<はじめまして、参加させていただきました。>
Re: 邂逅を添へて、【小説練習】 第二回開催 ( No.47 )
日時: 2017/10/30 20:06
名前: 壱之紡 (ID: igPJjJZM)

*白の残り香



 彼女はいつもと変わらない、甘い匂いをまとっていた。


「……いいんじゃない? まあまあ及第点だよ。興味をそそられる書き出しだね」

 彼はそう言って、目の前の大きなパンケーキに蜂蜜をかけた。蜜は夕日を受けて琥珀色に輝き、ケーキの表面を這う。小さく眉をひそめる。真っ白な皿が汚されるその瞬間が、俺は大嫌いだった。しかし彼はその思考を汲んだかのように、こぼれ落ちる蜜をナイフで掬いとる。実に器用に、蜜を一滴も溢さずパンケーキを切っていく。銀色のナイフとフォークを持つ細く白い指。パンケーキを切る仕草も、俺にはまるでピアノを弾いているように見えた。
 そして、パンケーキを口に運ぶ。彼はとても幸せそうに頬張っているが、美味しそうとは思えない。これまた上品に物を飲み込む彼を見ながら、手元のブラックコーヒーをすすった。

「それにしても、君が小説を書くなんてね。僕はすごく意外だ」
「そうか」
「どんなストーリーなのかな?」
「……言えないな」

 彼の色素の薄い瞳に、光が射す。パンケーキの上の蜂蜜の様な、黄金の光だ。彼はそっか、と呟き、唇の端を上げ、俺の目をじっと見つめてくる。悔しいが、綺麗な瞳だ。彼からしたら、俺の目は汚れ、曇って見えてしょうがないのかもしれない。

「そんな事は無いよ。方伊義(かたいぎ)くんの目はまるで夜空みたいだ」

 さらっとした口調で恥ずかしい事を言ってくるのにも、もう慣れた。ことにおかしな男だ。優男の様な見た目の癖に、理解し難く、不思議で、底の無い話をする。彼の言葉の一つ一つが、乾いた大地に降り注ぐ雨のように、染み込んでくる。それは時に暖かく、冷たく、安心感や嫌悪感が湧いて止まない時もあった。こんな言葉に、俺は出会った事が無かった。
 そんな奇妙な男の、言葉も、行動も、雰囲気も、全て全て。ぎゅうぎゅうに押し込める。そんな小説を書きたい。目の前の原稿に、鉛筆が折れる位に、激しく詰め込みたい。書いて、この男に読ませたい。お前がどんなに奇妙な存在か、その小説をつきつけたい。そう思い、筆をとったはいい。しかし、俺は気付いた。
 名前も、年齢も、住所も、趣味も、家族構成も、過去も、現在も、未来も。
 俺はこいつの事を何も知らない。

「……ひとついいか」
「ん? 何?」
「お前の名前は何だ」

 彼はいつの間にか、かなり減っていたパンケーキの一切れを飲み込み答えた。

「一伊達」
「いちだて?」

 俺は眉を吊り上げた。聞いたことが無い。恐らく苗字だろう。何故苗字だけなのだ、と不満に思ったが、思い直した。俺も苗字しか教えていない。

「人柄も奇妙なら、名前も奇妙だな」
「方伊義くんは、僕が奇妙かい?」

 一伊達は嫌悪の色を全く見せず、ゆったりと微笑んだ。夕日に映える、雪のように白い肌が一段と輝く。俺は答えずにコーヒーを口にする。彼は整った薄い唇を開いた。

「そうだろうね、そうだろうな。そうなんだよ。僕は奇妙なんだ。世間から外れてる。まるで隔離病棟の患者さ。しかし奇妙と表現したのは、方伊義くんが初めてだよ。やっぱり僕、君が好きだ」

 そう言うと彼は最後のパンケーキの一欠片を口に運んだ。立ち上がり、穏やかな、それでいて不敵な、いつも通りの笑みを浮かべる。

「でも方伊義くん、君だって充分奇妙さ」

 彼は視線を落とした。一滴も蜜が付いていない、真っ白な、鏡の様な皿を見やる。

「君は、真っ白な皿を汚されるその瞬間が大嫌いなんだろう?」

 彼が笑う。

「また会えるといいね」

 そう言い、彼が去る。ふわりと、鼻孔をくすぐる甘い香りがした。何回も、何回も嗅いだ事のある匂い。まだ彼がそこに居る気がして、俺は目を瞬いた。

 俺は暫し、考えた。考えて考え抜いた末、鉛筆……ではなく、消しゴムを手に取った。彼の言葉、笑い方、白い指。思い出しながら、丁寧に『彼女』の文字を消していく。そして、鉛筆を手に取った。一画一画、丁寧に。先程の会話を一言一言、なぞる様に。
 ……俺は鉛筆を置き、夕日に照らされたその文章を、ただ、じっと見つめていた。



 彼はいつもと変わらない、甘い匂いをまとっていた____