようで埃っぽく、なんなら黴臭さまで漂っていました。私はそこにかれの死体を放り込んで、四枚ばかりの黒いゴミ袋を裂いて、かれの死体を覆いました。あの時の私は罪を必死に隠そうとしていて、だらだらと流れる血や、だらりと下がるかれのその手首、もう二度と開く事のない眼などを観察する事もなく、今こうして文筆を握る物書きの一人として、勿体無い事をしたなぁと思っています。
 ゴミ袋で覆っては、ガムテープでその身体を巻き、これから漂うであろう腐臭、蛆、腐った身体の汁などが出ないようにとしまして、最後に一箇所だけ穴を空けました。そうしたらガスが抜けるのですから、漂う腐臭も最低限になると思っていたのでしょうね。最後に辺りに散らばっていた新聞紙をその上に撒き散らし、少しでもかれの死体が人の目に付き難いように、と悪足掻きをしていた記憶がありました。これで罪は見つからないだろう。これで咎は隠し通せるだろう、と浅はかな私は大きく溜息を吐いて、帰路に着いたのを覚えています。

 あんまりにも早い時間に帰宅したものですから、母とかち合ってしまい、彼女は妙な様子の私に何かしらの疑問を持っていたと思えます。今となればもう確かめる術はないのですがね。
 玄関口で母と交わした言葉は失念してしまいましたが、雨に濡れた私は真っ直ぐ脱衣所へ向かった記憶がありました。雨に濡れた身体に衣服が張り付き、じっとりと私の身体に纏わりついては、お前は罪から逃れられないと暗に語っているようで不安を覚えた所、ふと鏡を見ましたら私は思わず自分の表情に恐怖を覚え、短く息を呑みました。長く伸びた髪が額、顔に張り付き、翳りを帯びた顔。雨に冷え、青褪めた唇が宛ら恐怖映画の心霊、物の怪の類に見えました。丁度、そういった物が流行っていた時分、昨晩見てしまった心霊番組のせいか、かれの霊が私に乗り移ったのではないか、と思えてしまったのです。
 恐れ戦きながらも、シャワーを浴び物の一度も鏡を見ようともせず、浴室から出るも夕食を摂る気もなかったものですから、足音を立てる事もなく、そそくさと二階の自室へと篭る事としました。少し具合が悪い、と母に語れば彼女も特に言及してくる事もありませんでした。
 少しだけ怖いものですから、頭から布団を被り、その闇の中で安心していますと眠ってしまい、何時の間にか朝になっていたのですが、私は隠した罪、悪のせいで心を乱され、どうにも本当に具合が悪くなってしまったようでして、昼過ぎまで眠っていました。相変わらず雨が降っていたのを覚えています。

 それからもう二十年ほど経ちましたが、私はいまだに罪を咎められる事もなく、今こうして自分の罪の残滓を眺めている次第です。つい七年ばかり前に漸く、罪を暴かれましたが今となっては私がやったと誰も分からず終いでした。
 かれはすっかり白骨と化し、この家の倉庫で見つかったそうでしたが、この家を忌憚する事もなく、誰かが住んでいるようで明かりが居間から明かりが漏れています。濡れ縁には家主がしまい損ねたのでしょう、ラムネの瓶とガラスの器が並んでいます。まるでかれに捧げられた供物のようにも見え、私は心苦しいのです。
「すまなかった」
 声すらなく、かれに詫びようとも許しの一言も、罪を誹る一言もない。夏の空に消え行くのみ、ただただ私の声は空虚と化すばかり。眦から一滴が流れ出でこそ、誰一人としてそれを見る事もないのです。あぁ、こうして平成が終わるというのに、私は罪を雪ぐことすら許されず、ただただ罪の意識に苦しめられていくのでしょう。私の生にこれからの平静はなく、平成の世はただただ去っていくばかり。
 中山君よ、君も矢野君に罪の意識を植え付け、彼を一生苦しめると良いでしょう。何もせずとも人に報復が出来る、それが死人というものなのです。死人というのは恐ろしい、あぁ恐ろしい。あぁ──。
 悔恨の一念、咽ぶ私の耳元、許さないと聞こえた気がしました。