もしも、私に明日が来ないとすれば、皆それはそれは可哀想な少女を想い涙でも浮かべてくれるかもしれないけれど、少し遠くから見れば10ケタの人口の1の位が上下しただけであって、付け加えるならば私は明日が来ることを求めているわけじゃなかった、ということなのだから、お願いだから、いつもの様に素通りして欲しい。
――私が3ヶ月前に書いた遺書は、今でも鍵付きの引き出しにしまってある。
『××線は2019年までに全駅にホームドアを設置することを目指しています!ご理解とご協力をお願い致します』
黄色いヘルメットのオジサンが半笑いで頭を下げる絵。私の最寄りにはいち早くホームドアが植えられた。駅員がボタンを押せば簡単に開閉する白いそれが、大嫌いだ。黄色い線の外側を通れなくなったのにアナウンスは「黄色い線の内側に…」のまま直されないのが気になるだとか、少しホームが狭くなって朝のホームが更に息苦しくなっただとか、そういう事ではなく。
毎日同じ時間に開くその扉が、今日は閉じたままだった。遅延した理由は隣の駅の人身事故で、電光掲示板の表示から電車の到着時刻が消えた。
「最近多いよねぇ、ジンシンジコ」
「チエンショウメイショもらえるかなぁー、貰えなかったらマジ無理、萎えるわー」
隣の列でスカートの短い女子高生が、ショッキングピンクと真っ赤の唇からそれぞれ不満を漏らしながら、自撮りを始めた。
残念ながら私の学校は登下校中の携帯使用は禁止されているので、暇を潰そうにも読書くらいしかすることは無い。そして生憎、今私は本を持ち合わせていない。
最近多いですよね、人身事故。……暇を持て余した私が話しかけたのは、隣の女子高生ではなく、大嫌いな目の前のホームドアだ。もちろん声には出さず、心で会話する。応えはないので、1人で話し続ける。
最近多いですよね、人身事故。あれって結構悲惨らしいですよね。バーンとあたって気絶しそうだから、飛び込む方はそんなに痛くないのかなぁ。でも、怖かったんです。いろんな掲示板とかサイトとか漁って、違う方向に曲がった手足や、半分に割れた頭を沢山見ちゃって。
飛び込んで、死にきれなかったらどうするんでしょうね。一生傷は残るし、賠償金だって凄いらしいじゃないですか。痛い、痛いって喚きながら、冷たい視線を浴びて救急車に乗るなんて馬鹿すぎる。そんなことになるくらいなら死ぬほうがマシですよね。まぁ、最初から死ぬ気だから飛び込むんだろうけど。
――これさえなければ、私だって。
ただの機械に私は恨みをぶつける。機械は反論を言うわけでもなく、傷つくこともなく、電車の来ないホームでは微動だにしない。
少しずつ植えられていくホームドアに焦りを感じつつも、私は「いつか飛び込める」と悠長に黄色い線の内側から線路を眺め続けていた。
自殺願望があると言うだけなのに、いつも群れて面白くもないのに笑っている同級生とは、何も知らないのに親のフリをする家族とは、次元の違うところにいると皆を見下していた。学校でも家でも虐められているが、他とは違う思想を持った特別な人間なのだと。
勿論それはただの幻想で、実際はクラスの中の「いつも1人で本を読んでいる女子」で、家族の中では気に入らないことがあれば薄い自傷の後を被害者面して見せつける痛い子なだけだった。
多数派に溶け込むことも、特別に狂った訳でもなく、中途半端な「中二病」。本当に自殺願望があるわけでもなかった。遺書は書いても、毎日理由をつけて行動を起こさなかったのがその証拠だ。難しい言葉と悟ったような文体で、「もしも、」から始めた黒歴史の塊。あれを他人に読まれるなど考えるだけで羞恥で顔が染まるが、それでもまだ中二病を引きずった私は、今でもその馬鹿みたいな文章を捨てられずにいる。
「あ、電車来た」
「完全に遅刻! まじダルいわ」
派手色の唇がまた開く。その瞬間、少し離れた位置で中年のサラリーマンが叫びながらホームドアに手をかけた。
「え、なになに?!」
「ヤバ、飛び降り?」
壁を乗り越えた勢いでよろけたオジサンがそのまま下へ消えた。既に減速していた電車がゆっくりと私の前を横切る。ホームに並んでいた人々が悲鳴をあげた。
……あぁ、やっぱり遺書は捨てよう。誰にも読まれないように、何回も鋏で刻んで。きっと私はいつまでもこの白い機械を乗り越えられないだろう。スカートのポケットに入れっぱなしの引き出しの鍵を握りしめ、私は静かに目を瞑った。