もしも、私に明日が来ないとすれば。ぼこぼこに腫れた顔で、光希は泣きながら言った。
そしたらあんた後悔するわよ。あたしのことこんなにしたの、あんた後悔するんだから。
僕は見向きもせず煙草に火を着けた。空気が冷える冬は煙草がうまい。煙がゆらゆらと昇っていって、光希は少しむせた。ゆっくりと、肺が侵食されていく。後悔するわ、後悔するんだから。光希の声が呪詛のように頭に響いている。見れば本物の光希は床に転がったまますすり泣いていた。
もしも君に明日が来ないとしたら。しばらくして僕は言った。
明日が来ないっていうのは少し曖昧だ。光希が今日中に死ぬのか、はたまたタイムリープでもして過去をずっと繰り返し続けるのか。
明日が来ないってだけじゃね、君、僕はまだ何もわからないさ。あんたのそういうとこ嫌いだわ。光希はうらめしそうに僕を睨む。
ただ、多分僕は光希を海に連れて行くだろうと思った。
運転席の僕、助手席の光希。カーステレオからは名前も知らないラジオのジャズが流れていて、灰皿に虫けらみたいな煙草が積まれていく。光希はまた少しむせる。彼女は煙草がきらいだった。
僕はパーキングの売店でサンドイッチとコーヒーを買ってきて、光希と昼食を摂る。
夕方までには海に着いて、光希は夕陽がきれいだと笑うだろう。それで、二人何も言わずに海辺を歩くのだ。光希は時々海水を足で蹴飛ばしてみたり軽く手を浸してみたりしながら、楽しそうに笑う。 あたし初めてなの、海。ずっと来てみたかったのよ。ずっと……。
僕は振り返る。光希の白いワンピースと肩ほどで揃えられた黒髪が潮風に吹かれて、光希はつばの広い麦わら帽子を右手で抑えた。僕はしばらく光希に見惚れる。目と目が合って、おかしくなって笑った。
ねえ、今なに考えてるの。先程よりは少し落ち着いた声が小さく僕の名前を呼んだ。そこには茶色い髪を垂らしてスパンコールとピアスをしゃらしゃら鳴らしながら酷い男に縋り付く、ぼろぼろの女がいた。
時計の針はもう「明日」を指している。僕はほっとため息を吐いた。
光希、君に明日が来たよ。何言ってるのよ、来るに決まってるでしょ。光希、僕は後悔しないよ。いいわよそんなの、どうせあんたはあたしなんかどうとも思っちゃいないんだから。知ってるのよあたし。
光希の言葉が切れた。僕は背中に腕を回しながら光希のまぶたにキスをして、そっと耳元に囁いた。
二人で海に行こう、光希。