もしも、私に明日が来ないとすれば、君は私の最期の日を一緒に過ごしてくれる? ひなたがそう言って笑った後、少しだけ長い溜息をついて、こちらをちらっと見て、そして軽く顔を伏せた。俺に求めた答えを、俺自身はしっかりわかっていて、だからあえて「わかんない」と曖昧な返事をした。ひなたの望む答えをわざと言わなかったのは、彼女に傷ついてほしくなかったからだ。
「ひなたは死なないから、そんな質問は不必要だよ」
俺が煙草の煙を吐きながら、ベンチに腰掛けたひなたに声をかける。彼女はまた軽く笑って「そうだね」と相槌を打った。
「突然変な質問してくんなよ、白けるじゃん」
「そうだね。ほんと、ごめんね」
六月の雨はうざったるくて嫌いだと思った。屋根に当たった雨粒が痛々しい音を響かせて、雫は水たまりの一部に変化する。ベンチも雨に直には触れてなかろうと湿気で少しだけ色が濃くなっていて、ちょっと寒いねとひなたがぼそっと呟いた。そうだな、と俺は煙草の火を消して灰皿に捨てた後にネクタイを外してカバンの中に突っ込んだ。
「礼服なんてお前ちゃんと持ってたんだな。意外だった」
「失礼だなあ。そういうのはちゃんと揃えてたほうがいいって、舞ちゃんが一緒に買うの付き合ってくれて」
「へえ」
「一番にこの服着るのは舞ちゃんの結婚式の時かもねって、そう言ってたのに、」
初めてひなたが礼服を着たのは、舞の葬式の日だった。
笑いながらもひなたの表情は固まっていて、声も少しだけ震えていた。
舞のことが好きだと俺に突っかかってきた学生時代を思い出して、俺たちの婚約を悔しがりながらも喜んでくれた先週のことを思い出して、葬式中に号泣したひなたの姿を思い出す。
雨音はどんどんと喧しくなっていって、それがまるで悲鳴のように聞こえ始めた。
「好きだったの、初恋だったの。どうしても離れたくなかった」
「うん」
「友達でもいいと思った。それ以上になりたいって、そんなの我儘だと思った」
「うん」
「君はどうして、そんな、どう、して、悲しくないの?」
悲しいよ、と俺はひなたに応える。だって、五年も付き合った、もうすぐ結婚するはずの人だったんだから。きっと、悲しいはずだ。俺は、舞の死をきっと悲しんでいるはずだ。
思い込もうとしている時点で自分がとても無慈悲な男だと気づいてしまう。だって、俺は舞のことが「好き」だったわけじゃないんだから。
好きなんだ、と舞に告白された日のこと、舞は笑って言った。ひなたはあたしのことが好きだから諦めたほうがいいよ、と。
舞はとても頭のいい女だった。鎖みたいに雁字搦めになった俺らの三角関係を無理やり壊した。
「あなたは永遠にひなたには好きになってもらえないの。いい加減、わかりなよ」
ベッドの上で鏡を片手に真紅の口紅を塗りながら舞は言った。俺には選択肢はなかった。
ひなたは永遠にあなたのものにはならないのよ。私が死んだとしても。
舞がそう言って俺にキスをしたあと、家を出て行って、そして事故にあって死んだ。ブレーキペダルとアクセルペダルを間違えたらしい。壁に突っ込んで即死だったらしい。よくテレビのニュースでそういう事故を聞いたりはしてたけど、そんなのやんないよねって舞はよく笑っていた。だから、不注意の事故と警察から言われても、俺はどうしても「自殺」という考えを捨てられなかった。
ひなたにもしも、明日がないとすれば、俺はきっと彼女に告白するだろう。
薄情な男だと思われようと、長年の彼女への想いを全部吐き散らして、そして失恋するだろう。
でも俺はちゃんとわかっているよ。ひなたが望む俺の答えを。
もし、ひなたが明日死ぬならば俺はきっと舞を彼女に返さなきゃいけない。彼女には、舞しかいないから。利用されていることを知らないひなたは、きっとずっとこの先も舞のことを一途に愛すのだろう。でも、俺は時々思うんだ。舞のことを好きな君は、すべてを知っていて、それでも舞のことを愛してるんじゃないかって。
すべては憶測。そしてひなたが明日、この世界からいなくなるわけでもない。
ただ、俺たちの中心だった舞は、もうこの世界にはいない。ただ、それだけだ。
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お久しぶりです脳内クレイジーガールです。二回目の投稿です。
一方通行の三角関係で、全員自分のことが好きな人が分かっていて、あえて黙っているというのはとても切ないなってそんなお話です。
素敵なお題をありがとうございました。楽しかったです。あさぎちゃん、ヨモツカミ様、これからも運営頑張ってください。