Re: 賞賛を添へて、【小説練習】 ( No.86 )
日時: 2018/01/20 13:02
名前: 三森電池◆IvIoGk3xD6 (ID: DtY5WDUc)

 「問おう、君の勇気を」

 僕に対峙して、僕が立っている。そいつは、フェンスに寄りかかったまま、すうっと息を吸いこんで、僕らしかぬ余裕の表情で言い放った。

 「なんだってんだよ……」
 「だから、ここから飛び降りて死ぬ勇気が、君にはあるかって、聞いてるんだよ」

 やれやれ、と僕にとそっくりな何かは、首を横に振る。透きとおるような晴天の空の下、こっちの僕はさっきから冷や汗が止まらない。
 遡ること五分前、僕は、このビルの屋上から飛び降りて死のうとしていた。二十五歳でフリーター、人生にやりたいことが見つからず、友情や恋愛においてもろくでもない経験しかできなかった。僕に生きることは向いていない。明日が来るのが億劫で仕方ない。手取り十余で食いつなぐような惨めな人生は、もう終わりにしてやる。思い返すと突発的な決断であった。今日、朝八時に出勤しいつものように働いて、三十分間の昼休憩の時、ふと人生、これでいいんだろうかと頭によぎって、これまでの経験とこれから直面するであろう出来事を考えてみて、もう死んだ方が楽ではないかと感じはじめたのだ。
 そこに現れたのが、こいつである。僕にそっくりな見た目をしている、というか髪型も仕草も服装も靴も、僕そのものの人間。職場の近くの廃墟ビルの屋上まで上がってきたとき、そいつはフェンス間際に立っていた。そして、

 「やぁ、僕。よくここまで来たね」

 と、けらけらと笑い出したのだ。
 僕は腐っても死を覚悟した人間だ。これは死ぬ直前に見える、ある種の幻覚なんだろうと自己完結させるも、目の前に自分がもう一人いるという気持ち悪さから、動揺せずにはいられなかった。当たりを見回して、他に人がいないかと探す。こんな廃墟に僕やこいつ以外の人間がいるはずがないのは分かっていたため、結局諦めてそいつにこう言い返すしかなかった。

 「死ぬ覚悟が、できてるからここにいるんだろ」

 声を絞り出した。強く吹く春の風に、かき消されてしまいそうになりながら。死ぬ覚悟、といざ口に出してみると、死に対する現実的な恐怖がこみ上げてくる。並べた言葉とは逆に、自分でもわかるくらい、とても弱々しい声色だった。目の前に立っている僕は、それを見て、またにやりと、趣味の悪そうな笑顔を浮かべた。

 「今日日世の中、年間五十三万もの人間がなんらかの自殺手段を決行しているけれども、実際に天へ旅立てるのはたった三万だ。死って怖いもんなあ、君の気持ちも、わかるよ」

 でもねえ、もし君が本当に死ぬってんなら、僕は、その勇気を讃えて見送ろうと思うんだ。そいつは言って、フェンスに寄りかかった体を起こした。

 「ネタばらししてやろう、僕は、未来から来た君だ。顔も服装も髪型もそっくりだろう、僕は君なんだ。これでも、自殺を止めに来たつもりだ」

 人差し指を立てて、僕に似たなにかは言う。
 えらく頓珍漢なことを言っているが、これだけ見た目がそっくりなのだから、彼の言うとおり、これを未来から来た僕だと確定する以外に他はない。死ぬ前に見る幻覚とは、こんなにリアルなものなのかとぼんやり思いながら、本当はさっさと飛び降りたかったが、僕が心置きなく死ねるように、少しだけ自称未来人のおしゃべりに付き合ってやることにした。

 「……逆に問おう。未来の僕は、どうなっている?」
 「ああ、いい質問だねえ」

 ぽん、と手を合わせた未来人は、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。僕そっくりの人間がこんなにも笑っているのは気持ちが悪く、まるで、お面をかぶっているようであった。

 「君が死ななかった世界線の僕は、相変わらずフリーターだし、友達も彼女もいない。それに加えて、父親が三年後、末期がんで死ぬんだ。まだ三十歳くらいまでしか僕は生きていないけど、相当運の悪い人生だね」
 「なんだ、よかった。もう現世に悔いはないよ、安心して死ねる」
 「たださ、聞いてくれよ、僕。君の好きだった水曜十時のバラエティ、二年後に、深夜枠だけど復活するんだ。あと、読んでたあの漫画、最終回めちゃくちゃ良かったよ。相変わらず無趣味だけど、貯めたお金でちょっと良い車なんか買ってさ、僕は今、少し楽しいんだよ」

 彼は嬉しそうに語る。今の僕には、きっとこんな表情はできない。そんなこと、言われたところで、僕の将来に対する漠然とした、それでいて確かな不安は消えない。こいつが楽しそうに笑っていられるのは、今だけだ。現状は何も変わらない。少しいい車を買っても、好きな漫画の最終回を見届けても、僕はフリーターだし、友達も彼女もいない。何も前に進めていない。

 「……生憎だけど、僕は死ぬよ。君みたいには、なりたくないから」

 確定した未来をこいつに訊いたのは正解だっただろう。さっきよりも、強い意志を持って、その言葉を言える。

 「そっか、そうだよな。ただ君、考えても見てくれよ」

 お前みたいにはなりたくない、とまで言われておきながら、彼は笑顔を崩さない。まるで僕が薄っぺらい宗教団体にでも嵌ってしまったみたいだ。そいつは、冷や汗を拭う僕を見ながら、言った。

 「自殺といえども、自分という人間をひとり殺しているんだ。君が向かう場所は、天国じゃなくて地獄だろうね。殺害を犯した人間は、地獄の中でも特に罪が重い。灼熱の中永劫の時を苦しむんだ。どうかい? その覚悟はあるかい?」
 「この世に存在しない場所のことを語られても、僕に答えは出せない。ただ、このまま生きているよりはずっとマシだ」
 「でも、完全に存在しないとは言いきれないだろう? 子供の頃から、死んだら天国と地獄があって、と教えられてきただろ」

 永遠に苦しむ。その言葉を聞いて身が怯む。人間は死んでしまった瞬間、意識ごとぱたりと消えてしまうものだと思っているが、そこに行って帰ってきた人間が今まで一人もいないのを見る限り、天国や地獄の可能性は、完全には否定できない。
 未来人の僕は、僕が少し怯んでいるのをいいことに、また言葉を続ける。

 「なあ、僕よ。結局のところ、僕は君に、死ぬ勇気じゃなくて、生きる勇気を問いたいんだ。僕は今幸せだよ。もし現状が嫌なら抜け出す術は山ほどある。運命は変えられないけれど、自分で変えていくものでもある」
 「なに、言ってんだよ、僕のくせに」
 「僕だから言ってるんだよ。僕を止められるのは、僕だけだ」

 うるさい。結局僕はなるようにしかならない人間だ。抜け出せる術なんていらない。今起きているこの現状が、人生が、もう耐えられないのだ。
 息の仕方がわからなくなって、自然に脈拍数が上がり、蹲る僕を見下ろす未来人は、さっきまでの笑顔が嘘のように、冷めきった目つきをしていた。それに怯えて唾を飲むと、恐ろしく冷たい声が上から降ってくる。

 「なあ、僕。実は知っているんだ」
 「うるさい、僕は、本気で、死に」
 「君も僕なら知っているだろう、僕がなにもかも中途半端以下の存在だってこと。生きるのも死ぬのも怖くて、だらだら努力もせずに日々を続けているってこと。だいたい、本気で死ぬ気はあるのか? 僕のことだから、今朝突然思いついて……とか、そんなくだらない理由で、人生から逃げようとしてるんじゃないのか」

 かっとなって、未来人を思い切り睨みつけようとしたが、うまく体が動かない。とても悔しいことに、こいつは僕だから、僕のことをすべて知っている。本当は死にたくなんかないことも、でも生きるのも怖いということも。
 ノイズが入って、未来の僕はだんだん、見えなくなっていく。もうそろそろ、潮時か。こいつが消えるか、僕の意識が途絶えるのが先か。脈拍はさらに上がり、視界がぼやけてくる。
 なにもかも中途半端ならば、せめて、最後だけは。

 「悔しいなら生きてみなよ、僕」
 「違う、違うんだ、僕は……」

 立ち上がり、僕を押しのけて走り出した。
 驚いた顔をしている僕をよそに、力ずくでフェンスを越える。足がもつれて宙に投げ出され、それでも構わずに、向こう側に片足をつき、それをバネにして、快晴の空へおもいきり飛び込んだ。そして、ぽかんとした顔でこっちを見ている、ノイズだらけのあいつに向かって叫んだ。

 「これが、僕の勇気だ」




こんにちは、三森電池です。2回目の参加です。
本人も言っていますが、未来から来た僕はただの幻覚です。通勤中なんかに、遺書も残さずふらっと電車に飛び込んで死んでしまう人ってこんな感じなのかなと考えながら書きました。
もう長いこと間が空いたので、個別の返信は控えますが、第2回の私の作品にコメントしてくださった方、好きだと言ってくださった方、ありがとうございます。自分の好きなシチュエーションで、自分の一番得意なタイプの話を書いたので、褒めていただきとっても嬉しいです。
引き続き寒い時期が続きますのでみなさん体調にお気をつけください。
ありがとうございました(((^-^)))