Re: 第13回 瓶覗きを添へて、【小説練習】 ( No.332 )
日時: 2019/07/29 13:47
名前: 脳内クレイジーガール◆0RbUzIT0To (ID: 3np9EXCU)

 赤い彼女は、狭い水槽の中に閉じ込められている。はるちゃんは今日も彼女をじいっと見つめて、ただ一言「ごめん」と呟く。それは結衣ではないのに。

「……そんなことしても無意味なのに」
「うるせえ、お前は黙って飯でも作ってろ」

 机の上に出来上がった料理を並べていく。はるちゃんは横暴な態度なまま食卓に座って、大きなため息をついたあとにお前も席につけと命令口調で言った。私はいや、と言ったけれど、はるちゃんは勢いよく机を叩いて再度「だから、座れよ」と次は脅すような口調で言った。そういうところが嫌いだ。私を召使みたいに扱うはるちゃんなんか死んじゃえばいいのに。思ってることは口にしない。この場所では私は彼の玩具にすぎないから。

「一緒に食べればいいの?」
「そんなこともわかんねえのかよ」
「さあ、はるちゃんが結衣と紡いでいた時間を私が知ってるはずないじゃん」

 お箸を持つ手が少しだけ震えていた。はるちゃんの怒りのゲージが少しずつ上がっていってるのが目に見えてわかる。箸を唐揚げにぐさっと突き刺して口元に運ぶ。行儀が悪いと注意するとはるちゃんは舌打ちをして私を睨んだ。相変わらずガキだなと思いながら、私もポテトサラダを少し食べた。結衣がおいしいと褒めてくれた味付け。
 はるちゃんは私のことが大嫌いなくせに、私の料理を旨いとも不味いとも何も言わずに完食した。御馳走様、と吐き出したその言葉に感謝の気持ちなんてみじんも感じられないけれど、その言葉を言えることが唯一、彼を嫌いになれない理由なのだろう。

「お花、水槽に入れたら枯れちゃうよ」
「そんなのわかってんよ、毎日死んでんじゃん」
「死んでいく花を綺麗だと思うの? 死んでく結衣を綺麗だと思うわけ?」

 言葉を間違えた、というのは言いながら気づいた。ただ、水中花とか、そういうのに変えて生きた花を殺すのをやめようって言いたかったのに。

「結衣が死んだのはお前のせいなのに」
「そうだね」
「それなのに、お前は俺をずっとずっとずうううううっと苦しめ続けるじゃん」

 はるちゃんが泣いたのを見たのはいつぶりだろう。ここで久しぶりに会った日だっけ。
 はるちゃんは本棚の本を無造作に私に投げつけた。本の角が皮膚に当たって痣みたいに色が変わっていく。はるちゃんがぼそりと「お前なんか死んじまえ」と言った。泣きながら。お願いだからと懇願するように私の腕にすがりついて「死んでください」と。

「やだよ」

 水槽に花を入れてそれを結衣だと思ってる。頭のいかれてしまったはるちゃんを守れるのはもう私しかいないのだ。
 何度も言った。お花は水槽に入れるんじゃなくて花瓶にさしなさいって。でもはるちゃんは水槽の中に毎日毎日そのお花を入れ続ける。一輪だけ。毎日赤い彼岸花を一輪だけ水槽の中に入れて、奥まで突っ込んで花を殺す。そして水に浸かった死んだ花にいつも「ごめん」というのだ。
 水触れると葉や花はそこから腐っていくのに。毎日毎日「結衣」に見立てた花をはるちゃんは殺めていく。

「なんで、なんで、結衣はお前のせいで死んだのに」

 いつまでたっても私に死んでほしくて、結衣のことを忘れられなくて、だからぐちゃぐちゃになったはるちゃんは今日も私のことを殴って蹴って最後に土下座をする。


 どうか、死んでくれ、と。







 □


 親友だった結衣を死んだことにしたのは暑い夏の日のことだった。何日前だったかは思い出せないけれど、まだ最近。だけど、もうだいぶ前のことにも感じられる。蝉が煩くて、日照りが強くて、汗が背中からぶわっと出てエアコンの温度を少し下げたくなるような、そんな日だった。
 その日はすごく暑くてなかなか寝付けなくて、だから私は深夜の二時ぐらいにも珍しく起きていた。だからこんな非常識な時間の結衣の電話に気づいたのも奇跡だった。

「もしもし、どうしたの?」

 突然の電話に驚きはしたけれど、まあこんな時間に用事もなくかけてくる馬鹿ではないと知っていたから私は欠伸を噛み殺しながら彼女の電話をとった。

「弟を殺したいの」

 結衣が一言、泣きながら言ったのを覚えている。昔から暴力的で唯我独尊、自分より立場の弱い人間を嘲笑うように踏みつぶしてきた弟の態度がもう限界だと、結衣は泣きながらずっと電話口で弱弱しい声を発した。窓の外からは生ぬるい風が吹き抜けていて、私は「じゃあ、殺す?」と今日ちょっと暇? みたいな軽いニュアンスで聞いてみた。

「いいの」

 少しだけ結衣の声が上ずっている。喜びとか歓喜の感情と人間的な心理でぐちゃぐちゃになった声だった。
 結衣は私の全てだったから、私は喜んで引き受けた。結衣がこれ以上苦しんでいるのを見ていられなかったから。






「ねえ、私のお願いをひとつだけ聞いてほしいんだけど」








 弟の晴夏は結衣と二人暮らしだった。彼が家を飛び出して姉の家に転がり込んだのはちょうど一年前のことだったらしい。それはどうしようもないクズで、未成年なのに煙草も酒も女も、まあ容姿が良かっただけにすべてに恵まれて、同時にすべてに興味をなくしていた。
 姉が帰ってこなくなったと私に連絡が来たのは、結衣が行方をくらませて一週間くらい経ったあとのことだった。彼に会ったのはほんの数回だけだったけれど、彼の少し震えた声での電話に私は予想以上にぞくぞくしてしまった。
 結衣は死んだんだよ、と彼に言うと最初は全然信じなくて鼻で笑って「冗談だろ、お前んちにいるんだろ」と。だけど月日が経つうちにどんどん彼の態度が変わっていった。最後にはただ「死にたい」としか言わなくなって、彼からの無言電話が増えていった。
 様子を見かねたふりをして彼の家に行くと、ごみでいっぱいになった部屋でひとり、小さくなって座り込んでいた。部屋が異常なほどに高温だったことを覚えている。時計についた温度計は三十五度を超えていた。あせべったりの晴夏は私を見て「ほんとに死んだの?」と泣いた顔でたずねてきた。私が頷くと目の縁にためていた涙をぼろぼろ殺して声をもらした。
 そのときに気づいた。部屋の真ん中。小さな水槽の中に一輪の花が閉じ込められている。赤い、ヒガンバナ。

「なにこれ」
「結衣」

 視線は花からすぐに彼の方に移った。

「結衣が俺をずっと恨んで殺しに来ると思ってた。だから、彼岸花」

 花言葉は、また会う日を楽しみに。
 きっと気づいているんだ。会えるって。まだ結衣が生きてるって。


 だから私は嘘をついた。
「私が殺したんだよ。結衣が私以外をとったから。結衣が私を選ばずにほかに行っちゃったから。結衣を呼び出してねスタンガンで気絶させようと思ったらあんまり上手くいかなかったからおなか思いっきり蹴ってね、それでも起き上がろうとするから結衣の首をしめたんだ。痕が残るほどくっきり握りしめたらね、結衣が泡吹いちゃって。でも、綺麗に私の手のあとがね、できたんだ。意識とんじゃったから結衣をお風呂に浸けて溺死させてね、それからどうしようって思って」

 顔がこわばっていくのがすぐにわかった。想像したのか真っ青になっていく彼の顔に、好感が持てたのは間違いない。

「死んだの?」
「そうだよ」
「お前が殺したの」
「まあね」


 汗でびしょびしょになったTシャツ。何日洗濯してないかわからない黒のハーフパンツ。殺意に満ち溢れたその顔に鼓動が高鳴った。結衣が死ぬほど嫌ってるのもきっと彼は知らないのだ。殺したいほど恨まれていることも彼は知らないのだ。お姉ちゃんが好きなただの「弟」だから。
 ああ、ずるいな。結衣に殺したいほど大事に恨まれてるくせに。そんな幸せ者のくせに、こんな弱弱しく泣いてるなんて。ああ、このまま殺しちゃうのはもったいない。もっともっと苦しめて結衣のことを思いながら結衣にしてきたことを後悔して懺悔して、この水槽に君を閉じ込めたい。

 はるちゃんは今日も私を殴る。私を蹴る。私に死ねと言う。死んでくれと最後には土下座して思考回路がぶっ壊れる。
 今まで結衣にしてきたことは変わらないのに。水槽に結衣に見立てた花を入れるのは彼が壊れているから。だから私が守らなければいけない。私がこの水槽にはるちゃんを閉じ込めて溺死させるまで。
 結衣はきっと私のことを狂ってるというだろう。ごめんね。私たちは似たもの同士みたいだ。



***

 はるちゃんは結衣のことが死ぬほど好きですが、愛情表現がめちゃくちゃ下手くそです。そんな弟を好きになれなくて殺したくなった結衣と、彼女の弟を殺すために結衣を逃がして嘘をついて苦しめ続けるサイコな主人公の狂ったお話です。読んでて疲れるお話です。趣味に走りました。すみません。
 カキコでの最後の小説になると思います。素敵なお題をありがとうございました。金魚という説をきいたあとには赤い彼女は金魚にしか思えなかった脳内クレイジーガールでした(; ・`д・´)